第53話

 (※ヘレン視点)


「証拠なら、ありますよ」


「え……」


 私はお姉さまの言葉に、驚いていた。

 お姉さまは私に、袋に入っているあるものを見せてきた。


「証拠は、これです」


 そう言ったお姉さまがその手に持っていたのは、腕時計だった。


「そ、それは……、どうして、それが……」


 私の声は、震えていた。

 なくなっていたことには、気付いていた。

 でも、いつ、どこでなくしたかまではわからなかった。

 古いものだから、どこかでベルトがちぎれて落ちたのだろうというくらいにしか、考えていなかった……。


「あなたも知っての通り、この腕時計は、元々は私のものです。でも、それをあなたが奪った。そして、いつも見せびらかすように、この腕時計をつけていた……。そして、この腕時計が見つかった場所が、お母様がいた部屋なのです」


 その言葉を聞いて、私は震えていた。

 まさか、お母様の部屋で落としていたなんて……。

 ということは、まさか、#あの時__・__#に落ちたの?


「お母様の死因は、窒息死でした。あなたが、お母様の息を止めている間、お母様も必死に抵抗したでしょうね。当然、あなたの腕をのけようとしたのでしょう。その時に、腕時計のベルトがちぎれて、床に落ちたのです。でもあなたは、必死になっていたから、そんなこと、気付かなかった。私も最初に資料で見た時は、気付きませんでした。その時には、お父様が偽装工作をしたせいで、床にもたくさんのものが散らばっていましたからね。でも、四人でお店に入った時、アンドレさんが腕の話題を出しましたね。あの時は、あなたのことではなく、殿下のことでしたが。でも、私はそのことがきっかけで気付いたのです。あなたの腕にも、少し傷跡が残っていることに……。そして私は、資料を見返して、真相に気付いたのです」


 私はお姉さまの言葉を聞いて、震えていた。


 とうとう、事件のことが、バレてしまった……。


 確かに私の腕には、傷跡が残っている。

 私はそのあとを眺めながら、あの日のことを思い出していた。


 あの時の私は、この世の終わりを告げられたような心境だった。

 お母様が翌日に自白しようとしていて、私はそれに反対だった。

 だから、なんとか阻止しようとした。

 お父様が家から出て行った後も、必死に、お母様を説得した。

 でも、お母様は私の言葉に耳を傾けなかった。


 明日は王宮へ自白に行くし、今日は疲れたからもう眠ると、お母様は寝室へ引き上げて行った。

 もう話は終わりだと、何を言っても意見を変えるつもりはないと言われた。

 あなたも王宮に帰るなり、ここで泊まるなり、好きにしなさいと言われた。


 でも私は、そのどちらともするつもりはなかった。

 私の頭は既に、お母様を止めることしか考えていなかった。

 言葉による説得は、失敗に終わった。

 だからもう、方法は一つしか残されていなかった。


「うぅ……」


 腕の傷跡を眺めていた私は、気付けば涙を流していた。

 あの時のことを……、お母様の最期を、思い出していたからだ……。


 私は、二、三十分くらい、ソファに座ったままだった。

 何度も何度も考えて、葛藤した。

 でも、気付くとお母様がいる寝室に足が向かっていた。

 お母様の寝室に入り、ベッドで眠っているお母様を見下ろした。


 お母様は寝ていて、私が部屋に入ったことには気付かなかった。

 そして私は、眠っているお母様に、馬乗りになった。

 布団越しに乗ったから、腕も動かせないでいた。

 でも、片手だけが、布団から出ていた。


 お母様は、目を開けて、驚いた顔をしていた。

 それが、生きているお母様の顔を見た最後だった……。


 私は枕をお母様の顔に押し付けた。

 ずっと……、ずっと押し付けていた。

 そうしなければ、ならなかった。

 私は未来を閉ざさないために、そうせざるを得なかった。


 自分は悪くないと、何度も言い聞かせた。

 悪いのは裏切ったお母様だと、そう思うことで自身の行いを正当化していた。

 お母様が残った片腕で必死に抵抗していたけれど、私はそれ以上に必死になって、枕を押し付けていた。

 それから、どれくらい時間が経ったのかわからない……。


 気付いたら、お母様が動かなくなっていた。


 私は急に、怖くなった。

 とにかく、ここにいてはダメだと思って、急いで家を出た。


 そして王宮に戻り、震えながら夜を過ごした。

 自分が怯えていることを、周りに悟られないように、必死だった。

 そして、兵がお母様の死を伝えに来た時に、私は観念した。


 私を逮捕しに来たのだと、そう思った。


 でも、なぜかそうはならなかった。

 お母様が死んだのは、銃で撃たれたせいだと知らされた。

 私はその時、言い知れぬ恐怖を感じた。


 わけがわからなかった。


 私は確かに、お母様が動かなくなったのを確認した。

 それなのに、銃で撃たれたなんて言われて、混乱していた。

 頭が真っ白になって、わけのわからない状況に、ずっと怯えていた……。


「うぅ……、私だって、あんなこと、したくなかったのよ……」


 腕の傷跡を眺めていた私は顔を上げ、お姉さまを見つめて言った。


「お母様が告発するなんて言うから、だから仕方なく……、私には、あれ以外に、選択肢はなかったのよ!」


 涙で視界がぼやけて、お姉さまの顔もよく見えない。

 お姉さまが、どんな表情をしているのか、もうわからなかった。


「あなたが追い詰められていたことはわかりますが、それでも、あなたのしたことは、許されないことです。犯行時刻、それに、この腕時計と、あなたのその腕の傷跡、そして、今の自白で、あなたが有罪の判決を受けることは、間違いないでしょう。……では、後は頼みます」


 お姉さまの言葉を聞いて、兵が私に手錠をかけた。

 もう、抵抗するつもりはなかった。

 どうあがいても、結果が覆ることはない。

 なにより、もう疲れていた……。


 私は兵に連行された。

 お姉さまの言葉は最後、少しだけ震えていたように聞こえた。

 でも、気のせいかもしれない。


 あの家で過ごしている頃は、まさかこんなことになるなんて、思ってもいなかった。

 でも、お姉さまに成りすまして王宮へ行った時から、何かが狂い始めた。

 もっと早く、間違えていることに気付いていればよかった……。

 そうすれば、こんなことには、ならなかったかもしれない。

 

 でも、いくら後悔したところで、やり直すことなんてできない、それだけは確かだ……。

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