第69話 欲が張る

「やはり采夏と飲むお茶はうまいな。体の疲れが飛んでいく」

「今日のお茶は、今年の後宮妃茶です」

「ああ、皇后の茶畑のか。多くは他国の貿易に使っているから、貴重だな」

 そう言って黒瑛は優しい笑みを落とした。

 後宮で育てられている茶については、「後宮妃茶」と銘を打った。

 そのほとんどが他国への交易に出すものなので、自国には回らない。

 とはいえ、作り手本人の采夏はちゃんと自分の分は確保している。

「それにしても、龍井茶と同じ茶木を移植したとおもったが、龍井茶とはまた違う味わいだ。根が同じでも育てた環境の違いで変わってくるってことか?」

「そうですね、お茶は環境によって味を大きく変えますから」

「そうか……龍井茶ほどの香りの高さは正直ないが、悪くない。淹れ手が一流だから、何を飲んでも美味しく感じるだけかもしれんが」

「ふふ、気に入っていただけて嬉しいです。良ければ、もう一煎」

 そう言って、うきうきと湯を注ごうとする采夏の手に黒瑛はやんわりと手を重ねる。「もちろん飲ませてもらうが、今は少し横になりたい」

「では、横になれるように寝台の準備を……」

「いや、ここでいい。采夏は俺の隣に来てくれ」

 と言って黒瑛は、自身のすぐ横をとんとんと叩く。

 黒瑛が座っているのは、下に綿をぎっしりと敷き詰めたシルク張りの赤い長椅子だ。隣に采夏が座ろうと十分な余裕がある。

 采夏は黒瑛に誘われるまま隣に腰掛けると、その膝の上に黒瑛の頭が乗った。

 いわゆる膝枕というやつだった。

「ここが一番落ち着く。それに采夏もこれならこのままお茶を飲めるだろ」

「まあ、陛下ったら……」

 素直に甘えてくる黒瑛に、采夏の中になんともいえない甘い感覚が湧き上がる。だが……。

『陛下が、私を夜に呼んでくださらないの』

 甘く幸せな心地は、ふと浮かんだ秋麗の言葉によって散っていった。

 このまま、黒瑛とのひと時を大事にしたい。だが、それだけではダメなのだ。皇后なのだから。

「陛下……少しご相談したいことがありまして、他の妃の方々のことで」

 采夏がそう切り出すと、黒瑛はああと頷いて言葉を続けた。

「東州の土砂災害の件か。冬梅花妃には申し訳ないが、今のところ打つ手がないのだ」

 黒瑛から帰ってきた言葉は采夏が聞きたいことは別の話題だった。

 だが、そのことも話しておきたかった事の一つ。采夏は曖昧に頷いた。

「そ、そうなのですか……。冬梅花妃が、気にかけておいででした」

「だろうな……。このまま別の地域への移住も考えたが、安吉村の者達は、元の場所での生活を望んでいる。先祖達の墓がそちらにあるからな、置いてけないのだろう。まあ、だが、時間はかかるかもしれないがなんとかしたいとは思っている。冬梅花妃にもよろしく伝えておいてくれ」

「はい。ありがとうございます、陛下。それで、あの、もう一つお伝えしたいことが……」

「もう一つ? さてはまた気になる茶葉でも見つけたのか? まあ、皇后の願いなら、無理にでも取り寄せて……」

「いえ、その、お茶のことではなくて……」

 珍しく言い淀む采夏に、すっかりくつろいだ様子だった黒瑛は片眉をあげた。

 黒瑛の眼差しを受けながら、采夏は口を開く。

「他のお妃様をお呼びになってはいかがかと……」

 采夏の言葉を聞いて、黒瑛は大きく目を見開く。

 そしてゆっくりと体を起こすと、采夏の方を見た。

「他の妃を褥に呼べ、ということか?」

 そう確認する黒瑛の声はいつもよりも低かった。

 戸惑っているからか怒っているからか、采夏には判別できないが、黒瑛と目を合わせるのが恐ろしく感じて瞳を伏せた。

「はい。その、陛下は立派なお茶飲みなので、お茶が飲みたくて私を呼んでくださるのは分かりますけれど、ここは陛下の後宮です。他の妃様のことも呼んでいただかないと……」

「俺が、お茶が飲みたいがためだけに采夏と一緒にいると思っているのか?」

 その声は明らかに怒気を含んでいるように聞こえた。

 采夏はハッとして顔を上げるとすぐ近くに、黒瑛の顔がある。

 声は怒っているように聞こえたが、見上げた顔は切なげだった。傷ついたような表情と言えば良いのだろうか。

 その顔をみて、申し訳ない気持ちが湧き上がる。だが、采夏は皇后だ。ここで引くわけにはいかない。

「……ですが、ここは後宮で、私は皇后です。陛下の世継ぎが早くお生まれになるように、努めなくてはいけません。後宮は、陛下の世継ぎを産むための場所。私達は……その後宮に勤める臣下なのですから」

 采夏が黒瑛に負けじと言い募る。

 采夏と黒瑛の間には、未だ子供ができていない。だが、できたとしても、たくさんの子が必要な黒瑛は、他の妃との間にも子を設けなければならない。

 采夏はお茶さえ関わらなければ、皇后にしては可哀想なほどに常識的だ。皇后がどういう存在であるかも分かってもいる。

「采夏、俺は、俺が欲しいのは……」

 黒瑛の顔に戸惑いの表情が浮かぶ。

 こんなことを言われるとは思わなかったと、その顔が語っている。

 しばらく、驚きと戸惑いの眼差しで采夏を見ていた黒瑛だったが、ふと瞳を閉じた。

「……わかった。考えておく」

 黒瑛は観念したようにそう言った。

 采夏の中に、黒瑛が自分の言葉を聞いてくれた安堵、しかしそれ以上に言葉にならない寂しい気持ちが胸の中で燻った。

(陛下の前にいると、いつもの私ではいられない時がある……)

 普段の采夏は、正直なところあまり思い悩むことがない。

 どんな悩みも、お茶が飲めない時のことと比べれば大したことがないと思えるからだ。

 だが、黒瑛に関しては、そんな風に思えない自分に自分のことながら戸惑う。

(陛下から茶畑をもらって、皇后になって……一緒にお茶を飲んでいられることが嬉しかった。それだけで良いと思っていたのに、どんどん欲張りになってきている……) 

 采夏は戸惑いの気持ちを隠すように、蓋碗を口につける。

 口に含んだ後宮妃茶が、心なしか先ほど飲んだ時よりも苦く感じた。

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