第6話
声がした方を向いたら、ライトグレーのジャケット、黒地に細い白のストライプが入ったシャツの男が立っていた。髪の毛の色は明るく、ほのかにムスクの香りを身にまとっている。
「あっ、リョウガくん。そっちこそ何してるの?」
「ここ、僕のお気に入りなんだよね」
「へぇ、そうなんだ。ここはこいつ、貴史の好きな店で」
リョウガとやらが、俺の顔をチラっと見る。
「ふぅん。貴史くんとは趣味が合いそうだ。良かったら、ここ座らせてもらってもいい?」
「えーと。貴史、いいかな」
「いいけど」
そう言いながら、俺は「どういう知り合いなんだ?」と祐輔に目で訴えかける。
「バイト先で一緒に仕事しているリョウガくん。店一番の売れっ子なんだよ」
なるほど。芸能人と言われたら納得しそうなこのイケメンなら、当然かもしれない。
「ショウだってお客さんにけっこう好かれてるじゃん。僕もうかうかしてられないよ」
「オレの場合、マニアックな需要があるだけだもん」
「そんなこと言って、最近売上のトップ5に入っただろ。謙遜するなよ。で、ショウ。こちらは彼氏?」
「オレはゲイじゃないって言ってるじゃん。ただの友だちだって」
祐輔の「ただの友だち」という言葉に何故か胸がチクッとする。
「そうなんだ」
リョウガは再び俺のこと見る。まるで品定めをするような目付きだ。俺はその態度に何故かイライラする。その時、急に祐輔が立ち上がった。
「あっ、ゴメン。オレ、トイレ行ってくる。申し訳ないけど、ちょっと二人で話してもらってていいかな」
ヤツを見送り、リョウガがオーダーを済ますと、残された俺との間に沈黙が生まれた。
気まずい。場をつなぐために適当な話をしなくては。
「えぇっと、ショウってあいつのことですか」
「あぁ、ゴメン。いつも店でショウって呼ぶからさ。そうそう、ショウって彼のこと。ところで、貴史くんって彼のバイトのこと知ってるの?」
「はい」
「そっか。じゃあ、もしかしてショウが練習に付き合ってもらったのって、君のこと?」
あいつ、そんなことまでこの人に話しているのか。祐輔の無用心さにイラっとしたが、受け流すしかなさそうだ。
「まぁ」
「へぇ。友だちの頼みだからってよく引き受けたね。もしかして、実はコッチなのかい」
「違います」
「ふぅん。僕も最初は違ったけど、経験したらどっちもいけるようになったよ。貴史くんは、してみて目覚めなかったの?」
「生憎」
「そっか、残念」
どういう意味だろうか。考えたら負けな気がする。話題をそらそう。
「リョウガさんはあいつと仲良くしてくださってるんですね」
「うん、ショウとは仲良しだよ。二人でお客さんに呼ばれた時に初めて知り合って。その時に気が合って、話をするようになったんだ」
「二人?」
「そう、3Pコース」
突然の告白に俺は飲んでいたものを吹き出しそうになった。だが、リョウガは何でもないかのように続ける。
「ショウって普段は大人しい感じじゃん。でも、プレイの時は妙に色っぽく啼くんだ。それがかわいくてさ。つい構っちゃうんだよね」
リョウガは俺にだけ聞こえるように声をひそめる。
「リョウガさん、あいつとやったんですか」
「嫉妬かい?」
あたかも新しいおもちゃを見つけたかのような口振りだ。
「そんなんじゃありません」
「まあ、今のところたいしたことはしてないよ。でも、きちんと教育すれば本格的に目覚めちゃう気がするんだよね。ショウ、セックスは好きそうだから」
「あんまりあいつに余計なことは教えないでください」
「何を受け入れるかはショウが決めることであって、ただの友だちの貴史くんが口を出すことじゃないんじゃないかな。恋人ならともかく」
俺はどう反論して良いのかわからず、言葉に詰まってしまった。
「あはははは。ゴメン、ちょっと意地悪だったよね。まあ、多分彼は大丈夫。むしろ気になるのは金銭感覚の方かな」
「金銭感覚?」
「こういう仕事してると一日に何万も稼げる時がある。そうすると『ちょっとくらい使っても、後で稼げばいいじゃん』って金遣い荒くなっちゃう子がいるんだよ」
「確かにあいつ、ちょっとおかしくなってる気がします」
俺はさっきの洋服屋さんで感じた違和感について、リョウガに話した。
「そっか。ショウ、仕事でも最近けっこう簡単にタクシー使うようになってたから、『危ないな』って思ってたんだよね」
