第47話 玉芳、空を仰ぐ
青国の都、洛陽の中心には、皇帝や官僚たちが執務を執り行う外廷と、皇帝とその妃達が住まう内廷を抱える皇宮がある
政変後、皇帝のもとに残った役人たちは、国の立て直しのために誰もがせわしなく動きまわっていた。逆に内廷は、静か。なにせ、そこに住む妃達の多くは後宮から離れていて、人数が少ない。
だが、その静かな内廷において一画だけ、楽しげに歌う声が響いていた。
皇后采夏のために陛下が捧げた茶畑だ。
『一つ摘んで、また摘んで、愛しいあの方会うために。一つ摘んで、丁寧に。おいしいお茶を飲むために』
軽やかな歌声を合唱しながら、茶畑にいる女達が茶の芽を摘んでいた。
歌の拍子に合わせて体を動かしながら、一歩一歩と踊るように茶畑を渡っていく。
自らも拍子に合わせて茶を摘んでいた采夏は、彼女達の一糸乱れぬ軽やかな動きに満足そうに頷いて立ち留まり空を見上げる。雲一つない晴天が見下ろしていた。
「ふう、今日も良いお天気です」
燦燦とふりそそぐ日差しは温かく、吹き付ける風はまだ冷たさをはらんでいて、気持ちが良い。
今日は、最高の茶摘み日和だと、風と共運ばれてくる爽やかな茶の香りにうっとりしながら、采夏は額の汗をぬぐった。
この茶畑は、采夏の宝物だ。
皇帝である黒瑛が、采夏を口説き落とすために青国有数の名茶である龍井の茶木の苗を後宮に定植したのだ。
今年はその茶木が青々と茂り、采夏は日中その茶摘みで大忙しいである。
采夏は先ほど摘んだばかりの茶の芽を摘んで鼻に近づける。
(やはり、同じ龍井の茶木を植え替えても、場所が違えば香が結構変わりますね。龍井茶とは違う味わいだけれど、悪くはないわ。龍井茶の繊細な味わいには及ばないけれど、はっきりとした味わいは口馴染みがいいはず。采夏岩茶と同じ製法で茶葉を作ったら、より深いものになりそう……)
采夏は茶葉を発酵させて作る采夏岩茶のことを考えた。
采夏岩茶は、采夏が手塩にかけて育てたお茶の品名だ。
今までと違う製法で作った采夏岩茶の味わいは芳醇で、国中の茶を嗜んできた采夏が自信を持って提供できる茶に育った。
本当は後宮で、采夏岩茶の茶木も育てたかったが、采夏岩茶の茶木は、普通の茶木と違って岩に根を張って育つ。岩から大地の滋養をじっくりと吸い上げて育つ稀有な茶木だ。
一度黒瑛は岩を切り出して茶木を持ってこさせようかという話もあったが采夏はやんわりと断った。
生育環境が変われば味わいも変わる。采夏岩茶の茶木はそのままそのままにした。今は采夏の父である南州の長がきちんと管理してくれている。
今采夏には龍井茶の茶木をルーツにしている茶畑がある。
いずれはその茶木の一部を用いて、岩に根を張る茶木を一から育て上げるのも一興だ。
「皇后さま、北側三列の茶木の芽を摘み終わったよ、あ、終わりましたでございます」
快活な声がかかり、采夏は顔をあげる。
摘みたての茶葉がたくさん入った籠を抱えた女性がいた。
慌てて言葉を丁寧なものに言い直しながら采夏のもとにやってきたのは、玉芳。
かつては下級妃の一人だったが、妃の任を解かれてから皇后采夏の侍女として仕えてくれている。
彼女も先ほどまで他の宮女達と混じって茶摘みをしていたらしく、健康的で美しい肌に玉のような汗を浮かせていた。
「ありがとう、玉芳。それに、別に言葉使いは、私は気にしないけれど」
「だめです、だめです。こういうのはちゃんとしっかりしなくてはいけません。ただでさえ、変わり者の皇后とかなんとか言われてるんだから。側に仕える私達だけでもちゃんと敬っていく姿勢をみせて、皇后が誰であるかを主張しておかないとなりません」
玉芳は、そう言って自分に言い聞かせるように何度も頷いた。
