第87話 祝福の茶木

「毒の隠し場所が?」

 冬梅は驚いてそう繰り返すと、黒瑛が采夏の近くに歩み寄った。

「毒の隠し場所がわかったというのは、どういうことだ?」

 近くにやってきた黒瑛に、采夏は視線を移した。

「どうして、あの時気付かなかったのか……この赤紫の紫陽花に」

「この紫陽花の色がどうかしたのか?」

「お気づきになりませんか? この紫陽花の色は赤紫色なのです!」

「それは確かにそうだが……それがなんだというのだ? 後宮内の紫陽花は青いものが多いが、赤紫色の紫陽花は特別珍しいものではない」

 紫陽花の花は、青、桃色、紫、赤紫と様々な色を持つ。

 後宮に咲く紫陽花は確かに青いものが多いが、外には赤紫の紫陽花も普通に溢れかえっている。

「陛下は、良いお茶の木を育つ環境であるかどうかをどのように判断されますか?」

 唐突に、采夏がお茶の話をし始めたので、そばにいた冬梅は思わず目を見開いた。

(何故ここで、お茶の話が……)

 戸惑いながらも成り行きを見守っていると、黒瑛が口を開いた。

「それは……うーん、雨の降る量とか?」

 冬梅のように最初こそ突然のお茶の話題に驚いていたふうだった黒瑛から、何事もなかったかのように采夏の質問に応え始めて、冬梅はさらに目を見開く。

(な、なんで、平然と皇后様の質問に答えることができるんだ?)

 冬梅はまだ気持ちが追いつかない。

 先ほどまで、小鈴の身を案じて悲観に暮れていた采夏はどこに行ったのか。

「さすが陛下。確かに雨量も大事ですね」

「あ! そうだわ。日当たりも大切なんじゃない? それと……空気が澄み切っているかどうかとか」

 皇帝の側近が、話に混ざってきた。こちらも平然とした態度だったので、冬梅はさらに困惑して眉根を寄せた。

「礫様も流石です! それももちろん大切ですね」

「まったく、一体なんの話をしているのだ! お茶に適した環境? そんなもの、先ほど陛下がお答えした回答が全てに決まっている! 何故なら陛下こそがこの世の全てであるからだ! そして個人的な回答として、私は育てる人の心も関わってくるのではないかと思います!」

 別の側近が大きな声でそう言った。

 最初は采夏の突然の茶談義に突っ込んだように思えたが、途中からちゃっかり茶談義に混ざっている。

 戸惑っているのは自分だけなのだろうか。冬梅は心配になってきた。

「それも大事ですね。そうどれもが大切です。良いお茶が育つためには様々な条件があるのです。そしてそのうちの一つが、土の質です」

 采夏はそう言うと、顔を真剣なものに戻した。

 それを見て黒英はくすりと笑う。

「それで? その土の質と毒物の隠し場所がどう関わる?」

 冬梅は、黒瑛が口にしたその優しい声色から信頼が滲み出ているような気がしてはっとした。

 黒瑛らが采夏の突然の茶談義に戸惑わなかったのは、采夏を信頼している故なのだと思い知る。

「お茶にとって質の良い土地であるかどうかを測る方法は、いくつかあります。そのうちの一つがその地に根付く植物を見ることです。土の性質によって、育ちやすい草、育ちにくい草があるからです。それに土の性質によって色を変える植物もあります。その一つが紫陽花です」

