第65話 玉芳は思う

 呂賢宇は捕らわれ、一度平民に落としたのちに処された。

 呂賢宇の犯した罪は、あまりにも重い。


 本来なら北州長もその任から外れ、一族全てが処分されてもおかしくないが、広大な北州を長らく支えてきた呂家を処分するためにはまだ青国の体力が足りない。

 それに、他の州長の一族にも影響を及ぼす。

 故に、呂賢宇は、事前に呂家から追放されていた身だということになり、呂家の一族は多量の賠償品の献上することで決着とするという話で収まった。

 このことで、黒瑛は北州の抱える軍備を宮中に取り込むことに成功していた。

 人手の少なかった宮中に、俄かに活気が戻りつつある。

 特に、後宮内のとある一角はそれが顕著だった。

 至る所から、女性の華やかな歌声が聞こえてくる。


『一つ摘んで、また摘んで、愛しいあの方会うために。一つ摘んで、丁寧に。おいしいお茶を飲むために』


 茶葉がたくさん入った籠を片手に、采夏は空を仰ぎ見た。

 雲ひとつなく、夏の盛りを過ぎて涼しい風を肌に感じる。立派な秋晴れである。


「今年の茶摘みはこれで最後ですね。寂しくなります」

 秋の気配を認めて、寂しそうにそう采夏がそう呟くと、ホッとしたように隣に立っていた玉芳が息を吐いた。


「よかった……。やっと解放される……」

 茶摘みの季節は、春の訪れとともに始まり秋とともに終わる。

 茶木は、冬の期間はその体を休める。そして暖かな春の兆しに誘われてまた芽を出すというのを繰り返すのだ。

 楽しそうに茶を摘む光景とは裏腹に茶摘みはなかなかに重労働だ。

 茶木を傷つけぬように、丁寧に摘まねばならないのに合わせて、ずっと立ちっぱなしの作業。

 特に真夏の日差しの中の茶摘みは時に命に関わる。

 皆一様にして藁で編んだ笠を頭に被るので、日差しの強さで参ることはないが、なにより暑い。

 今は秋に差し掛かる頃で多少は過ごしやすくはなったが。


「まあ、もう終わってしまうのですか。残念ですね。見ていてとても壮観でしたのに」

 そう涼やかな声を出したのは、北州出身の燕春妃だ。

 屋根付きの東屋で腰下ろしながら、飲み物片手にこちらを見ていた。

 今は、四大妃の「月妃」の位をもらい「燕春月妃」もしくは「呂月妃」と呼ばれている。

 四大妃の中では一番低い地位に収まったのは、先の呂賢宇の騒動が影響していた。


「残念って……それはまあ、見てるだけなら良いですよね、ええ」

 茶摘みに疲れ果てていた玉芳から小さく辛辣な声が漏れる。

 燕春は、最初こそ茶摘みに挑戦したが、室内に引きこもりがちな生活をしていた彼女にはかなりのきつい労働だったようで、すぐに諦めていた。

 そもそも燕春は身分の高い妃であるので、茶摘みをさせることが間違いなのだが。


「しばらく茶摘みはお休みですが、来年はまたいそがしくなりますよ。道湖省の茶の一部を後宮内に移植することにきまりましたからね」

 采夏は夢見る乙女のように目を潤ませてそう呟く。

 道湖省の茶木というのは、例の呂賢宇が植えつけた碧螺春の茶木のことだ。

 茶葉の量産のために植えていた果樹を引っこ抜いて茶木を植えていたが、采夏の強い要望により、現在は元のように果樹を植え直す作業に入っている。

 そしてその抜き取った茶木を、後宮に運び育てることになった。

 今でこそ後宮の一部を茶畑が占めているという異様な状況であるのに、その面積がまた増えることになる。

 采夏は大変喜んだが、玉芳は白目を剥いて後宮の未来を嘆いた。


「陛下は采夏皇后に甘すぎるんですよ……。このままでは後宮が全て茶畑になります」

 玉芳の嘆きに、采夏は大きく目を見開いた。


「玉芳さん、なんてことを、後宮を茶畑にするだなんて……」

 ワナワナと唇を震わせて掠れた声で采夏がいうので、玉芳は思わずギョッとする。

 流石に冗談がすぎたかもしれない。


「それはなんて素敵なことでしょう! 後宮を茶畑にするなんて大それたこと、流石の私も思いつきませんでした! ですがそこを夢みても良いのでしょうか!? さすが玉芳さんです!」

「いやまって、落ち着いて。私が悪かったからそんな恐ろしい野望を抱かないで!?」

 玉芳が思わず声を荒げると、ふふふと燕春が笑い声をたてる。


「まあ、玉芳さん、抑えて抑えて。でも確かに、陛下は皇后に甘くていらっしゃいますよね、誠に結構なことです。普段はきりりとされて、周りに冷たい印象を与える皇帝陛下が、皇后様にだけ甘い眼差しを送る……。……ああ、もう想像するだけで、ご飯をいただけます。最高でございます。ありがとうございます」

