第84話 舟上の茶会

 後宮で妃達のお茶会が開かれた。

 今回は後宮内にある池の上に舟を浮かべ、その舟の上での優雅なお茶会だ。

 空が青く晴れ渡った陽気な天気だった。池に浮かぶ立派な蓮の葉に乗った水滴がきらきらと光っていて美しい。

「もう少ししたら蓮が桃色の花を咲かせて、また違う美しい光景が広がるのでしょうね」

 舟の上から池を眺めていた燕春はそう言ってうっとりとため息をこぼした。

 本日のお茶会の目的は、皇后が妃達のためにそれぞれ用意した蓋碗のお披露目会。先日、妃達の要望を聞いた上で絵付けを施した蓋碗が焼き上がったのだ。

「本当は、いつものように私が湯を沸かしてお茶を選定してお淹れしたかったのですけれど、舟の上だからと陛下に止められまして」

 と少し残念そうに采夏が言った。

 今日は、それぞれの侍女達が舟の外に簡易的に作った料理場で、お茶を淹れてからこちらの舟に運ぶという段取りになっていた。

 妃達が乗っている舟は四人で囲える円卓を乗せられるぐらいには広いが、本物の船と比べると小ぶりだ。

 なにせ、後宮内の池に浮かべられる程度の大きさなのだ。

 多少は飾り付けをしてはいるが、木製の簡易的なものなので走行にも適していない。 そのため流石にこの舟の上でお湯を沸かすのはやめてくれと黒瑛に止められたのである。

「陛下、よくぞ止めてくださいました……」

 と冬梅が気苦労察しますという感じで呟き、燕春が不思議そうに首を傾げた。

「でしたら、いつものように皇后様の宮にてお茶会を開いてもよろしかったのではないでしょうか?」

「まだ花咲き誇る前の蓮の葉を眺めながら皆様とお茶を飲みたかったのです。それに私は自分でお茶を淹れるのも好きですが、他の方が淹れてくださるお茶を飲むのも大好きですよ」

 と采夏は、蓮の葉を眺めながら答える。

「確かに、蓮の葉が点々と浮かぶだけというのも、悪くありませんわね」

 采夏の答えに、秋麗も一緒になって景色を眺めながら頷く。

「もちろん、蓮の花が咲いたら咲いたでまたお茶を飲みますけど」

「それって、ただ皇后様がお茶会を開く口実が欲しいだけなのではなくて?」

 秋麗が呆れてそう言うと、采夏は照れたように笑った。

「ふふ、そうかもしれません。だって、こんなにたくさんのお茶飲み友達ができたのは実は初めてなもので」

 そう言って采夏はへへへ、とにやけて笑う。

「と、友達? な、何を言っておられるのかしら。私達はただ陛下の妃、でしてよ!? まったくそれなのに、と、友達だなんて……もう本当に、皇后様には! あ、呆れてしまいますわ!」

 と秋麗は否定しつつもどこか嬉しそうである。

 燕春に至っては、恍惚の表情を浮かべて「尊い……」と言って天に感謝の祈りを捧げ始めていた。

 それらを眺めていた冬梅は、「私はとんでもない方を皇后と崇めているのかもしれない」と遠い目をして小さく呟く。

「ところで、冬梅花妃、少しお話が……」

 遠い目をしていた冬梅の耳に、申し訳なさそうな采夏の声が届いた。

「どうかいたしましたか?」

「先日のお話……安吉村の周辺を茶畑にするというお話の件なのですが」

 と語りかける声に力はなく、冬梅は眉根を寄せた。

「陛下は、その提案を飲んでくださらなかったのでしょうか」

「いいえ、陛下は良い案だと言ってくださったのですが、他の大臣方の感触がよくないようなのです。安吉村周辺は、野生の茶木が群生しているという報告がないため、かの地に植樹して茶木が育つかどうか不安があるとのことで……。私の見立てでは、かの地は立派な茶畑になれる地なのですが」

「そうでしたか。野生の茶木……。安吉村周辺は竹林に覆われて、ほとんど未開拓の地です。もしかしたら、奥までいって探せば野生の茶木も見つかるかもしれませんが、今はそこまで行く道中にも土砂で潰れているので調査をするのも難しいでしょうね……」

 そう言って顎に手を置き悩む冬梅を見て、采夏は瞳を伏せた。

「力になれず、申し訳ありません。でも、諦めたわけではありません。私も直接大臣達を説得して見せます。あの地は間違いなく茶畑に適していますから! ただ、少しお時間がかかるかもしれませんので、冬梅花妃にお伝えしておこうと」

 必死になってくれる皇后の姿を見て、先ほどまで沈んだ顔をしていた冬梅だったが、笑顔が溢れた。

「東州のことでここまで心を砕いてくださったこと、東州の民を代表して感謝いたします。私も微力ながらお手伝いいたしますので、入用の際はなんなりと申し付けください」

 そう言って、冬梅は深く頭を下げる。

 そのやりとりを黙って見ていた秋麗がふーんと声を上げた。

「冬梅花妃、なんだかあなた、皇后様に対する態度が変わったのではなくて?」

 秋麗風妃の指摘に、冬梅はきょとんと目を丸くした。

「……態度の変わった度合いで言えば、どちらかというと、秋麗風妃の方が変わったように思うが」

「お二人とも変わられましたよ」

 と燕春がクスクス笑って言うので、冬梅と秋麗はなんとなく罰が悪そうに顔を逸らした。

 采夏も彼女達のやりとりを温かい気持ちで眺めていた。

(本当に私は、良い茶飲み友達に恵まれました)

