第9話
「はあ……」
真夜中、国道沿い。
秋の夜の冷たい空気が、酔ってほてった頬に気持ちいい。
「えらい目にあったな……」
最終的に人語を話せなくなった詩羽先輩と英梨々をなんとかなだめるべく、他のメンバーに協力してもらって。
「あなたがいるとややこしくなるから」と、恵にコンビニへ買い出しに行くよう指示されて。
ひとり、夜の池袋を歩いている。
夜の通りに人気はなくて。
車だけがひっきりなしに走ってて。
それなのに、どこか静かで。
さっきまでの喧騒が、ウソみたいで。
でも。
部屋に戻ったら、それはウソではなくて。
あの、賑やかなメンバーが、待ってるはずで。
やっと、やっとだ。
プルル……プルル……。
「ん?」
感慨に浸ろうとして、これまでの長い道のりを振り返ろうすると、ポケットに入れていたスマホが鳴り出した。
取り出して見ると、画面には『伊織』と表示されている。
「おう、どうした?」
『ああ、智也君。わるいんだけど、氷堂さんが豪快にビールをこぼしてしまってね。それで、替えの下着を買ってきてほしいんだ。下だけでいいよ』
「なにやってんだあのばか。りょーかい」
『サイズはSでいいそうだ』
「あ、おう、りょうかい」
サイズのことなんて考えてなかった。
そういう細かいところに気がつくんだよな、伊織は。
『まあ、本人はいらないって言ってるんだけどね』
「なに言ってんだあいつは」
ていうか女性ものの下着買うのちょっと恥ずかしいな……。
『それじゃあ、よろしくね』
「ああ……あ、そうだ。ちょっといいか、伊織」
『なんだい?』
電話を切ろうとして、慌てて引き止める。
「今回の件……詩羽先輩とか、英梨々とか、紅坂さんとか、マルズとかと、ずっと前から調整のために話し合ってたこと……恵も言ってたけど、なんで相談しなかったんだ?」
蒸し返すと、また恵の機嫌がわるくなりそうで言い出せなかったことを、せっかくなので聞いてみる。
『その答えは、もう言ったはずだよ』
「そうだけどさ……会社的にも、けっこうでかい話だろ? 一言くらいあってもいいじゃねえか」
『現場を混乱させないための、僕なりの親切だよ。それに……』
そこで一瞬、空を仰いだような、そんな間があって。
『僕たち7人が集まった、真のblessing softwareの門出は、感動的なものじゃないといけない』
「はあ?」
わけのわからないことを言い出した。
『それが、企業間でのクリエイターの取り合いから始まるんじゃ、興醒めだろう? 僕たちが全員そろう感動的な再会のためのお膳立てをする、そういう華のない裏方仕事をこなすのが、僕の役割だよ』
「伊織……」
そうか。
俺が、俺たちが、この日をどんなに焦がれてきたか、伊織は知っている。
だから。
「そうだな……感動的じゃないと、いけないよな」
『そうだよ、智也くん』
「……サンキューな」
『どういたしまして』
こいつなりに、俺たちのことを気遣ってくれてたんだな。
「とはいえ、恵は相談されないの嫌がるから、今回みたいのはほどほどにしてくれよ」
『わかっているよ。君の彼女の重さは承知しているさ』
「……それ、恵の聞こえる所で言うの、ほんとやめれな」
◇
「まったく、トモのことになると、相変わらず見境ないね先輩は」
智也と恵の新居の、そこそこ飲み会の片付けがされた居間。
なんのかんので腐れ縁がつづいている2人が、ゆっくりと呑んでいる。
「うるさいわね。ちょっと取り乱しただけじゃない」
さすがにやりすぎたと思ったのか、詩羽はちょっと顔を赤らめ、照れ隠しをするようにグラスを傾けた。
「もーさー、いいかげん、踏ん切りつけなよ〜。トモは加藤ちゃんのものになっちゃったわけなんだから」
「うるさい」
そっぽを向く詩羽。
「そんなのわかってるわよ。ただ、ちょっと、ちょっとだけ、未練があるだけ」
「同じセリフ、この6、7年は聞いてるんだけど……」
あきれて、美智留がため息をつく。
「あたしが言うのもなんだけどさー、トモよりも良い男、世の中にはいっぱいいるよ?」
「知ってるわよ」
「トモってけっこう自己中だし、前しか見てないし、そのくせチキンだからすぐ周りに頼るし」
「ほんと、バカみたいね」
その、バカ、が、件の人物のことなのか、それとも自分のことなのか、それはわからなくて。
「でも、そんなバカが、そんなに、嫌いじゃないの」
「うわ~、センパイ、超イタい~」
美智留がひやかしても、詩羽は歯牙にもかけず、
「あの2人をどうこうしようなんて、今さら考えてないわよ。ただね、昔、私が恋をしていたことを、そして、恋をされていたことを、ときどき、ときどきでいいから、思い出したいの。それが、今の私の、出発点だから」
思いの丈を、こぼしてしまう。
「だから、つぎに進むのは、もうちょっと後でいいの。この痛みが、まだ私の中にあってくれているうちは」
