第7話

「待ちなさい」

 と。

 町田さんの本気なんだか冗談なんだかわからない話に、脇から俺を押しのけて、詩羽先輩が割り込んできた。

 ちょっと近いっていうか、なんか、腕にあたって……。

「聞き捨てならないわね、町田さん」

『あら詩ーちゃん。締切大丈夫なの?』

「………………………………大丈夫よ」

「ちょっとなにその間!?」

「あんた、もしかして、あのバカみたいなシナリオ劇場版Cパート書いたの、現実逃避のため?」

「……………………そんなことないわ。でも英梨々はちょっと黙ってて」

 図星だな……。

『それで詩ーちゃん、なに?』

「あのね、町田さん。これから倫理君は私たちとのゲーム制作に没頭してもらわなくちゃならないの。そんな過去作の書籍化なんて、している暇はないわ。あとその呼び方、いい加減やめてください」

『あら、そう? 都内の好立地にオフィスを構えて、アプリゲームからの収入だけじゃ開発費足りないんじゃないかしら』

「いや、あんたネット情報でしかうちのこと知らないんじゃなかった!?」

 金欠なのなんで知ってんだ。

 おそるべし敏腕編集長。

『ゲームの開発、それも霞詩子&柏木エリの再タッグを迎えての新作。そんなビッグタイトル、いったい開発にどれくらいかかるのかしら? その間に払う家賃とか、お給与とか、広告宣伝費etc…いまのblessing softwareの経済力で、十分な開発体制と言えるのかしら?』

「うっ……」

 めちゃくちゃ痛いところを突かれた。

 もちろん、7年ごしの、この夢を叶えるために、たくさん、準備をしてきた。

 生ぬるい覚悟で、今日この日を迎えたわけじゃない。

 でも、正直、ちょっと見切り発車というか、企画はいいんだけど、お金はちょっと借り入れしなきゃかなあとか、そういうことを考えてたのは事実で……。

『お金はあるにこしたこはない、というかなきゃダメよね。少なくとも社長である以上、自分のことは捨てても、社員と会社を守る義務がある。書籍化の話、悪くないと思うけど?』

「う、う〜ん」

 さすがは、落としのウタさんの兄貴分。

 言い逃れができない。

『ま、いますぐ返事はいらないわよ。とりあえず今月中にご連絡お待ちしてますってことで』

「は、はい……」

 なんだかこのまま流されて引き受けてしまいそうだ。

『そ・れ・と』

 おもむろに、町田さんが目を細める。

『私のあずかりしらぬところで、ウチの先生が休む間もなく大きな企画に巻き込まれかけてるみたいなんだけど?』

 げ、伊織。

 紅坂さんの件、町田さんには話し通してなかったのかよ。

「ええと、それは……」

「……僕の認識では、霞詩子先生は不死川書店と専属契約はしていないし、貴女も専属のマネジメント契約をしているわけではない……つまり、彼女はフリーの作家です。どのような依頼を請けるかの判断は本人がすべきだし、企業との契約管理も本人が判断することであって、我々が彼女に依頼をすることにしろ、他企業との合議にしろ、他社の、それも一介の編集者に、相談すべきだとは思いませんが」

『書面契約だけがすべてではないわよ』

 伊織〜、町田さんは一介の編集者っていうか、編集長だぞ〜、というツッコミを入れたいが、そんなこと言える雰囲気ではない。

「慣例をおろそかにはしていませんよ。通すべき筋は通しています。けれど、町田苑子さん、はっきり言いましょう」


「あなたは、霞詩子に過保護すぎる」


「彼女がデビュー間もない新人作家であれば、もちろん、僕としても、貴女へ話を通すべきだと考えます。しかし、」


「霞詩子は、デビューから十年近く経っている。作家として、もうとっくに、独り立ちしているんです。事実、朱音さんだって、オファーについてはあなたの了承なんて取っていないはずですよ」


「僕は貴女の仕事を評価しています。霞詩子を見つけたその見識、そして精神的に不安定な部分があった10代の彼女をサポートし、クセのある彼女に敵を作ることなく、世間へ実力を認めさせた手腕を、高く買っています」


