第8話

 バイトを終えて、外に出ると既に暗くなっていた。吹き付ける風に身を屈めながら、俺はスマートフォンをチェックする。

 サークルの飲み会がはじまるまで、まだ時間がある。さて、どうやって時間を潰そう? 

 祐輔とでも合流するか。

 連絡をしようとスマートフォンを操作した。けれども、その指が止まる。

 最近、祐輔が生活の中心になってないか。祐輔、祐輔って。勇人の言う通り「祐輔係」みたいだ。

 けど、それは仕方ない。だって、最近はいろいろあった。心配するのは、友だちとして当然だろう。

 そうだ。元々、祐輔とはよく二人でつるんでいた。仲が良いのは今にはじまったことじゃない。

 でも。

 あんなことをするまで、祐輔で変な夢を見たことなんてなかった。果たして、あいつに対する意識が前と同じって言えるんだろうか。

 わからない。

 自分の心に生まれた、この感情の正体はなんなんだろう。恋愛感情のような気もするが、そうではないような気もする。

 誰かに相談したい。けれども、身近な相手にするのはためらわれる内容だ。祐輔との話をする訳にはいかないのに、どう説明したら良いのかわからない。仮に上手くいっても、話した相手の俺を見る目が変わったら。

 変な想像をしたからだろうか。のどがカラカラだ。周りを見渡したら、前に祐輔と入ったカフェがあった。

 ちょうどいい。ここで時間を潰すか。

 俺はドアを開ける。だが、入口に店員さんはいなかった。店内を見回すといつもより客が多い。これだと待たされそうだ。どうしようか。店員さんを探していたら、見慣れた顔が見えた。

 リョウガさんだ。

 タブレットで何か作業をしている。向かいの席には誰も座っていない。俺が見つめていたからだろうか。顔を上げたリョウガさんは俺に気が付いて、手を振ってきた。見つかってしまっては仕方ない。俺は近くに行って、挨拶をした。

「貴史くん、久しぶり。今日は一人かい?」

「はい。この後サークルの飲み会で、時間を潰そうと思ったんですけど。この混み具合だと無理そうですね」

「ふぅん。その席、空いてるよ。良かったら座る?」

「でも、何かしてたんじゃないんですか」

「ああ。一段落ついて休憩しようかなって思ってたところだから、大丈夫だよ」

 どうしようか。この前の感じからすると、変なことは言うが悪い人ではない。それに祐輔のことでアドバイスをしてもらったお礼もした方がいいだろう。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 俺が席に座ると、リョウガさんは店員さんを捕まえてくれた。オーダーを済ませた後に、俺は姿勢を正して頭を下げた。

「この前、祐輔のことでアドバイスしてくださってありがとうございました」

「ん、何のこと?」

 俺はこの前あった騒ぎとその顛末についてリョウガさんへ説明した。

「そっか、そんなことがあったんだね。まあ、たいしたことにならなくて良かったよ」

「はい。リョウガさんと話をできていたおかげです」

「いやいや。貴史くんがじっくり考えて、物事をまとめられるタイプだからだよ。ショウもラッキーだね。そういう相手が側にいてくれると助かるんだ」

「本当ですか?」

「うん、僕にもそういうヤツがいてね。おかげで上手くいったこともある」

「へぇ。お友だちですか」

「というよりは腐れ縁みたいなもんかな。今の店で知り合って、もう何年だろ?」

 お店で知り合ったってことは相手の人はゲイなんだろうか。でも、スタッフだったら、祐輔みたいにゲイじゃない可能性もある。しかし、そもそも祐輔をゲイじゃないって言っていいんだろうか。どこまでしているのかわからないが、男と身体の関係はあるのに。けど、それでゲイなら俺もゲイだ。やっぱりそうなのか。

 いや、待てよ。

 前、会った時にリョウガさんは「最初は違った」って言っていた。仕事を通して、いろいろなセクシャリティの人にも会っているだろう。だとしたら、相談してみれば最近俺を悩ませている感情の正体を知るヒントくらいはつかめるかもしれない。

