第4話
真っ暗な街の中。自転車をこいでいたら、電灯の下で手を振る人影が見える。目を凝らしてみたら、祐輔だった。赤と黒のチェックの襟つきシャツにダメージジーンズ姿だ。俺は近付いて話し掛ける。
「何してるんだよ」
「ん。ちょっと暑くてさ」
祐輔は持っているアルコールのビンの飲み口に歯を立てて、中に入った液体を流し込む。テーブルに身体を預けて、俺のことを上目遣いで見た。胸元には首から下げられた金色のメダルが光っている。俺は何故だか目を逸らさなくてはいけない気持ちになった。
「ちょっと飲み過ぎじゃないか」
「そうかな。でも、そうかも。あれからオレ、おかしくなってて」
「あれからって?」
祐輔はクスッと笑う。
「わかってる癖に」
俺の答えなど待たずに、ヤツは胸のボタンを右手だけでひとつ、ひとつ外していく。そして、白い肌がすっかりあらわになった。
「思い出したら、無性に欲しくなるんだ」
祐輔は俺の手を取り、その鼓動を確認させる。
「貴史はそんなことない?」
耳元で呼吸音が荒くなっていく。鼻の頭をざらりとした湿り気が撫で上げた。俺は祐輔に押し倒されて、深い闇の中へゆっくり沈み混んでいくーー。
「わん」
目を開けたら、俺のことを舐めていたのは飼い犬のジョンだった。妹の恵里が散歩へ行った後にきちんとつないでおかなかったんだろう。
「わかった、わかった」
ジョンを制止しながら、俺は身体を起こす。今日はまた新しいバージョンだったな。この前は祐輔がナース服だったから、もっと早く夢だと気が付けたんだが。
にしても、俺は欲求不満なんだろうか。旅行に行って以来、こんな夢ばかり見ている。それだけじゃない。あの二日間を思い出すと自然に身体が反応してしまう。
もしかして、俺はゲイになってしまったのだろうか。
いやいや、そんなバカな。
打ち消すようにテレビを点けたら、男性アイドルが半裸ではしゃいでいるシーンが映った。南国リゾートのCMのようだ。当然ながら、俺の身体は何も反応しない。
ほら、みろ。俺は変わってない。そうだ。きっと非日常的な経験をしたことで、意識過剰になっているだけだろう。時間が立てばいつも通りに戻れるに違いない。だから、まだ大丈夫。なハズだ。
自分に言い聞かせて大学のサークル部室へ行ったら、ちょうど祐輔がいた。
「貴史、おはよう」
いつも通りの祐輔だ。意識し過ぎないように返事をする。
「おう、おはよう。って、なんか懐かしいな。こうやってお前と部室で会うのって久しぶりだったっけ?」
「ああ、そりゃあね。旅行サークルなのに、旅行へ行けないんじゃ居場所ないもん」
「でも、うちのサークル、そんな真面目に活動してる方じゃないだろ」
「そうは言ってもさ。みんな気使うじゃん。オレだって、自分が行けない旅行の話を聞いてても楽しくないもん」
「まあな」
祐輔は部室の中をチラチラと見渡した。
「それにしても、この部屋いつも綺麗だよな」
「美紀先輩がいつも片付けてくれてるから」
「本当にマメだよな。オレの部屋も掃除して欲しい」
「確かにお前の部屋は酷いよな」
「うるさいなぁ」
祐輔の抗議を俺は笑いで流す。そういえば、ちょうど部室にいるのは俺と祐輔だけだ。バイトの様子を聞くなら、今だろう。
「そういえばさ。お前、例のバイトは順調なのか」
「ん? ああ、アレね。おかげさまで学費は何とかなりそうだ。余裕ができて、こんな風に部室にも顔を出せるようになったよ」
「良かったじゃん。じゃあ、お前まだあのバイト続けてんの?」
「もちろん。慣れちゃえば、どってことなかったな」
「ふぅん。そうなのか」
「結局のところ、普段自分がやってることを手伝ってるって感じだから。なんかかわいいなって思っちゃうこともあるよ」
それはどういう意味なんだ? 祐輔はゲイじゃないハズだ。けれども、身体を重ねているうちに目覚めつつあるかもしれない。もしかしたら、お客さんのことを好きになってるんじゃないか。俺は不安になって、探りを入れる。
