第88話 エピローグ1

「ああ、まさか……! 生きているうちに幻の白茶が飲めるなんて!」

 真っ白い茶葉の入った碗を眺めながら、采夏は感動のあまり震えていた。

 この白い茶葉こそ、小鈴が見つけたという安吉村周辺に自生していた白化した茶木から取れた茶葉である。釜で炒って発酵をとめる緑茶と同じ製法で作られた幻の白茶の茶葉は神秘的なまでの白さだった。

 白毫銀針茶の茶葉のように銀毛に覆われて白く見える茶葉とはまた違う。本当に白いのだ。

 葉脈が微かに黄色に見えるので、かろうじてこれが葉っぱなのだと分かるが、真珠でできた飾り物だと言われても納得できる。

「それにしても、まさかこのような形で安吉村のことが解決するとはな」

 感動のあまり震えながらもうっとりとお茶に魅入る采夏を愛しそうに眺めながら、黒瑛が言った。

 水害の被害を受けた安吉村の問題が解決した。

 すでに王都に仮住まいをしている安吉村の村人も、土砂を取り除いて元通りとなった安吉村へと戻ることができた。

 それも全て……。

「この幻の白茶のおかげです」

 采夏は引き続きうっとりしながらそうこぼす。

 そうまさしくこの茶葉のおかげで、安吉村の問題は解決したのだった。

 色を失ったお茶の木を見つけた小鈴は、これが皇后の不徳による呪いのせいだと決めつけたが、采夏は祝福なのだと言った。

 なにせ、この白いお茶の木こそ、お茶好きの誰もが求める『幻の白茶』を作れる白化した茶木なのだから。

 白蛇に、白亀……白化した動物は古来より神聖視されている。それは植物にとっても例外ではないはずなのだが、完全に白化した植物はすぐに壊死してしまうのであまり知られていない。

 その中で、小鈴が持ってきた枝を伸ばすまでに成長した白化樹木など、奇跡中の奇跡だ。

 もうむしろ、その白い茶木そのものが、お茶を愛好する者達にとっては神そのものである。

 安吉村周辺に白化した茶木がある。つまり、『幻の白茶』が飲める。

 それを知った茶商人達は、こぞって安吉村に集まった。金を出し、人を割き、安吉村の復興を後押しした。

 彼の地をお茶の一大産地にするためだ。

 これから安吉村は、銘茶の産地として大きく豊かに発展することだろう。

「皇帝陛下、皇后様、このたびは東州の民のためにご尽力いただきましたこと、誠に感謝申し上げます。それに、小鈴につきましてもご温情をくださいまして誠にありがとうございます」

 同席していた冬梅がそう言って頭を下げた。

 今日は、小鈴の一件以来の初めての、黒瑛と他の三人の妃、そして皇后の采夏が揃ったお茶会を開いていた。

 冬梅は今日も今日とて男装だ。藍色の袍がとてもよく似合っている。

 だが、少し顔がやつれていた。それもそのはず、自分につっかえる侍女が皇后の暗殺を企んでいたのだから、気が滅入るのも仕方がない。

 幸いだったのは、そのことが冬梅の罪とはならなかったことだろうか。

 通常、侍女の罪は主人にも類が及ぶが、皇后である采夏の必死の訴えでそれだけは免れた。

 と言うのも、当然死罪となるべき罪を犯した小鈴のことを、命を狙われた当の本人である采夏自身が庇ったのだ。

 冬梅にとってはもう采夏には足を向けて寝られないほどに感謝しても仕切れない。

「小鈴が、白化した茶木の枝を掲げたときには、あまりの神聖さに目が焼け死ぬかと思いました。しかしその衝撃のあまり、小鈴が毒のお茶を飲むのを止めることができず……今思い返しても、ひどい失態でした。小鈴が、目覚めてくれて本当によかった。危うく幻の白茶という神を見失うところでした」