 燕春妃はそういうと、今にも涎を垂らしそうな顔でニヤけた。


「燕春月妃も、またなんか違う方向にぶっ飛んでるし……。我が国の後宮大丈夫? もしかして四大州のお姫様ってみんな頭おかしい人しかいないのかな? 他の東州、西州の妃が来るのが怖い」

 東と西州の妃はまだ輿入れしていないが、まもなくやってくるという知らせは入っている。

 采夏や燕春のような変わり者だとしたらと考えるだけで玉芳疲れてきた。


「それに、後宮で育てられた茶の一部は、青国の茶を求める他国の方々のもとにも運ばれます」

 ふと、何故か物憂げな表情を浮かべながら、采夏が言った。

 視線の先は雲ひとつない青空へと注がれる。


「テト族だけでなく、他の遊牧民族や他国とも茶を用いた交易が始まろうとしています。お茶は我が国の経済を支える主要な農産物となるでしょう」

 采夏の言う通り、テト族だけでなく、他とも交易が再開した。

 どの遊牧民族も茶を求めた。

 茶を育てられる環境ではない地域にとって、茶はまさしく千金に値する特別なもの。

 そのことに気付かされた黒瑛は、国として茶栽培に力を入れる方針を示した。

 後宮に茶木が増えたのもその事が大きく影響している。

 采夏が、茶木に傾注することは、つまり国の経済を支えることとつながった。

 皇后は茶が青国を支えると分かっていて後宮に茶畑を作ったのだ、と宮中の官吏達は、変わり者と遠巻きにしていた皇后の先読みの深さに感嘆し、彼女を軽んじる者は少なくなった。

 采夏の皇后としての地位が確固としたものになりつつある。

 しかし、そのことを思う皇后の顔は憂いを帯びていた。

 玉芳は思わず首を傾げる。


「茶が認められたと言うことではないですか。何故そのように不安そうな顔をなさるのです?」

 玉芳の疑問に采夏は薄く笑みを返す。


「茶を求める者が増え過ぎれば、茶が今よりももっと貴重なものに変わる。場合によっては金や玉よりも。……そうなれば、茶葉に混ざり物を入れて笠を増すような者達も出てくるでしょうし、呂賢宇のように、茶木を量産させようと何も考えずに手当たり次第植え付けるものが出てきます」

 采夏はそう呟くと、手元の籠から茶葉を一枚掬い取る。

 鼻を近づけて匂いを嗅いだ。そして満足そうに目を細める。


「つまり、茶の質が下がってしまう恐れがあるのです。それだけは避けねばなりません」

 そういった采夏の言葉は力強かった。

 そしてそこまでのことを考えていた采夏に、玉芳は内心小さく驚いていた。

 確かに、采夏を言う通り、このまま茶を求めるものが増えれば茶の価値が上がり、量産しようとするものが出てくる。

 そうなれば、そのために茶の質に頓着しなくなるかもしれない。

 そして、質の下がった茶を他国に出せば、それは国の信用問題にも関わってくる。

 後宮に茶畑を作ったのは、青国の経済を支えるためだと宮中のもの達は思ってる。

 でも実際は、ただ単に采夏が茶道楽なだけだ。

 行き過ぎた趣味の延長。

 采夏を知るものはそう思っているが、しかし……。


(もしかしたら、采夏は本当に、国の事を考えて茶畑を作ったのかもしれない)


 これから先の未来を語る采夏を見て、玉芳は思わずそう思った。

 そしてそんな玉芳に、采夏は視線を合わせた。


「だって、せっかく欲しい茶葉が手に入ったと思ったら混ぜ物がされてた、なんてことになったら辛すぎるではありませんか! そんな未来だけは絶対に阻止せねばなりません!」

 そういって強く拳を握り込む皇后はまさしくいつもの茶道楽。

 あっけに取られた玉芳の前でなおも采夏は声を荒げる。


「碧螺春だと思って喜んだのに、かの茶の独特の風味が感じられなかったあの時の絶望感はもうニ度と味わいたくないのです!!」

 どうやら碧螺春のことが采夏の中で相当なトラウマとなっているようだった。

 あまりにもいつも采夏に思わず玉芳は吹き出した。


「ふふ、ふふふ。やっぱり、采夏は皇后になっても茶道楽ね……!」

 玉芳は敬語を忘れてそうこぼして声を出す。

 采夏の破天荒な振る舞いにはなれてきた。

 皇后の侍女として自分が躾ねば、と思う時もあるが、このままでもいいのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る