第46話 後宮

 宦官による腐敗政治により傾き始めていた青国に、変化が起きた。

 若き皇帝黒瑛は国の病とも言える壬漱石という宦官を処分し、それらに組みしていた者共も宮廷から追い出した。

 そして怒涛の政変劇の立役者と名高い南州の娘を立后させ、国民は若き皇帝、皇后に希望を見出し始めていた。


「采夏、その、あれなんだ。俺は嫌だといったのだが、その、どうも嫌だと言って済む話ではないようでな……」


 額に脂汗を浮かべた男が、そう言葉を濁らせた。

 いつもならきりりと鋭いはずの目元はどこか弱弱しく、灰色の瞳が不安げに同じ円卓を囲う女性に注がれていた。

 どこか主人のご機嫌を伺う子犬のような表情を浮かべたこの男こそ、青国の皇帝、黒瑛である。

 黒瑛は、遊牧民の捕虜と偽って己の息のかかった私軍を宮中の中に入れ、腐敗政治を行っていた宦官どもを一掃するという大胆な作戦で権力を取り戻した。

 当初、出涸らし皇帝、傀儡の国主と蔑まれていたため、宦官どもはそれほど皇帝のことを気にも留めていなかった。その油断をついてのできごとだった。

 己の爪を隠しながらも磨き続けて、とうとう政変を起こした黒瑛は忍耐の王であると、今では国民の支持も厚い。

 そして今、その忍耐の王は、背中を小さく丸めて目の前で悠々と茶を飲む女性の様子をどこかビクビクしながら伺っていた。

 この姿を見て、これが噂の若き皇帝だとは誰も思うまい。


「まあ、そうなのですね」

 蓋碗から茶を一口すすってから、女はゆっくりとそう言って頷いた。

 皇帝がご機嫌を伺うこの女性こそ、先の政変で黒瑛を支えた南州の族長の娘、采夏。

 先日正式に立后を果たして現在は青国の皇后となっていた。

 その采夏はさらに言葉を続けた。


「確かに、私が立后となれば、南州が力を持ち過ぎてしまいますものね。他の東西北の州の姫君を妃として迎え入れると言うお考えは全体の均衡を考えれば、当然かと」

 采夏はそう言うと、また蓋碗を口に運ぶ。

 なんだか、怒っている気がする。

 黒瑛はそう思って、額にひやりと新たに汗を浮かべた。

 采夏の他に妃を娶らねばならない負い目故にそう感じるのかもしれないが。


「嫌なら、嫌と、言ってくれていいんだぞ……?」

「私が嫌だと言ったら、どうにかなる問題なのですか?」

「それは……」

 黒瑛は言葉を濁した。それでどうにかなるなら、どうにかしている。

 しょぼんと落ち込む子犬のような顔に、ふふと軽やかな采夏の笑い声が響く。


「本当に気にしていません。……覚悟はできておりましたもの」

 栗色の目を細めて微笑む采夏は美しく、どこかはかなげに見えた。

 実際は、特に茶が絡むと何事にも物怖じしない強めな女子であるし、黒瑛自身もそれは承知なのだが、どうも見かけの可愛らしさでそのことを忘れてしまう。

 そのこともあって『それだけで十分』などと物分かりのいい言葉を言われると、なんだか采夏を日陰者にしている悪い男のような気がしていたたまれない。

 いや、実際複数の女性を娶る、という話をしているところなのであながち間違いではないかもしれないが。


「陛下は私に茶畑をくださった。私はそれだけで十分です」

 いたたまれなく思っている黒瑛を気遣ってか、采夏はそう声をかけた。

 黒瑛はその言葉にほっとしつつも、少し残念に思う気持ちもわいてくる。

 我ながら勝手すぎるとは思うのだが、少し嫉妬のような気持ちを采夏が抱いてくれたらと思う気持ちがあったらしい。


 そもそも新たな妃を娶ることになったことの発端は采夏を皇后に据えた後、采夏の出身である南州と同規模の州長から、自分の一族からも妃を出したいと強く要請されたことから始まる。

 政変を起こしたばかりの黒瑛に、他の州長と渡り合うだけの力も体力もなく、実際、采夏が皇后になれば、南州の権力が強くなりすぎてしまうという懸念もあり、他の州長の要請を認めるしかなかった。

 つまり、東州、西州、北州、そして中央地域の権力者から一人ずつ妃を娶ることになったのだ。

 皇后の下には、花妃、鳥妃、風妃、月妃と続く四大妃の位がある。その四つの空席を埋める形だ。


 ちなみに、後宮は黒瑛の政変後に一度解散させている。

 政変前に宮廷を牛耳っていた宦官、壬漱石によってかき集められた妃の数はかなり多く、国の少ない財政を圧迫していたためである。

 黒瑛も急に放り出すのではなく、良い縁談を組んだり、希望者には宮女として後宮に仕える道を残したりといった配慮は行った。そして多くの女性達は後宮の外での暮らしを選んだ。

 つまり、現在、広い後宮で、皇帝である黒瑛の妃に当たるのは正妃の采夏だけだったのだ。

 だが、これからまた新しく、采夏と同等の生まれの娘たちが、黒瑛の妃として後宮に入る。


 一夫多妻制が当たり前な皇族に生まれながら、珍しく一夫一妻制にあこがれを抱く黒瑛にとっても今回の他四州の後宮入りは辛い選択だった。


「采夏……本当にすまない」

「謝らないでくださいませ。ですが、もし陛下が私のことを気にしていらっしゃるのなら……また茶を持って私のもとに会いに来ていただけたら嬉しいです」

 そう言っていじらしく微笑む采夏の愛らしさに、黒瑛は思わずがばりと抱きしめたくなった。

 しかし今ここでがばりといってしまえば、今日はもう他のことが手につかなくなるのは目に見えている。

 政変後の国の立て直しで黒瑛はずっと多忙を極め、今日もすでに日が暮れかかっているが、しなくてはならない仕事がまだまだ山積みだ。

 ここでがばりといっている時間は、残念ながらないのである。

 黒瑛は心の内に眠る理性という理性をかき集めて自らを戒め、それでも足りないのでがばりといきたい気持ちを抑え込むために左足で右足を踏んでどうにか耐えた。


「もちろん、必ずまた来る。今度来るときは、その、もう少しゆっくり共に過ごせるようにしようと思う」

 黒瑛はそう言うと、後ろ髪を引かれる思いで立ち上がり、先ほど踏んづけすぎて痛む右足を引きずりながら皇后の宮を去ったのだった。

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