第15話
(※ヘレン視点)
「お姉さま? 何を言っているんだ? お姉さんなのは、エマ、君だろう?」
ようやく、自分が口走ってしまったことに気が付いた。
体中に緊張が走り、冷や汗が止まらなかった……。
私ったら、何をやっているのよ……、今の私はヘレンではなく、エマなのに……。
そんなことは、充分に承知していた。
しかしそれでも、気が緩んだ瞬間に素が出て、うっかり口走ってしまった。
殿下がこちらの顔を覗き込んでいる。
先ほどまでの楽しそうだった表情とは完全に別物だった。
数秒間の沈黙が流れる。
何か、言い訳をしなくてはいけない。
でも、なんて言えばいいの?
考えている時間はあまりない。
この沈黙が続けば続くほど、殿下の疑いは大きく膨れ上がってしまう。
私は一瞬で、三通りの方法を考えた。
まず一つ目。
真顔で、「いえ、そんなこと言っていませんよ」と言い張る。
動揺を一切顔に出さず、自然な表情で言うのがポイントだ。
もし殿下が「いや、確かに言ったよ」と言っても、真顔で否定し続ける。
そうすることによって、殿下は「なんだ、私の聞き間違えか」と思い直すはずだ。
多分、思い直してくれるはず。
思い直してくれるといいな……。
そして二つ目の方法。
それは、新たな衝撃によって記憶を上塗りする、というものだ。
具体的にいえば、私が現在試着している服を、サイズが合わなかったという程で、脱げたように演出する。
そうすれば、殿下は突然目の前に現れたセクシーボディにメロメロ。
姉のことを言い間違えたなどと言う些末な問題は、頭から吹き飛ぶはず。
殿下といえど、所詮は男性なのだ。
これはかなり効果が期待できる、……ような気がする。
正直いって、自信はない……。
そこで私は、三つ目の作戦を実行することにした。
「……なんて、冗談ですよ、殿下。びっくりしましたか?」
私は笑顔で言った。
「……え?」
殿下は何が起きているのか、頭が追い付いていない様子だった。
「ですからこれは、ドッキリですよ。私は、もちろんエマです。どうでしたか? たまには、日常に刺激が必要かと思いまして、慣れないことをやってみたのですが……」
「はは……、驚いたよ。なんだ、ドッキリか……。あぁ、よかった……」
殿下は半ば放心状態だったが、大きくため息をついていた。
「すいません、やり過ぎたようですね。少し、趣味の悪い冗談でしたね」
「……いや、いいんだ、気にしないでくれ。確かに、充分に刺激的で、驚いたよ……。たまにはこういうのも、悪くないかもね」
殿下は微笑みながら言った。
あぁ、本当によかった……。
私は安堵のため息をついた。
とりあえず、何とか危機的状況は脱したようだ。
その後も、仕立て屋を出て、デートは続いた。
楽しい時間を過ごすことができたし、何も問題は起きなかった。
殿下との幸せな日々が終わるのかと思ったけれど、何とかなってよかったわ……。
*
(※ウィリアム王子視点)
私たちは街で充分に楽しみ、王宮に帰ってきていた。
本当に、楽しかった。
しかし、一つだけ気がかりなことがあった。
それは、あの仕立て屋での一件だ。
エマは、あれはドッキリだと言っていた。
もちろん私は、その言葉を信じている。
しかし、どうしても、あの時のエマが一瞬みせた表情が、頭をよぎるのだ。
私が、エマは君だろうと指摘した時、彼女は本当に驚いている様子だった。
それも、ドッキリの一環だったのかもしれない。
しかし、あの一瞬見た彼女の表情は、とても演技だとは思えなかった。
心の底から、自分の失敗に気付いて驚いているように見えた。
このことを、エマに問い質すか?
いや、そんなことできない。
せっかく今日は、彼女と楽しい一日を過ごすことができたのだ。
それなのに、証拠もないただの私の憶測を話して、いったい何になるというのだ。
そんなことで、私たちの関係に亀裂を入れる必要なんてない。
しかし、気になるのもまた、事実であった。
そこで私は、ある場所へ向かうことにした。
初めて訪れる場所だ。
それは、ヘレンが捕らわれている牢獄だ。
私は彼女に会って、話を聞くつもりだった。
昔のことを、エマしか知りえないことを聞いて、もし牢獄にいる彼女が正しく答えたら、彼女こそがエマということになる。
そんなことはありえないと頭では考えているが、確かめずにはいられなかった。
これでもし牢獄にいる彼女が正確に答えられなければ、私の婚約者は、本物のエマということになる。
私はそれを確かめて、何の疑念もなく、彼女と共に送る毎日を楽しみたい。
私は複雑な思いを抱えながら、彼女がいる牢獄へと向かったのだった……。
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