『……お褒めに預かり光栄ね。でも、あなたのような若造に、そんな口を聞かれる覚えはないんだけど?』


 ひぇっ。

 と、小声で叫んだのは俺だけじゃなかった。

 そのくらい、町田さん、キレてる。

 ……詩羽先輩がちょっと青ざめてるくらいだから、どれくらいキレてるかはお察しください。

 美智留ですらギター弾いてないからな。

「これは、失礼いたしました。社会においては、年齢ではなく、実力で評価されるべきだ、なーんて、若気の至りで、勝手に思っていまして」

『へえ、そうすると、弱小零細企業のプロデューサー様が、大手出版社の編集長と同じ立場で話し合えると?』

「ええ、曲がりなりにも、取締役なので」

『ふ〜〜〜ん』

「それに、つい癖で」

『癖?』

「オタクっていうのは、上から目線で評価してしまう、そういう癖が、身についているものでしょう?」


『……なるほど。そういう逃げ、ね』


『あなた、逃げるの下手でしょう?』

「うちは元を辿れば尾張の武士なので」

『こんど、である私と、夕食でもどうかしら?』

「喜んで」

 俺は絶対その席につきたくないな。


『ぷっ、くっ、はははははははは!』

「……ん?」

 と。

 伊織と町田さんのオンラインボクシングが終わったと思いきや、突如、謎の笑い声が画面越しから響いてくる。

『言うね〜、いやほんと、伊織を手放したのが、今さら惜しいな、ははっ』

『ちょ、ちょっと、あんたは黙ってなさいよっ』

『いやいや、お苑もまあ言い負かされちゃって。はっはっはっ』

『言い負かされてないから。あとほんとそろそろ黙れ』

『まあまあお苑、ちょっと貸せよ』

『ちょ、ちょっと』

 スーツ姿の町田さんがグイッと画面外に押し出され。

 代わりに、かつては長かった髪をばっさり切ってボブヘアーになった、タンクトップの狂犬が乱入してきた。

『おー、少年。オナニーしてるか―?』

「出だしから最悪だなあんた!!」

 オタク業界の生ける伝説、紅坂朱音。

 ていうか少年言うな。もうちょっとでアラサーだよ。

『そう邪険にすんな、こちとら〆切当日に3作品仕上げたばっかで死にそうなんだ』

「あいかわらず無茶やってますね……また病院に担ぎ込まれても知りませんよ」

『いや病院行くのも悪いもんじゃないぞ? あれ以来両手が使えるようになったからな。おかげで作業スピードが二倍になった』

「いやそれ計算おかしいでしょ!?」

 まさか両手にペン持って同時に別々の漫画描くとかやってないよな。

 ……やって……ないよな?

『ま、ほどほどにやってるよ。私も良い歳になったからな、昔ほどに無茶が効かなくなった。それにあんまり徹夜続けてると、旦那に無理やり布団に押し込まれるからな』

「徹夜で能率上がるの、30台前半までですから。それ以上は早死するだけで効率悪いですよ。良い歳なんですから、せめて2時までには寝て……」

 紅坂さんの相変わらずのむちゃくちゃさを諫めようとした矢先、俺の脳みそが停止する。

 なんかいま、奇妙な単語を聞いたような……。

『そう言うな。お前ジ○リの制作秘話とか読んだことあるか? 実際、70年代〜90年代を駆け抜けてきたアニメーターたちの体力なんて私ですらぞっとするくらいで』

「あの、さっき、なんて言いました?」

『あ? だからオナニーを……』

「そこまで戻らなくて良いから! 旦那がどうとか言ってなかった!?」

『ああ? 言ったかもな』

「あ、あの、結婚、したんですか……?」

『ああ、したぞ。あれは今から36万……いや、1万4千……先月だったかな? 覚えてないが』

「覚えててよ!? ていうか初耳だよ!?」

 あまりの驚きに助けがほしくて周りのみんなを見回すと、全員がフリーズしていた。伊織ですら。

 ……ただ、約1名、紅坂さんのことを全く知らない極楽とんぼだけが「おお〜」なんて適当な歓声をあげて拍手してるが。

 ああ、まあ劇場版の焼肉屋で同席してたから、全く知らないわけじゃないか……。

「なんていうか……ええと……おめでとうございます……?」

『おー、祝儀は仕事で払ってくれ。開発延ばすつもりは一切ないからな。お前らがどんな状態であっても、霞詩子と柏木エリはこっちにぶっこむからな。もちろん、お前たちもだ』

