第7話
それから一週間後。俺は五限目に語学の小テストが終わったので、一息つこうとサークルの部室へ行った。
部屋にいたのは美紀先輩と勇人、その他数人だ。美紀先輩は俺が入ってきたのに気が付くと、にっこりして話しかけてきた。
「貴史くん、お疲れ様」
その笑顔につい嬉しくなってしまう。本当、かわいいな。祐輔を含め、サークルの男子で「あわよくば」と思っているメンバーが多いのも納得だ。そのことを改めて実感する。
「貴史くん、祐輔くんと一緒に温泉行ったんだって?」
あいつ! いくら好きな人だからって何でも話してるんじゃねぇよ。ったく、危機管理意識っていうものがないんだろうか。
まさか全て話してはいないだろう。けれども、美紀先輩がどこまで聞いているのかわからない。様子をみるために俺は曖昧な相づちを打つ。
「ええ」
「祐輔くん、よろこんでたよ。宿の写真見せてもらったけど、雰囲気良いところだったよね。私も誰かとああいうところに行きたいな」
「祐輔、いろいろあって疲れてる感じだったんで、良い息抜きができればと思って」
「そうなんだ。そういう気遣いって、女の子から見るとポイント高いよ。彼氏にされたらうれしいもん」
「そうですかね」
俺は平静を装って応える。だが、美紀先輩に言われて、内心はにやけてしまった。油断したら「なんなら一緒に行きますか」と声に出してしまいそうだ。
美紀先輩との話を聞いていたのか、勇人が口を挟んできた。
「そうはいっても、男二人で温泉旅行ってあんまり考えられないですけどね」
鼻で笑うような言い方だ。流石、ルックスはいいのに敵を作る発言で「もったいない王子」とあだ名が付くだけある。
まあ、理由はわかっている。勇人は美紀先輩狙いだから、俺が彼女にほめられているのが気にくわないのだろう。わかりやすいので、根はいいヤツだとは思うが。
とはいえ、言われっぱなしなのも癪だ。何か反論しようとした時、祐輔と同じ学科の弘樹が部室に入ってきた。
「貴史。お前、祐輔と今日連絡取った?」
「いいや」
「あいつさ。今日の授業、全然来なかったんだよ。いつもなら出席取らない授業まできちんと出てるのに。何かあったのかなと思って」
「えっ? ちょっと連絡とってみる」
俺は祐輔にコールをしてみた。けれども、呼び出し音が鳴るばかりで一向に出る気配がない。弘樹は心配そうな顔をしている。
「お前でも出ないか。体調崩してなきゃいいけど。最近、あいつ様子おかしかったから」
「そうなのか」
「授業中、ぼーっとしてたり。いつもは一生懸命ノートとってる方なのに」
「そっか。俺、この後祐輔の家に行ってみるよ」
その時、勇人がまた口を挟んできた。
「貴史。お前、祐輔係だな」
その口振りは俺と祐輔をからかうかのようだ。
「なんだよ。具合が悪いかもしれないんだぞ。心配するのは当然じゃん」
「もう大人だろ。自己責任だ」
「でも、祐輔くんひとり暮らしでしょ。体調を崩して動けなくなっちゃうこともあるから、見に行ってあげて」
美紀先輩の加勢に黙らざるを得なくなって不満そうな勇人を尻目に、俺は荷物をまとめて祐輔の部屋へ急いだ。
大学から電車に乗って、数駅。通い慣れた道を歩き、俺は祐輔のマンションへ向かう。たどり着いた頃にはすっかり日も暮れていた。
部屋のドアをノックしてみたが、反応はない。取手に手をかけると、カギはかかっていなかった。
「祐輔」
ドアを開けて呼び掛けてみたが、返事はない。
「大丈夫か」
呼びかけながら、俺は入口の電気をつけた。玄関には靴が脱ぎ散らかされている。俺は部屋へ上がって、奥に進んだ。
廊下にはいっぱいになったゴミ袋が口を開けたまま、置かれていた。中にはコンビニ弁当の容器が無造作に放りこまれていて、生臭い匂いが鼻につく。キッチンの流し台は、汚れたままの食器で占領されている。
元々ものが多くて、その辺りに靴下が脱ぎ捨てられているようなことはあった。けれども、ゴミくらいはきちんと捨てていたハズだ。
足の踏み場を探しながら、手前にあるトイレや風呂を見回してみたものの気配はない。ワンルームだから、後は寝室だ。
「おーい」
そう言いながらゆっくりドアを開ける。何かにぶつかった。
祐輔だ。
カーペットの上で服を着たままうつぶせに倒れている。俺は慌てて、その身体を揺すった。
「おい、大丈夫か」
「うーん」
か細い声だが祐輔は返事をした。
良かった。とりあえず生きてはいるようだ。
俺は重たい身体をひっくり返して、何とかこちらを向かせた。しかし、祐輔は目をつぶったままだ。今度は顔を叩く。祐輔はむにゃむにゃ言いながら、やっと片目を半開きにして俺を見た。