 そう言って、采夏は冬梅が持っていた紫陽花の髪飾りを手に取った。

「お茶に適した土の性質で紫陽花を育てた場合、青色に花の色が染まります。後宮内は、茶木を育てるのには適した土なのです。ですから多くの紫陽花が青色に染まっています」

「土の性質で……花の色が変わるのか。ということは、この赤紫の紫陽花は……」

「そう、この紫陽花の根本に何かが染み込み、土の性質が変わってしまった証。毒は、雅綾殿の中ではなく、雅綾殿のすぐ近くの土の中。中庭にある赤紫の紫陽花の下です」

 采夏は確信に満ちた顔で力強くそう言ったのだった。


 采夏の一言で、赤紫の紫陽花の下が掘り返された。

 そしてそこから白い粉の入った皮袋が見つかった。その白い粉こそ、冬梅の侍女小鈴が飲んだ毒。

 皮袋の口が少し緩んだ隙間からこぼれた毒素が、土の性質を変え、紫陽花の花の色を赤紫にしていた。

 そしてこの毒を調べてそれに対応した解毒薬を、小鈴に飲ませたのだった。

 まだ意識は戻っていないが、薬が効いたのか、顔色が戻りつつある。

 そして采夏は眠る小鈴の手を握り続けていた。寝台に眠る小鈴を心配そうに見守っている。

 その横には、そんな采夏を支えるようにして並ぶ皇帝黒瑛がいた。

 その様を冬梅はまじまじと見ていた。

 小鈴と接した時間が最も多いのは、冬梅だ。だが、小鈴を一番に助けようとしているのは采夏だった。

 自身の命を狙ったものを、どうしてそこまでして助けようとするのか。

 小鈴は最後、安吉村の水害は皇后の不徳が成したことなのだと意味不明な持論で采夏を責め立てた。そのことを気に病んでいるのだろうか

(そもそも、これから小鈴はどうなる。目が覚めたとて、あれほどの大罪を犯したのだ。死罪は免れない。一体、皇后様はどうなされるおつもりなのか。お茶に毒を入れたことを知って、あれほどに怒りを露にしていたというのに……)

 冬梅はお茶に毒を入れたものがいると知った時の皇后の怒りの眼差しを思い出していた。自分が責められているわけでもないのに、命の危機を感じたほどだ。

 そしてその時の記憶故か、冬梅に恐ろしい考えがふと浮かんだ。

(まさか、皇后様が小鈴をあれほどまでに必死になって助けようとしているのは……怒りを晴らす捌け口のためか?)

 目覚めた小鈴が、ひどい拷問にかけられている様を想像してしまった。

 楽に死なせるつもりはないと、小鈴を痛ぶる采夏の姿も。

(馬鹿な、あり得ない。皇后様に限って、そのようなこと……)

 冬梅はすぐに自分にそう言い聞かせたが、一度浮かんでしまった考えはなかなか消えない。

 冬梅は采夏に忠誠を誓った。皇后となるのならばこの方しかいないとすら思っている。

 だが、采夏の全てを知っているかと言われれば、そうではない。

 冬梅にとって、皇后は正直、掴みどころのない人だった。

 皇后に会う前は茶道楽という話が先行して、金遣いの荒い高慢な女性なのかと思っていた。しかし実際会ってみれば、可愛らしい方だと思えた。そして接していくうちに可愛いだけではない方なのだと知る。

 あの鼻持ちならない秋麗ですら、本心では采夏のことを敬っているのだと最近わかってきた。

 それだけの魅力がある人だ。

 さが、垣間見えるお茶に対する常軌を逸した執念。

 お茶が関わると、采夏は今までと違った一面を見せる。

 自身の命が狙われたことよりも、お茶に毒を淹れたことに憤怒してみせた采夏を思い出した。

 あり得ないと否定しても、否定しきれない。

(お茶に毒を入れた小鈴に、死すら生ぬるいと思わせるようなことを行うつもりなのでは……)