 とはいえ、どう質問したら良いだろうか。この前の調子だと、俺が男に興味を持っているって思われたらまずい気がする。

 俺は店員さんが運んできたブレンドコーヒーを受け取って一口飲んだ。

 うーん、仕方ない。祐輔を犠牲にしよう。

「あの、質問があるんですけど。いいですか」

「ん、何?」

「祐輔のことなんですけど。最近、あいつに何か変化を感じることってないですか」

「仕事は上手くやってると思うよ。また、何かあったの?」

「いや。あいつ、自分では『ゲイじゃない』って言ってるんですけど、実際はどうなんだろうなと思って」

「貴史くんの前では、何か変化がある?」

「ないです。でも、バイトで男の人としてる訳じゃないですか。最初は違っても、変わっていっちゃうんじゃないかなって」

「どうかな。お店にはゲイじゃないスタッフもいるけど、変わらない子は変わらないよ」

 そっか。したからといって必ずしも変わらないものらしい。とはいえ、本当にそうなのか。俺は更に疑問を投げ掛ける。

「でも、男とできる時点でゲイなんじゃないですかね」

「それは違うんじゃないかな」

「えっ?」

「だって、するってことと恋愛感情はイコールじゃないじゃん。好きじゃなくても、できるもん」

「けど、その因子がなかったら反応もしないんじゃないですか」

「刺激に対する条件反射ってあるからね。男に反応したからって、ゲイとは言い切れないよ。アブノーマルな状況に興奮しただけかもしれない」

 だとしたら、俺が祐輔を意識してしまうからといって「ゲイになった」とは言い切れないってことか。でもーー。

「だったら、どうやってセクシャリティを判断したらいいんですか」

「んー。それは結局のところ、本人がどう思っているかじゃないかな」

「本人が?」

「うん。セクシャリティってグラデーションだからさ。ゼロかイチじゃない。もっと流動的なものなんだ」

 リョウガさんはカップを手に取って、口を付ける。そして、続けた。

「だから、他人が決めた物差しを勝手に当てはめるのは違うと思うんだよね。だって、今の自分のことは自分にしかわからないじゃん」

「そんなもんですか」

「うん。だから、男とした経験があっても本人が『ゲイじゃない』っていうなら、それでいいんじゃない。まあ、あくまでも僕の意見だけどね」

 リョウガさんの言いたいことはわかる。けれども、それだとこのモヤモヤは晴れそうにない。

 リョウガさんは俺の瞳をじっと見つめている。まるで俺の内心を見透かすように、言った。

「そもそも相手が男だから、もしくは女だからって考えるから話がややこしくなるんだよ。どうでもいいじゃん、そんなこと」

「でも、それって大事じゃないですか」

「まあ、そういう人もいるだろうね。ちなみに、貴史くん自身はどうなの?」

「えっ? 俺ですか」

「うん。こういうことって自分に当てはめてみた方が、理解は深まるよ」

 相手の性別は関係あるのか。自分に問いかけながら、言葉を慎重に選ぶ。

「本質的には、関係ない。頭ではそう思います。でも、実際に男と付き合うかって聞かれたら。抵抗感はあります」

「ふぅん。それは生理的なもの?」

「いや、違います」

 祐輔を意識していること自体に対して、嫌悪感はない。だったら、俺は何を気にしているんだろう。これまで自分が抵抗感を覚えた瞬間をひとつひとつ思い出す。

「きっと。きっと、怖いんだと思います」

「何が?」

「周囲の目。人と違う道を選んで、後ろ指を差されること。あとは、自分自身がおかしくなってしまうんじゃないかって」

「そうなんだ。確かにそれは怖いよね。じゃあ、そういう心配をしなくて良いなら結論は変わる?」

 どうなんだろうか。たとえば、祐輔が女だったらこんなに悩まなかったかもしれない。けれども、その場合、今の関係はないだろう。だとしたらーー。

 考えている俺を余所にリョウガさんはタブレットをちらっと見て、立ち上がった。

「まあ、すぐには答えが出ないとは思うからじっくり考えたらいいよ。僕、そろそろ行くね」

「はい。話を聞いてくれてありがとうございます」

「最後は、自分の気持ちと向き合うことだね。そうすれば、答えは自然にわかるよ」

 リョウガさんは俺の肩を軽く叩いて、お店を出て行った。

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