 敬虔な信徒のように祈りを捧げる采夏である。

「お茶に毒を入れた女をどうしてあそこまで必死に助けようとしているのか、少し疑問だったが、そう言うことだったか」

 と揶揄うように黒瑛が言うと、采夏はハッと顔を上げた。

「まあ、陛下、ひどいです。別に私は、幻の白茶のためだけに小鈴を助けようとしたわけではなりません。ただ純粋に、小鈴の安否が心配な気持ちもありました。なにせ彼女は白化茶木の輝きを私に示してくれた……いわゆるお茶の神の使者のような方なのですから!」

 采夏ふんふんと鼻息を荒くしてそう訴える。

 それって結局はお茶のためであって、純粋に心配しているわけではないのではないか……? などと黒瑛の脳裏に疑問が浮かぶが、しかしそれもまた茶道楽の采夏らしい。

 しかし、そんなふうに笑って許せない者もいる。

「皇后様は、甘すぎますわ! 毒殺を企むような者を許すだなんて考えられません! 本当に、皇后様のそのお花畑のようにおめでたい頭はとても可愛らしいけれどどうにかならないのかしら。まあ、そこが皇后様の素敵な……げふん。皇后様の良くないところですわ!」

 ついつい本音が漏れそうになりながらも語気強めに言うのは、秋麗である。

 今日も今日とて、繊細な紋様の衣を着こなす完璧な美しさを持つ妃だ。

 そして采夏を詰ったあとは、鋭い視線を冬梅に向ける。

「言っておくけれど、皇后様がなんと言おうと、あの毒女を後宮には二度と入れないでちょうだいね」

 秋麗に言われて冬梅はもちろんと言うように真剣な顔で頷く。

 冬梅とて、小鈴の行いは大罪だと言う認識はある。

 思い込みで皇后を殺そうとしていた小鈴は、今となっては己の罪を認めて酷く反省しているが、このまま後宮で仕えさせるつもりは毛頭ない。

 労役を課して安吉村に返した。本当に素晴らしいほどの温情である。

 それらのやりとりを穏やかに見ていた燕春が、ふと采夏が先ほどからうっとりと見つめている幻の白茶の茶葉に目を止めた。

 先ほどから采夏は、陶器でできた茶荷という茶葉を載せるための器の上に乗った幻の白茶の茶葉を見てうっとりとしているだけで、一向にお茶を淹れようとしていないのだ。

「皇后様、幻の白茶は飲まれないのですか?」

 いつもささっとお茶にして胃袋に収める采夏が、何故か茶葉を眺めて愛でるばかりなので疑問に思ってそう尋ねると、采夏は眉根を寄せた。

「いえ、それが……あまりのももったいなくて、さすがの私も躊躇してしまいまして……。もう次にいつ飲めるかわからない代物でございますから」

 と緊張したように答える。

「そうなのか? 今、安吉村では、その白化した茶木を挿し木して増やしていると聞いているが。増えればこれからも飲めるのではないか?」

 と疑問を口にしたのは黒瑛だ。

「白化と言うのは、本当に稀なるものなのです。たとえ白化した茶木を挿し木したとしても、完全な再現は難しいでしょう」

「そうなのか。となると、今、白化した茶木を増やそうとしている安吉村の者達にとっては残念なことになりそうだな」

「いいえ。たとえ完全な白化した茶木でなくととも、神なる白い茶木をもとにしているのです。たとえ、完全に白化しないにしても、ただの茶木というわけではありません。この国を震撼させるほどの銘茶になることは間違いないでしょう」

「采夏が言うなら間違いないな」

 黒瑛はそう言って、力説する采夏を楽しげに見つめながら、しみじみと思う。

(采夏は、不思議な人だ。お茶のことしか頭にないような気もするが、彼女のお茶に対する愛が、ことごとく青国の益になっている。最初の頃、皇后としては頼りないと思われていたのが嘘のように、周りは采夏を皇后として認め始めている。それは後宮に入ってきた妃達に至ってもそうだ)