「あれぇ? なんで貴史がオレの家にいるの?」
「弘樹に『お前が学校に来てない』って聞いたから、見に来たんだよ」
「ん、大げさだな。今何時?」
「もう六時過ぎてるぞ」
「なんだよ。まだ朝じゃん」
「朝じゃない。夕方の六時だ」
「マジで!?」
祐輔はさっきまでの寝ぼけ眼がウソだったかのように目をぱっちり開けた。俺は言葉を畳み掛ける。
「マジだよ。お前どうしたんだ。弘樹が『最近、授業中の様子がおかしい』って心配してたぞ」
「いや、最近バイトが忙しくてさ。きちんと夜寝れてないんだ」
その言葉が俺の頭にパチンとスイッチを入れた。声が震えて、どうしてもボリュームのコントロールができない。
「アホか。お前、何のためにバイトしてると思ってんだ。大学で勉強を続けたいからってお前言ったよな。それなのに、勉強できないくらいバイトを優先するとか。なに考えてんだ」
「で、でもさ。もっとお金を稼ぐためには服とか身だしなみとか、もっといっぱい投資が必要なんだよ」
「はぁ? それ、本気で言ってるのか。お前さ、この前から思ってたけどちょっとおかしくなってんぞ」
「ええっ?」
祐輔は「なんでそんなことを言われるのかわからない」とでも言いたげな顔だ。
「さっきも言ったけど、お前がバイトをしてる目的はあくまでも勉強のためじゃないのか」
「そうだよ、当たり前じゃん。そのためにがんばってるんだ」
「だろ。つまり、お金を稼ぐことは手段だ。なのに、お前はバイトのせいで授業を休んだ。手段のために目的を犠牲にするとか、本末転倒だろ」
祐輔は口を動かしている。だが、それはきちんとした言葉にならない。
「わかったみたいだな」
祐輔は無言で首を縦に振る。
「ったく、心配させんなよ」
「ゴメン」
「俺だけじゃないの。みんな心配してるんだぞ。弘樹も。美紀先輩だって」
祐輔の目は潤んでいた。カッとなって言ってしまったが、コイツにも事情はあるのかもしれない。俺は一度深呼吸してから、祐輔に尋ねる。
「まだ学費、ヤバいのか?」
「いや、実はそれなりにお金は貯まってきてる。でも、もっとあった方がいいかなと思って。だって、心配じゃん。この半年くらいずっとお金のことばっかり考えててーー」
そうか。今のバイトをはじめるまで、コイツは未来を切り開くために、ひとりでもがいてたんだ。大学を辞めるしかないと絶望したこともあっただろう。それが、思った以上にお金が入ってくるようになれば、おかしくなってしまうのも当然かもしれない。
「俺こそゴメン。正論ばっかで。お金に苦労させられたんだ。心配するのは当たり前だよな。でも、やっぱり今のままじゃーー」
「うん、わかってる。お前に言われて、ハッとした。確かに変になってたって。そうだよな。これからは出勤を抑えるよ。んで、目標額になったらさっさと辞める」
その返事に俺はホッと胸を撫で下ろした。
「よし、明日はちゃんと学校こいよ。あと、弘樹と美紀先輩にも連絡しとけ」
「弘樹はいいけどさ。美紀先輩には普段だってドキドキしちゃうのに。送れないよ」
「お前なぁ。そういうのちゃんとしろよ。まあ、俺からも報告しておくけど」
「わかった」
「じゃあ、俺は帰るから」
立ち上がろうとしたら、祐輔は俺の手をつかみ、握りしめた。
「今日はありがとう。貴史がいてくれて本当に良かった」
「おう」
祐輔の部屋を後にして、帰りの電車の中で俺は美紀先輩に無事だったことを連絡した。
しばらくして「何もなかったみたいで良かった。貴史くんもお疲れさま。今日はゆっくり休んでね」と返事がかえってきた。
本当に何もなくて良かった。
部屋で倒れている祐輔を見つけた時、最悪の事態が頭によぎった。あれが病気か何かで、手遅れになっていたらーー。そう思ったらゾッとする。
孤独死だなんて自分には縁遠いものだと思っていた。けれども、誰にでも起こりうることなのだろう。
それにお金のことだ。
俺も祐輔の変化に違和感はあったが、問題意識はなかった。先にリョウガさんから忠告がなかったら、今日も上手く説得できなかったかもしれない。
美紀先輩も、リョウガさんも本当にいい人だよな。なんだかんだいっていい人に囲まれているのは、祐輔の人間性のなせる業なのかもしれない。
にしても、本当にいろいろあった。これからは全てが良い方向に進んでくれたら。
そう願うばかりだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます