第27話

 私が部屋で本を読んでいると、アンドレさんが慌てた様子でやってきた。


 よほど慌てていたのか、彼はノックもせずに私の部屋に入ってきた。

 しかし、ここは私の部屋ではなく、牢獄なのだから、そもそもノックは必要ない。

 あまりにも居心地がいいので、つい自分の部屋だと錯覚してしまう。

 この牢獄に閉じ込められている囚人ではなく、この部屋に住んでいる住人だという気持ちになるのも、仕方のないところだ。

 

「アンドレさん、どうしたのですか? ずいぶんと慌てている様子ですが」


 ちょうどコーヒーを淹れたところだったので、彼にもコーヒーを渡し、私も自分の分を入れて席に着いた。


「はあ……、美味しいですねぇ」


 私は一口飲んで、大きなため息とともに呟いた。


「あ、豆を変えたのですか? 以前飲んだものよりも、いい香りがしますね」


 アンドレさんはどうやら、違いの分かる男のようである。


「そうなんですよ。今回の豆は、当たりですね」


「貴女の淹れ方が上手だというのも、このコーヒーが美味しい要因の一つだと思いますよ」


「あらまあ、褒めたってなにも出ませんよ。あ、このコーヒーに合うビスケットがあるので、お出ししますね」


「あぁ、そんな、お構いなく……」


 私は席を立って、ビスケットを用意した。

 そして、それを机の上に置いて、再び席に着いた。


「あぁ、美味しいわ。このコーヒーと、よく合うでしょう?」


「ええ、そうですね。ビスケットのほんのりとした甘さが、コーヒーの匂いや味を引き立て、また、コーヒーの微かな苦みが、ビスケットの甘みを引き立てていますね」


「アンドレさん、評論家みたいですね。そんな難しい顔をせずに、リラックスしましょう。あぁ、このコーヒーの香りが、私の心を穏やかにしてくれるのよねぇ」


「確かに落ち着く香りですね。あぁ、本当に美味しい……」


 私はたちはコーヒーとビスケットを食べながら、ゆったりとした時間を過ごしていた。


「……って、落ち着いている場合ではないんですよ! 大変なんです! 衝撃的な事実が明らかになったのです!」


「な、なんですか、衝撃的な事実って……」


 私はアンドレさんに尋ねた。


「貴女のお母様の死因が、判明しました」


 彼は、真剣な顔でそう言った。

 そういえば死因は、検視結果の報告を待っていると、以前にアンドレさんが言っていた。

 しかし、出血量が少ないことから、心臓を撃たれたことによるショック死だろうと、私たちは見ていた。

 どうして今更、お母様の死因が判明したくらいで慌てるの?

 しかしその疑問の答えは、すぐにアンドレさんが口にした。


「実は、死因はショック死ではありませんでした」


 アンドレさんは、静かにそう告げた。

 部屋には、沈黙が流れる。

 私はあまりのショックに、口を開くことができなかった。


 ショック死ではなかった、ですって?


 意味が分からない。

 お母様は、お父様に心臓を撃たれたのよ。

 銃弾は確かにお母様の体を貫通していた。

 弾も薬莢も、使用された銃も見つかっている。

 お父様も、銃で撃ったことは認めている。

 あの出血量の少なさから、出血多量ということはありえない。

 

 いったい、どうして……。

 

 もし死因が出血多量だとしたら、一つの可能性があることに、私は思い至った。

 それは、お母様が殺されたのは、あの場所ではないということだ。

 別の場所で殺されて、あの部屋のベッドの上に移動させられた。

 それなら、あの出血量の少なさにも、納得ができる。


 いや、やっぱりありえないわ、そんなこと!


 私は、馬鹿なの?

 どうやらまだ、頭が混乱しているみたいだわ。

 お母様が別の場所で撃たれたというのはありえない。

 だって、銃弾は、お母様が被っていたシーツと、お母様自身の体と、その下のマットレスを一直線に貫通していたのよ。


 ほかの場所で撃たれたのなら、あんな状態にはならない。

 何度も撃って、それぞれ銃弾が貫通してできた穴の場所や、弾の入射角を一致させるなんて、不可能だからだ。

 あれは、一発の弾丸で、貫かれた状況を指し示している。

 お母様は、あのベッドの上で撃たれた。

 それは、間違いのない事実だ。


 それなら、お母様の体から流れた大量の血を、拭き取ったの?


 いや、それこそありえない。

 シーツやマットレスにしみ込んだ血を完璧に拭き取るなんて不可能だ。

 そもそも、そんなことをするメリットがどこにもない。

 ショック死ではないという事実は、検視結果によっていずれ明らかになっていたのだから。

 時間やリスクを冒してまで、そんな偽装をする利点は何一つない。


 しかし、ショック死ではないという検視結果は、揺るがない事実である。


 どうして、現場にはお母様の血が、ほとんどなかったの?

 出血多量で死んだのなら、今の状況はつじつまが合わない。

 ところが、お母様の出血が少なかった原因は、アンドレさんから告げられた言葉によって、すぐに解決した。

 しかしそれは、新たな疑問を生み出す言葉でもあった。


「彼女の死因は、です」


 もう、意味が分からない。

 銃で撃たれたのに、窒息死?

 いったい、どういうことなの?


 次々と知らされる驚きの事実に、私は息が詰まりそうになっていた……。

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