「へぇ。お客さんのことを妙に意識したりとかしないのか」
「それはないって。オレ、ゲイじゃないもん。それにお客さんって、やっぱりおじさんが多いんだよね。そういえば、テレビに出てる◯◯っているじゃん」
「ああ、アナウンサーをやってる」
今朝、テレビで見たばかりだ。
「その◯◯がお客さんで来てさ。オレ、びっくりしちゃった。なんか気に入ってもらえたみたいで、また来てくれるって言ってたよ」
「世の中、わからないもんだな」
「だね。でも、オレもこの仕事をするまではよくわからないまま、怖がってた気がする。実際にはそれほど変わらないんだなって思った」
「ん? 何が言いたいんだ?」
「おっぱいが好きとか、お尻が好きとかあるじゃん。結局はそれとたいして変わらないなって」
「そうか?」
「だって、『好き』に明確な理由なんてないだろ」
「まあな」
言われてみれば、俺もタイプの相手が何で好きなのかについてきちんと説明できない。ただ、心が惹かれる。それだけだ。でも、それとこれを同じと言っていいんだろうか。
「オレはおっぱいが好きだけど、そうじゃない人もいるだろ。同じように同性が好きって人もいるだけなんだと思う」
「ふぅん。まあ、男女にだっていろいろな趣味があるからな」
「だろ。この仕事で『世の中、いろんな人がいるんだ』ってことが改めてわかったよ」
「ちょっとした社会勉強って感じだな」
「だね。もちろん、嫌なお客さんもいるけど。そういう意味では、女の子の気持ちがわかるようになったかも」
「どういうことだ?」
「エロ目的で見られるって、嫌な気持ちになることもあるんだよ」
「ふぅん。でも、そういう仕事だろ」
「それはそうなんだけどさ。好きでもない相手から、こっちがどう感じるのかなんてお構い無しに『エロい身体してるね』とか露骨なこと言われたら、嫌な気持ちになるって」
エロい身体。その単語にあまり意識していなかった祐輔の仕事中の姿が浮かびそうになった。俺は慌ててそれを頭の中から追い払う。そんな俺の妄想には当然気付かず、祐輔は話を続ける。
「で、思ったんだ。同じように女の子も気持ち悪いんだろうなって。オレも今まで女の子に対して無神経に『おっぱい大きい』とか思ってたけど」
「なるほど」
「どうして男はそういうところで、無神経になれるんだろう?」
どうしてなんだろうか。考えていたら、何かが引っ掛かった感触があった。
そういえばーー。
そうだ。あれは高校時代のことだった。当時、女の先輩から自分の水着姿をじっくり見られて「貴史くん、いい身体してるよね」と言われたことがあった。
決して彼女に悪気があった訳じゃないだろう。俺もその時は笑い話にして、誤魔化した。
けど、実際には上手く言葉にはできなかったけれども不快感らしきものがあった。
それと関係あるのかもしれない。俺は自分の仮説を確認するように、言葉を選ぶ。
「男って、人から性的な目で見られる経験が少ないから、それが嫌なことだって自覚しにくいのかもしれない」
「どういうこと?」
祐輔は首を傾げる。
「女性って男に対してあまり露骨にそういうことを押し付けてこないじゃん」
「確かに。言われてみたら、感じたことないな」
「だろ。男って自分がエロい目で見られているって意識する経験が少ない。だから、それが嫌なものだってわからないんだと思う」
イケメンだったら女性からそういう風に扱われることはあるんだろうか。だとしたら、イケメンにもそれなりの苦労があるのかもしれない。
俺の言葉に祐輔もうなずいている。それをみて、俺は話を続けた。
「でも、ゲイからは男も『見られる立場』になるだろ。実際にゲイのことを嫌う男っているじゃん。それは自分がエロい目で見られることに対しての拒否反応なんじゃないかな」
「そっか」
「だから、そこで感じることを『自分が女の子に向けている目とイコールかもしれない』って関連付けられたら、もっと女の子の気持ちがわかるんだろうな」