その様を見て、采夏は不思議そうに目を瞬かせる。
「まあ、私、変わり者だなんて言われているの? 知らなかったです。何故かしら。変わったことなど一つもした覚えはないのに……」
おかしいと思いながら、采夏は首をひねる。
采夏はもともと名家の生まれだ。礼儀作法も物腰も、皇后になるには十分な素養を持ち合わせている。
それに本人的には、別に特別変なこと等してないと、思ってはいる。
そんな采夏を前にして玉芳はげんなりした顔で見つめた。
「何言ってんの。あ、じゃない。何をおっしゃいますか。後宮内に自分の茶畑を持つだけならまだしも、宮女と混じって農民の真似事をなさる皇后がどこにいますか」
そう言って玉芳は胡乱な目で采夏の姿をみた。
今の采夏は、茶摘みしやすい恰好がいいという本人の強い希望で、宮女達が来ているような襤褸の服を身に纏い、頭には手ぬぐいを撒いて、その上に笠をかぶっている。どこからどう見ても、茶農家の娘と言う出で立ちだ。
少なくとも皇后には見えない。
玉芳が不満そうにみつめるのに、采夏はまったく気にしないとばかりに笑顔を輝かせた。
「たくさんいるはずです。なにせこんなに素敵な茶木を目の前にして、茶を摘まずにいられる人がいると思いますか?」
「間違いなくいます」
玉芳はそう断言すると、呆れたようなため息を吐いて言葉を続けた。
「今は、采夏皇后お一人なのでいいですけど、これから他の方が、四大妃として後宮にはいられるのでしょう? 他の妃達に侮られないように、ここはもっとこう、ビシッと、皇后さまらしい振る舞いをですね、お願いしたいところです」
「皇后らしい振る舞い……確かに言われてみれば、そういった意識はなかったかもしれません」
采夏はそう言うとしばらく思案気に視線を下に向ける。
いつも何を言っても暖簾に腕押しだった采夏の真面目な反応に、玉芳はおやと片眉をあげた。
そして采夏は、何か答えを見つけたらしく柔らかに微笑むとまるで舞うように腕を広げてから、拱手すると腰を少しだけ下げてお辞儀をする。
突然繰り出された優雅な挨拶に、玉芳は思わず固まった。
采夏はお茶好きが過ぎて、少々、いやかなり風変りだが、もともとの育ちもよく、動きの一つ一つが優雅だ。
お茶に執着し過ぎるところさえ目を瞑れば、誰もが認める名家の姫と言った風である。
固まる玉芳に采夏はひょっこりいつものいたずらめいた笑顔を見せると、右手を顔の前に掲げる。
そこには親指と人さし指で摘まれた緑があった。
「これは……茶葉、ですか?」
「ええ! そうです。どうですか? 皇后らしい動きで茶葉が摘めてましたか?」
優雅な挨拶の所作、と思われたそれは、どうやら采夏が考えた皇后らしい『茶摘みの動作』だったらしい。
呆然とする玉芳に続けて采夏が何かを思いついたと言わんばかりに笑みを深めた。
近くにある卓に向かうと、そこで何やら茶器を準備して、柄杓を握る。
そして少し離れた場所にある竈の鍋から柄杓で湯を掬いとった。
そう思ったところで、蝶が舞うようにひらりと腕を広げて、采夏は体を回転させる。
するとパシャンと軽やかな音がなった。
「え……」
気づけばどこからか、茶の香気が。
先ほど采夏が用意していた茶器から湯気が出ている。
どうやらあの碗に離れた場所から湯を投げ入れて茶を淹れたらしい。
おそらく皇后らしい動きでの茶の淹れ方でも言うつもりなのだろう。
(大道芸人かよ)
玉芳は内心でつっこんだ。
どこか誇らしげな笑顔を浮かべる采夏に、玉芳は思わず呆れて空を仰いだ。
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