 黒瑛は、采夏のことを温かい目で見つめる他の妃達に視線を移した。

 怯え警戒していた燕春も、敵意むき出しだった秀麗も、従順のように見えて壁のあった冬梅も、今ではすっかり采夏のことを慕い、認めている。

 黒瑛にとって、采夏はまさしく稀有な女性だった。

 白化した茶木よりも、黒瑛にとってはどれほど特別な存在であることか。

「それにしても、小鈴が言っていた謎の女というのが気にかかります」

 少し沈んだ声でそう言ったのは、冬梅だ。

 謎の女というのは、小鈴に毒の入手経路について尋ねた時の話に出てきた女のことだ。

 小鈴が水害のために村を追われて王都に向かう途中、水害の原因が皇后の不徳によるものだと涙ながらに訴える者達と出会った。

 その中心人物は、服装などから高貴な身分と分かる女性で、独特な芳しい香の匂いがしたのだという。

 小鈴は、皇后の不徳による水害だというその女性の言葉に感化され、その女性に胸の内を打ち明けた。水害が起こる前、不吉な茶木を見たのだと。

 するとその女は、それこそが皇后が天に見放された証拠だと言って、小鈴の不安を増やし、憎しみを募らせた。

 そして、冬梅に仕えるために後宮に入った小鈴のもとに、初めてみる宦官から突然毒物を渡された。

 皇后を排除しなければ、安吉村は救われないと言われて。

 一体その毒物が誰からのものなのか、その宦官は口にしなかった。

 だが、毒を包んでいた紙から微かに漂う独特な香で、もしかしてと思うものがいた。

 それが都に向かう途中で出会った謎の女だ。毒を包む紙から、あの時かいだお香の香りがしたのだという。

「小鈴の言うことが事実なのでしたら、東州の水害が皇后様のせいだという噂が広まったのは、その謎の女の一団のせい、ということでしょうか」

 燕春が不安げにそう言うと、秋麗が不満そうに鼻を鳴らした。

「いい度胸をお持ちの愚か者がいたものですわね。私の皇后様を貶めようだなんて」

 秋麗が静かな怒りを込めてそう言うの聞きながら、黒瑛は『いや、秋麗の皇后ではないが』と密かに思いつつ、だが、秋麗の怒りには共感した。

 小鈴のいうことが本当であるならば、何者かが采夏の命、失脚を企んでいることは間違いない。

 そう思うと、黒瑛ははらわたが煮え繰り返りそうだった。

 かつて慕っていた兄、士瑛が権力に溺れた秦漱石に殺された日のことを思い出す。

(采夏だけは、絶対に奪わせない)

 思わず黒瑛の拳に力が入る。

「よし! 決めました! 飲みますよ! 今まさに、幻の白茶を淹れますからね!」

 突然、少々重苦しくなっていた場に、采夏のやる気に満ちた声が響く。

 虚をつかれて采夏以外のものは目を丸くし、ぐっと拳を握って目をキラキラさせながら茶荷から茶壺に白い茶葉を注ぎ入れる采夏を見た。

 どうやら長らく目で愛でていた幻の白茶を淹れる気になったらしい。

「まったく、誰のことを心配してここにいる皆様が思い悩んでいるのかお分かりではないのですか? 命を狙われている自覚ぐらいは持って欲しいですわ」

 呆れたようにそう言ったのは秋麗だ。

 茶壺にお湯を入れて終わった采夏は、秋麗の言葉に目を丸くさせた。

「え? 命を狙われて? 私、命なんて狙われておりましたか?」

「めちゃくちゃ狙われとったわ! ……あ、すみませんつい……」

 そう言って、思わずといった具合に大声で突っ込んだのは玉芳だった。

 先ほどからずっと采夏の侍女として後ろで、主人らの会話を静かに見守っていたが流石に我慢ならなかったようである。

 突然、声を荒げる侍女など罰されても仕方がないのだが、誰もが彼女を責められずにいた。何故なら気持ちがすごくよく分かるからである。

「さて、そんなことよりも、お茶にしましょう!」

「そんなことよりも、じゃないんだよなぁ!? ……あ、すみません、また……」

 采夏の暢気な言葉に、再び玉芳の口が滑った。しかしもちろんそんな玉芳を諌めるものはいない。

 この場にいる者全てが同じ気持ちであるからである。

 そうして、久しぶりに行われた茶会にて、後宮暮らしの面々は、さまざまなことを思いつつも、采夏の入れる幻の白茶を味わったのだった。

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