 冬梅が不安に駆られた時、「あ!」と声が上がった。

 采夏の声だ。采夏の目が、小鈴に注がれている。

 冬梅も小鈴に視線を移すと、小鈴がちょうど目を開いたところだった。

「あれ……私……」

 目覚めた小鈴は掠れた声でそう言うと、視線をゆっくりと彷徨わせた。状況が掴めていないのだろう。そしてちょうど采夏を見つけたところで軽く、目を見開く。

 采夏が側で涙ながらに見守っていることに戸惑っているのだろう。

「ああ、良かった! 起きたのですね、小鈴!」

 感極まった声で采夏がそう言うと、顔を寄せる。

「……本当に良かった。あなたに死なれたらと思ったら、私……」

 そう言った時の采夏の目が尋常ではなかった。

 何か強い欲のようなものが孕んで、ギラギラと光って見えた。その目が真っ直ぐ小鈴に注がれている。

 あれはただ単純に小鈴の無事を祈る人間がする目ではない。冬梅はそう思った。

 冬梅は先ほどまでの不安が、確信に変わりつつあるのを感じた。

 采夏は、ただ、小鈴の身を心配していただけではないのだ。何か目的がある。それは何か。

 冬梅の脳裏に、高潔な采夏が罪人を痛ぶり楽しむ様が浮かぶ。

 小鈴は、死罪となってもしょうがない罪を犯した。

 それは分かっている。だが、人をいたぶり楽しむ采夏の姿は見たくない。

「いけません! 皇后陛下! そのようなことに手を染めては!」

 思わず采夏の手を取ってそう言った。突然のことに、采夏の目が丸くなる。

 冬梅は自身があまりにも不敬なことをしている自覚はあった。だが止めなくてはならない。采夏には可憐で清くあって欲しかった。

 決して罪人を痛ぶることを楽しむような人ではない。そうであって欲しい。

 冬梅の必死の訴えに、一種の驚いた様子の采夏だったがすーっと目が細くなった。

「ええ、冬梅様のご心配もごもっとも。病み上がりの彼女を心配しているのでしょう? でも、私はもう少しも我慢できそうにないのです」

 采夏の迫力に、思わず冬梅の体が震えた。

 そしてその怯んだ隙をついて、采夏は冬梅に掴まれていた手を振り払った。

「皇后様……」

 戸惑う冬梅の目の前で、采夏は懐に手を入れた。

 そしてそこから何か棒のようなものを取り出し、振り上げる。

 采夏の視線は真っ直ぐ小鈴に向いている。

 手に持った棒のようなものを叩きつけ、早速小鈴を痛めつけようとしているのだ。

 そう思った冬梅は、これから起きる惨劇に臆して思わず目を瞑った。

 すぐに殴打する音と痛々しい小鈴の悲鳴が聞こえてくる、そう思って。

「小鈴、この白化したお茶の木が生えていた場所はどこなのですか!?」

 冬梅が予想していたような音はならなかった。その代わりに、采夏の何か焦っているような上擦ったような必死の声が聞こえてくる。

 冬梅は恐る恐る目を開けた。

 そこには、先ほど懐から出した棒のようなものを、小鈴の目の前に掲げる采夏の姿があった。

 よく見ると、采夏が手に持っている棒のようなものは、木の枝だ。真っ白な木の枝。

 それは小鈴が毒を飲む前に、『皇后のせいで水害が起こった何よりの証拠!』だと言って突きつけていた枝ではないだろうか。

「それは……」

 と突きつけられた枝をまじまじとみてから、小鈴は微かに笑った。

「愚かなる皇后様。呪われた茶木を焼き払って、ご自身の罪をなかったことにするつもりですか」

 そう言って、小鈴は暗く笑う。

 采夏を馬鹿にしたような様子に、冬梅は黙ってられなかった。

「愚かなのはお前だ、小鈴! 皇后様が、どれほどお前のことを心配していたことか……! 恥を知れ! 皇后様は、本当に小鈴のことを、心配していたのだぞ!」

 冬梅は、采夏が実は拷問がしたくて小鈴を助けようとしたのではないかと疑ったことを棚にあげてそう責めた。

「え……? 私を、心配して……?」

 冬梅の言葉に小鈴は訝しげに眉根を寄せる。

 戸惑う小鈴の手を采夏はがっしりと掴む。そして再び、白化した茶木の枝を小鈴の前に。

「小鈴さん、よく聞いてくださいませ。これは、呪いなどではございません。これは……祝福、救いの茶木なのです!」

 爛々と目を輝かせながら、采夏はそう言ったのだった。

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