「うわー、先輩ってほんと頭んなか乙女だよねー」
「……なんだか、ずいぶん昔に投げたブーメランが、またしても返ってきた感じね」
「あ〜あ、ノロけ聞かされたら熱くなっちゃった〜。ベランダ行っこ〜」
◇
「ふぅ……」
「はぁ〜いい湯だわ〜」
「なんか、ずっと前の大晦日に、こうしていっしょに入ったよね」
「……うん、そうね……なつかしい」
「…………うん」
「………………」
「………………」
「……ねえ、恵」
「ん? なに、英梨々?」
「結婚のこと、なんで、黙ってたの?」
「………………それは」
「メールでも、電話でも、言ってくれればよかったのに」
「……そういうので言いたく、なかったんだよ」
「じ、じゃあ直接会って……」
「英梨々、イギリスのお父さんとお母さんに会いに行ってて、しばらくいなかったから……」
「た、たしかに……」
「でも、ごめんね」
「……いや、謝ってほしいんじゃ、ないから」
「……それでも、ごめんね」
「それ、何に謝ってるの?」
「それは……」
「そういうのは、あんたたちが付き合ったときに、やったよね?」
「うん……」
「だったら、なし」
「……うん」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「……あ〜、もうっ」
「えっ?」
英梨々がざあっと立ち上がって、恵の頭をつかみ、湯船に沈める。
「わっ、ぶっ、ちょ、英梨々っ、!?」
「あんたは、ほんとっ、めんどくさいんだから!」
「ぶっ、ぷっはあっ……はあ……はあ……」
「あのね、恵」
息を切らしながら、お湯の中から顔を上げる恵。
その目にうつる親友は、とても、とても、優しい目をしていて。
「おめでとう」
「英梨々……」
優しい言葉を、かけてくれる。
「あんなやつとだなんて、ほんと、バカね」
「……それは、わたしもというか、なんだかなぁ、っていうか」
「でも、すっごくうれしい」
「…………っ」
「ほんとだよ。恵と智也がそうなって、すっごくうれしい」
英梨々が、天井を仰ぎ見る。
しかしその目には、かつてのような後悔はなくて。
「だから、おめでとう……ね?」
にっこりと、最高の笑顔で。
これ以上なく、可憐な笑顔で。
「……ありがとう、英梨々」
親友を、言祝ぐのだった。
「………………」
「………………」
「………………そうだ、恵」
「ん? なに?」
「ドバイに引っ越しましょう」
「…………ごめん、意味がわからない」
「ドバイに、智也と一緒に引っ越しましょう。たしかパパの知り合いがあっちで不動産扱ってたから、融通してくれるわよ。それで引っ越したら、私と恵と智也、3人で結婚するの! 一夫多妻制だからぜんぜんオッケー!」
「英梨々、なんだかいろいろ、ぜんぜんオッケーじゃないと思う……」
「そうだ、そうよ! それっきゃないわね! なんなら詩羽も、態度次第では入れてやらないでもないわね! もちろん使用人としてだけど!」
「……お酒飲んだあとの長風呂は危ないから、そろそろ出よ?」
◇
その頃、ベランダでは……。
「はあ……」
「どーしたの妹ちゃん、ため息なんかついて?」
「アニメ版の第二期あたりから薄々察してはいましたが、正妻戦争には参加できず、劇場版でも相変わらず影薄かったですね、私たち……」
「ちょ、ちょっと、私たちって言わないでよ! あたしはちゃんと、劇場版のいっちゃん最初のシーンでめっちゃくちゃ目立ってるから!」
「でも、そこだけですよね? みんな智也先輩との二人きりのシーンがあるのに、私たちだけないですよね……!」
「いやいや、霞ヶ丘先輩だって、大人の事情で削られてるから…………妹ちゃん、ほんと人の痛いところを突くのがうまいね…………」
「でも、でも! だっていうのに、まさか二次創作での出番まで少ないとは思いませんでしたよ! もう、私たち、このままみんなから忘れ去られてしまうんでしょうか……!?」
「だから私たちって言うなぁぁぁ~!!」
「……まあまあ、二人とも。僕なんて、正規メンバーであるにもかかわらず、原作では一度も表紙になってないし、劇場特典の色紙にもなってないし、キャラソンもないし。おまけに、劇場版Cパート前半で登場したかと思いきや、ラストシーンの乾杯からはハブられていて。それでもメンバーとしての矜持はあったんだけれど、まさか、Fes.Fine.で、1人だけスタジオへ呼ばれずにビデオ出演で済まされるとは思っていなかったよ…………それに比べたら、十分、高待遇だとは思わないかい……?」
「お、おにいちゃん!?」
「あー、さすがにそれは同情するわ〜……」
………………おしまい。
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