 改めて人に恵まれたことに感謝を捧げた。もちろんお茶の神に。

 後宮での生活、そして皇后に立つこと。本当は不安だったあの頃の時の気持ちを思い出す。

 好きなお茶を好きな人達と飲める。しかも、後宮内には茶畑もあって、お茶の木と触れ合うこともできる。

 最高の環境だ。

 そう思う。そう思うのに、でも時折どうしようもない焦燥感に駆られる時がある。

『安吉村の周辺に、野生の茶木が群生していると言う話がないために大臣達は懐疑的だ』

 黒瑛が疲れたような声でそう言われたことを思い出していた。

 采夏の勘ではかの地は紛れもなく茶木の育つ良い土地だ。

 だがそれは結局、采夏の勘であり、証拠は何もない。

 説得させるためには、かの地に行って実際に茶木を試しに植樹するか、もしくは野生の茶木を見つけるしかない。

 そして安吉村のことを思えば、植樹して育つのを見守る時間はないため野生の茶木を見つけるという一択になる。

 だが、采夏には確信があった。かの地には必ず茶木が育つと言う確信だ。おそらく野生の茶木もあるはずだ。

 探しに行きたい。

 黒瑛の話を聞いた時、采夏は迷わずそう思った。

 だが、今の采夏は後宮から出られない。探しにはいけない。

 後宮の茶畑のお世話をするのは、楽しい。茶葉の香りを嗅ぐだけで幸せな気分になれる。

 だけど、大自然の中で力強く育つ茶木を感じたい。以前のように、お茶に合う名水を求めて色々な湧き水を巡りたい。

 そして、采夏岩茶の茶木。岩に根を張るあの神秘的な茶木とまた触れ合いたい。

 一度、自分の心に向き合ってしまうと、際限なく欲が溢れてくる。

「あら、お茶が届いたようですわね」

 と、物思いに耽る采夏の耳に秋麗の声が聞こえて、視線を舟の外へ移した。

 舟は池に浮かんでいるが、舟と岸の間に階段の形をした梯子がかけられており、そこから歩いて渡れる。侍女達が茶器を盆に乗せて、その梯子を渡ってきていた。

 盆の上の茶器は、様々で、豆彩技法で描かれた蓋碗、黒釉の蓋碗、白磁の器に桃色の牡丹が描かれた可愛らしい蓋碗、そして男女の絵が青で描かれた染付の蓋碗が並んでいた。

 侍女達は、階段を登って自らが仕える主人の前まで行くと、茶器を卓においた。

「ありがとう、玉芳」

 以前から愛用している豆彩の蓋碗を持ってきてくれた玉芳に、采夏は礼を述べる。

 色々と、悩ましいことはあるが今は目の前のお茶に集中したい。

 ふと顔をあげると、冬梅の目の前に黒釉の蓋碗が置かれて、白磁に牡丹が描かれた蓋碗が秋麗の前に置かれていた。

 二人とも戸惑うような表情を見せている。采夏は慌てて口を開いた。

「あ、お二人の蓋碗、逆ですね。黒釉の蓋碗は秋麗風妃に、牡丹柄の蓋碗は冬梅花妃のために用意したものです」

 采夏がそういうと、二人はほっとしたような顔をした。

 どうやら手違いがあったらしい。

「ああ、やはりそうですのね。以前お話したものと全く違ったので、皇后様ったらお疲れなのかしらって心配してしまいましたわ」

 秋麗はいつもの少々毒のある言い方でそう言いながら、自身の侍女に卓に置かれた蓋碗を交換させた。

 侍女は申し訳なさそうに頭を下げる。

「申し訳ありません。黒釉の蓋碗が秋麗様のものであると指示を受けてはいたのですが、てっきり何かの間違いかと思って、冬梅花妃の侍女と相談して交換してしまったのです」

 おずおずと申し出た秋麗の侍女に、冬梅は爽やかな笑みを送った。

「気にしないでくれ。君が勘違いしてしまう気持ちは分かる。あの派手好きな秋麗風妃が黒釉の蓋碗を選ぶとはなかなか思えないからね」

 冬梅の優しい言葉に、侍女は顔を赤らめて下を向く。その様を眺めていた秋麗は嫌そうに目をすがめた。

「ちょっと、私の侍女を口説かないでくれます? 本当に節操がない。だいたい勘違いする気持ちがわかる、ですって? それは、こちらの科白よ。あなたがこんな可愛らしい蓋碗を選ぶなんて……」

 と言いながら、それぞれの蓋碗をまじまじと見つめる。

「ふん、でもやはり私が選んだ黒釉の蓋碗の高級感が一番だわ。泡も映えますし」

 泡映えで選んだ自分の選択に間違いはないとばかりに秋麗が頷く。

「いやいや、私の選んだ白磁の可憐で可愛らしいこと。この愛らしい白肌に口づけするのが今から楽しみだ」

 などと言って冬梅も悦に入った。

「あの、見てください! 私の青の染付の蓋碗を! こちらの男女の陰は、実は皇后様と皇帝陛下を模していまして……!」

 と負けじと燕春も推しへの愛を込めた蓋碗について語り始める。

 妃三人が茶器についての愛に語っているのを見守っていた采夏は、喜んでくれたようだとほっと胸を撫でおろしたのだった。

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