「なるほどね。やっぱり貴史って頭良いよね。オレも今まで勝手に女の子のことをエッチな目で見てたけど、これからは気をつけよっと」
「ああ。どこでも学べることってあるんだな」
「うん。でもねーー。もっと無償の奨学金がもらいやすかったらなって思うよ」
祐輔は深いため息をつく。
何か声を掛けようとしたが、後ろでガチャリとドアの開く音がした。振り返ると同じサークルの勇人が入ってきた。
「おぉ、おはよう。祐輔、久しぶりだな」
「久しぶり」
「お前、元気にしてたのか」
「うん。けっこう落ち着いてきたから、サークルにも顔出そうかなと思って」
「そうなのか。良かったな。それにしても、お前らいつも一緒だよな」
「オレたち親友だからね」
祐輔が応える。
他のメンバーも続々入って来て、祐輔がいることに気が付くと話し掛けてきた。美紀先輩なんて祐輔のことを抱き締めた。それを見て、近くにいた先輩たちが小声で話はじめる。
「祐輔、うらやましいな。おれもあのエロい身体で抱き締められたいよ」
「ほんと、たまんねぇ」
確かにこういうのは不愉快だ。
祐輔は美紀先輩と話し込んでいる。手持ちぶさたになった俺はスマートフォンをチラッと見た。そういえば、次の時限は授業だ。俺は部室を出て、教室へ向かう。
祐輔のバイトはどうやら順調で、何とか大学も続けられるみたいだ。俺もヤツに協力した甲斐があったというものだ。
けれども、さっき祐輔が勇人に俺たちの関係を「親友だ」と言ったことにモヤモヤしてしまった。
前はそう言われて、気恥ずかしいながらもうれしかったのに。いったい俺はどうなってしまったのだろう?
授業には行ったものの、講座の内容は全然頭の中に入ってこない。答えが出ない問いが頭の中をグルグルと周り続けて、気が付いたら授業が終わっていた。
ダメだ、ダメだ。気分転換にコーヒーでも飲もう。自動販売機を探していたら、スマートフォンがメッセージの受信を伝える。
祐輔からだ。
「さっきは話が途中になっちゃってゴメン。そういえば新しい服を買いに行きたいんだけど、今度の日曜日とか時間ある?」
今度の日曜日は特に予定はなかったハズだ。親が外出しているから、犬の散歩に行く必要はある。けれども、それは妹の恵里に頼めばいいだろう。
「多分大丈夫だ。何時に待ち合わせする?」
「十一時くらいに駅前で」
「了解」
メッセージを返して、俺はすぐ恵里に連絡した。
「今度の日曜日出掛けるから、ジョンの散歩頼む」
「えぇ? 私も予定あるんだけど」
「この前、代わってやっただろ」
「急に言わないでよ」
「お前の好きなあの店のチーズケーキ買ってきてやるからさ」
「ラッキー。じゃあ、しょうがないから行ってあげる。ところで、誰と出掛けるの?」
「祐輔だよ。前に家で会ったことあるだろ」
「あぁ、あのちょっとのんびりした感じの。お兄ちゃんたち、仲いいよね。男友だちと遊ぶのもいいけど、いい加減彼女でも作ったら?」
うるせぇ。そう思ったが、そのまま返してへそを曲げられても困る。
「まあ、そういうのはご縁だからな」
「そんなこと言ってるから、なかなかできないんだって。高校の時にひとりいたくらいじゃん」
「お前だって、今の彼氏だけだろ」
「私は現在進行中だからいいの。まあ、どうでもいいけどね。ジョンは任せといて」
「よろしく」
もし、恵里が祐輔とのことを知ったらどう思うんだろうか。
昔は男同士の恋愛小説を読んでいたから理解はありそうだ。友だちとそんな本を回し読みして、きゃあきゃあ言っていた。
とはいえ、すぐ飽きていたようだから非日常なシチュエーションへの物珍しさのような気もするが。
実際、今の彼氏と付き合いはじめてからは彼が第一優先事項になっている。
まあ、祐輔とは付き合っている訳でもないのだから、この件について話すことはないのだがーー。
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