「あいつ、元々はむしろお金の使い方にはシビアな方だったんですよ。そんなに変わるものなんですか」
「うん、変わるね。お客さんが付くようになってくると簡単に稼げるからさ。お金のありがたみが薄れちゃうんだ。特にショウは最近売れっ子になったからね」
「こういうことってよくあるんですか」
「あるよ。昼の仕事が効率悪く思えるようになっちゃう子もいる。そうやって、この世界から抜けられなくなっちゃうのはよくあるパターンだね」
「そんな。俺はどうしたらいいんですか」
「こういうことって本人は自覚できないんだ。だから、何か気付いたんだったら、ちゃんと言ってあげなよ」
「わかりました。アドバイス、ありがとうございます」
「どういたしまして。お礼は身体で払ってくれてもいいよ」
まったく、この人は。でも、思ったよりもいい人なのかもしれない。
そう思っていたら、祐輔が帰ってきた。
「ずいぶん二人で楽しそうですね。何の話をしてたんですか」
「えっとね、ショウと貴史くんと僕で3Pしようって相談」
「もぉ、リョウガさんはまたそんなこと言って。貴史には迷惑かけないでくださいよ」
「ははは。僕はそろそろ行かなくちゃ。ウワサの貴史くんと話ができて楽しかったよ。お近づきの印にここは僕が払っておくね」
リョウガはそう言って、テーブルに置かれていた伝票をさっと取る。祐輔は慌てて取り返そうとしたが、後ろに隠してしまった。
「いいんですか」
「うん、大丈夫。後で身体で返してもらうから」
「じゃあ、自分で払います」
「冗談だって。ショウは真面目だな。僕の方が先輩だろ。僕の顔を立ててよ」
「でもーー」
「だったら、代わりと言ったらなんだけど。貴史くん、連絡先交換しよ」
何で俺? でも、この人だったら信用できそうだ。祐輔のことでまた相談することもあるかもしれない。だとしたら、つながっておいた方がいいだろう。
「いいですよ」
「ずるーい。リョウガさん、オレとは交換してくれてないのに」
「じゃあ、ショウとも。これでいつでもみんなで3Pができるね」
「しませんって」
二人そろって否定する。
連絡先を交換し終えたら「んじゃあね」と言って、リョウガさんは笑顔で手を振って行ってしまった。俺は祐輔に話し掛ける。
「変わった人だけど、いい人そうだな」
「そうだね。あんな感じだけど、リョウガさん、けっこう苦労人なんだよ。だからなのかな。口では厳しいことも言うけど、優しいんだ」
「うん、わかるよ」
「それに格好いいよね。貴史もそうだけど、目力があってさ。オレ、整形して二重にしようかな。その方がお客さん増えそうじゃん」
「はぁ? お前それ本気で言ってんのか」
思わず声のトーンが下がる。
「ええっ、冗談だよ」
口ではいうものの、祐輔は俺から目をそらした。
コイツは。
こういうやり方は恵里がよくやる。本心では冗談だなんて思っていないヤツだ。って、あれ? 恵里と言えば、あいつと何か約束していたようなーー。
「あっ、やべっ。今日は恵里にチーズケーキ買って行かなきゃいけないんだった」
「じゃあ、そろそろお店出よっか」
俺たちは荷物をまとめて、店を出た。目的地のチーズケーキ屋は駅の方だ。祐輔も帰るというので、一緒に駅へ向かう。
「それにしても、貴史ん家って兄妹仲良さそうでいいよね。オレ、ひとりっ子だからうらやましいよ」
「そこまでいいもんじゃないぜ。特に『かわいい妹』なんて空想上の生き物だからな」
「そんなこと言いながら、貴史は面倒見いいじゃん。オレも貴史がお兄ちゃんだったら良かった」
「それはそれで楽しそうだな。でも、祐輔が弟だと厄介なお願い事ばっかりされそうだ」
「なんだよ、それ」
祐輔は口を尖らせた。
「まあ、兄弟だと今みたいな感じじゃなかったかもしれないから、これで良かったのかも。オレ、何でも話し合える相手って貴史が初めてなんだ」
祐輔は俺の瞳をじっと見つめる。そして、髪を手で触れながら、笑顔で言った。
「だから、オレにとってお前は大切な存在なんだぜ」
「ったく、しょうがねぇな。面倒みてやるよ」
「わーい」
貴史が俺に抱きついてくる。
バイトでお客さんに好かれるのはこういうところなんだろう。そう思いつつも悪い気はしなかった。
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