第3話

 かくして、俺は次の日も祐輔の練習に付き合う羽目になった。

 二回、三回としている中で、有料放送の助けを借りなくても俺の身体は反応するようになっていた。むしろ、パブロフの犬状態だ。

「ええーい、気持ちよければそれで良いのか」

 自分自身に訴えかけるが、素直なムスコは祐輔にすっかり手懐けられてしまったようだ。『親の心、子知らず』という言葉の重みをこの年で感じることになるとは思ってもみなかった。

 二日目の夜。「そろそろまたはじめるか」という雰囲気になった時、頭にひとつの疑問が浮かんだ。

「お前、同じ練習ばっかしてるけどさ。これだけで大丈夫なのか」

「マネージャーさんには『とりあえず、そのくらいできればいい』って言われたよ」

「へぇ。そういうものなのか」

「昨日も言ったけど、最初はいろいろできない方がリアリティがあっていいんだってさ。ゆくゆくはいろいろできるようになった方がいいみたいだけど」

「ふぅん、ゲイってケツでするもんだと思ってた」

「そうでもないらしいよ」

 なるほど。世間の想像とは違うものなんだな。感心していたら、祐輔は何かブツブツ言いはじめた。

「でも、ちょっとは練習しておいた方が良いのかな。変なオッサンで初めてを迎えるのもーー」

 し、しまった!