「え……あ、……はい」

『前に飲んだ時(GS2)、創作に全部つぎ込むって言ってたの、どこの誰よ……!』

 固まって二の句も告げない俺に代わって、画面外にいた町田さんが叫んでくれる。

『い~じゃね~か、人間なんて、そんなもんだろ。ありえないなんて、ありえない、んだよ。それに嘘はついてないぞ? 創作に全部つぎ込んできた。これまで通り、全力でな。ただ、その過程でたまたま伴侶ができただけだよ』

『うぐぐぐぐぐぐ』

『ていうかそのことはお苑だってわかってるだろう? 創作のペースを落とさず、質を上げて、信者を増やす。こちとら有言実行が信条だ、手を抜いたつもりはね〜よ。この世界で生き残ってくんなら当たり前だ……ま、世の中には、最終巻のラストシーンで大学受験とサークル活動両立させて伝説作る、なんて自分の女の前で豪語したっつうのに、結局モノ作りまったくできないまま受験勉強に追われて、言ってることとやってることがぜんぜん噛み合わねー、みたいなのが代表やってるサークル上がりの企業が新進気鋭()とか注目されてたりもするわけだけどな〜」

「ちょっとどさくさにまぎれて俺の古傷えぐらないでよ!?」

 あとなんでそのこと知ってんの!?

『……ま、そーいうわけで』

 と、さっきまで砕けた調子だった画面越しの紅坂朱音が、碇ゲ◯◯ウみたいに手を組んで、不敵に笑った。

『さっきも言ったが、こちらとしては期限を譲歩するつもりは一切ない。お前らがどんな状態になっていようと、こっちの製作には全力で取り組んでもらう。お前らが壊れようがどうなろうが知ったこっちゃねえ』

「…………!」

 久しぶりに見た、狂人の目。

 創作のことしか考えてない、狂った神。

『せいぜい、潰されねーよう足掻くんだな』

 傍若無人で、自分の作品のことしか考えてなくて。

 いつでも最前線にいて、いつでも成長しつづけていて。

 結果を常にだしてきた、生ける伝説。

 そんな人と、創作なんて、昔の俺だったら、尻尾巻いて逃げ出してる。

 ……でも。

「……もちろん、そのつもりですよ」

 今は、違う。

 今なら、逃げない。

「それより、紅坂さんこそ、俺らに飲まれないよう、気をつけてくださいよ?」

『はっ、言うじゃねえか』

 だって、俺たちだって。

 ずっと、走り続けてきたから。

「そのとおりよ、紅坂朱音。うかうかしてると、あんたなんてエンドクレジットのずっとずっと下の端役になっちゃうんだから」

「私たちがいつまでもあなたの背中を追ってるとは思わないことね」

『そりゃ楽しみだ。それでこそ……潰し甲斐がある』

「そ、そんなこと言ったって、怖くなんかないですからね! だって、こっちには、もっと怖い恵さんがいるんですから!」

「出海ちゃん……?」

「ま、僕らも、もうあなたのすぐ後ろまで……いや、もう肩を並べてる、そういうところまで来てるってことです」

『……伊織にそこまで言わせるか。こりゃ面白くなってきたな。あっはっはっはっ』

 俺の……いや、俺たちの、ちょっと前のめりな宣戦布告を、紅坂朱音が楽しげに笑う。

『まあ、なんだ。御社との仕事、楽しみにしてるよ』

「はい。こちらこそ、楽しみにしてます」

『ま、その前に、新作か。発売日に買って、その日のうちにクリアして、そのあとぼっこぼこにしてやる』

「……これから一緒に仕事する相手にそれはどうかと思いますよ」

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