「いやぁ、さすがは貴史。頭いい。今晩で最後だし、いっちょ挑戦してみよっか」

 『墓穴を掘る』ということわざが、いろいろな意味で正に自分のための言葉だと実感することになろうとは。

 そうしてーー。


 あがっていた息が徐々に落ち着いてきた。真っ暗闇の中、俺は布団から起き上がる。何も音はしない。夜空に浮かぶ星だけが俺のことを照らしている。

 身体はベタベタだ。あの独特なにおいがまとわりついている気がする。一度、風呂に入った方が良いだろう。俺は脱ぎ捨てた浴衣を探し出して、袖を通した。

 さて、どうするか。

 露天風呂へ行くとしたら、人に会う可能性がある。今の状況でそれは嫌だ。部屋風呂を使った方がいいだろう。

 祐輔の方を見ると、まだ何も着ていないようだ。明かりは点けずに声をかける。

「俺、シャワー浴びるからな」

 返事はない。俺は手探りで部屋を出ると、風呂場に入った。

 鏡で自分の姿を改めてチェックする。跡になりそうなものはない。俺はハンドルでちょうど良い温度に調節して、シャワーを出す。

 備え付けられたボディソープは身体に残っている痕跡を見事に洗い流してくれた。まるでさっきまでのことなんて、何もなかったかのように。

 さっぱりして部屋へ戻ると祐輔も浴衣を着て、布団の上に座っていた。

「お前も入る?」

 俺が聞くと祐輔は無言でうなずいて、部屋を出て行った。

 さて。

 俺は電気を点ける。布団は乱れているものの思ったより汚れていなかった。これだったら、整えれば問題なく寝られるだろう。

 だが、空気は入れ換えた方が良さそうだ。窓を少し開けると、冷たい空気が部屋の中へ入ってきた。

 俺は窓際に置かれていた座椅子へ身体を預けて、何を見る訳でもなく外を眺める。

 どのくらい時間が経っただろう。襖が開く音がしたので、そちらを見ると祐輔が戻ってきた。

 俺が窓を閉めていると、ヤツは向かいの座椅子に腰をかける。そして、ようやく口を開いた。

「お前に、ここまで付き合わせちゃって。ゴメン」

「気にすんなよ」

「ありがとう。そういってくれると少しは気が楽になる」

「でも、ひとつだけいいか?」

「うん」

「何で俺だったんだよ」

「前も言ったけど、貴史はオレの実家の話を聞いてもいつも通り接してくれたじゃん。何かあってもコイツは態度が変わらないんだろうなと思ってさ」

「そんなの、俺だけじゃないだろ」

「あとはーー。サークル旅行の時に、オレがホテルを抜け出したの覚えてる?」

 俺たちが一年の頃だっただろうか。先輩からは「夜、外出しないように」と言われていた。

「そんなこともあったな」

「オレ、こっそり出掛けようとしたけど。お前にバッタリ会っちゃって」

「ああ」

 あの夜は眠れなくて、気分転換に小説でも読もうと場所を探していた。まさか誰かに会うと思っていなかったから、俺もびっくりしたのを覚えている。

「で、『どうしても行きたいんだ』って言ったら。貴史、黙って行かせてくれたじゃん。その時、お前は秘密を守ってくれる奴なんだなって思ったんだ」

「そんなことかよ」

「でも、実際にどう行動したかは、そいつが信用できる相手かどうかを判断するには大事だよ」

 祐輔は視線を窓の外へ向けた。そして、抑揚のない声で続ける。

「だって、口ではいくらでも取り繕えるから。それはこの半年でよくわかった」

「けどさ。身近な相手に頼むのは気まずい内容だろ。もっと距離がある相手に頼むとか考えなかったのか」

「でも、オレ。ゲイの知り合いなんていないもん」

「ネットで探せば見つかるんじゃないか」

「そりゃあ、いるだろうけどさ。全く知らない相手って信用できないじゃん。やっぱりリスク感じるよ」

「お客さんだって知らない相手だろ」

「その場合はお店に助けを求められるじゃん」

 今回のことはヤツなりに俺のことを信頼してくれた結果ってことか。にしてもーー。

「まったく。普通はこんなこと手伝わないぞ。感謝しろよ」

「だよな。貴史様様だよ」

 そう言って笑う祐輔はいつも通りだった。

「じゃあ、寝るぞ」

「そうだな」

 疲れていたのか、祐輔は布団に入るとそのまますぐに寝てしまった。

 ヤツは何もなかったかのような幸せそうな寝顔だ。それを見ていたら、この振り回された二日間の疲れがドッと出てきた。

 それにしても。

 さっき、してた時。何故、俺は祐輔にキスをしてしまったんだろう。ヤツの顔を見ていたら、自然と引き寄せられていた。

 そういえば、あの時の祐輔の顔はかわいかったなーー。って俺は何を考えているんだ。

 違う違う。

 そんなこと、感じる訳がない。きっと状況の雰囲気に飲まれただけだ。

 何はともあれ、少しでも祐輔の役に立てて良かった。これにて一件落着だ。

 じゃあ、俺もそろそろ寝ようか。

 そう思って布団に潜り込もうとした時、ふと祐輔の安らかな寝顔が目に入った。

 あれ?

 何故か胸の鼓動が早まった。

 俺はその正体を確認するために考えようとする。

 けれども、不意の眠気が思考力を奪いとっていく。

 全てが終わった安心感からなのだろうか。

 抵抗をすることもできず、俺は夢の世界へ沈んでいった。


 翌朝、目が覚めたら祐輔は既に浴衣から洋服へ着替えていた。

「貴史、おはよう」

「ああ、おはよう。今日は起きるの早いな」

「なんか目が覚めちゃって。そろそろ朝食の時間だけど、どうする?」

「行くよ」

 俺は身なりを急いで整える。

 今日の朝食はバイキング形式だった。あまり食べる気がしなかった俺は、サラダとフルーツを中心に取る。

 祐輔は出ている料理を全種類食べようとでもいうのか、皿からはみ出るくらい載せてきた。

「お前さ。またそんなに盛って。食べきれるのかよ」

「大丈夫だって。せっかくいろいろ食べれるんだから、もったいないじゃん。貴史こそ、そんなんでよく足りるよな」

「俺は朝からいっぱい食べると調子が悪くなるから、控え目にしてるの」

「ふぅん」

 当然ながら、俺は先に食べ終わってしまった。コーヒーをいれて、一息つく。

 祐輔の前には新しい料理が増えていた。一生懸命に掻きこんでいる。できる限り食い溜めをしようってつもりなんだろう。まるで木の実を頬張っているリスみたいだ。そんなことを考えたら、思わず笑いがこみ上げてきた。祐輔は不審そうな顔で俺を見る

「なんだよ。急に笑い出して」

「いや、何でもない」

「そんなことないだろ」

「いつも通りの祐輔だなと思ってさ。安心したら、つい」

「そっか」

 祐輔はさっきまでせわしなく動かしていた箸を置いた。俺の目をじっと見て、言葉を選ぶかのようにゆっくり口を開く。

「当分、バタバタすると思うんだ。けど、落ち着いたらさ」

「ん?」

「また、いつもみたいに旅行へ行こうよ」

「そうだな」

 前みたいに気軽な旅をまたコイツとしたい。俺は笑顔でうなずいた。

 食事が終わり、チェックアウトを済ませると、俺たちはそのまま一直線で家路についた。

 帰りの電車が走りはじめると、祐輔は俺に話し掛けてきた。

「そういえばさ。先週からはじまったアニメ見た? 土曜の深夜からやってる」

「まだ視てないけど」

「マジか。めっちゃ良かったよ」

「どこが?」

「オープニングからぎゅっと掴まれる感じでさ。そっからぐいぐい引き込まれんだよ」

「はぁ? 相変わらず訳がわかんねぇ説明だな」

「この良さは言葉じゃ伝えられないの」

「前も似たようなこと言ってなかったっけ?」

「いや、今回のはマジだって。そうだ。貴史、動画配信サイトに登録してたよな?」

「ああ」

「ちょうど先週の分が配信されてるから、視てみろよ」

 んー、どうしようか。だが、今の俺たちはどこに地雷があるかわからない。下手な話題がきっかけで微妙な雰囲気になるのはまっぴらごめんだ。とはいえ、家に着くまで時間はある。

 だとしたら、動画はお茶を濁すにはピッタリではある。少なくとも視ている間は、沈黙でも気まずい思いをしなくていい。幸いこの路線はフリーWi-Fiが提供されている。だから、通信量を気にする必要もない。

「わかったよ」

 俺は自分の携帯端末を操作する。イヤホンをねだる祐輔に片方を渡して、再生ボタンを押した。


 エンディングテーマが流れる中で、俺は呟く。

「これ、ヤバイな」

「だろ」

 そう答える祐輔は満足げだ。

「オープニングからして、格好良すぎるじゃん。それに途中で出てきたアレってさ、何か意味ありそうだよな」

「へ? そんなのあったっけ?」

「ああ。だってさーー」

 考察をはじめたら、話は尽きない。二人で語り合っているうちに、家の最寄り駅に着いていた。

 そうやって、俺たちは日常に帰っていったーー

 ハズだった。

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