第17話黒瑛は礼をする


「また突然になって、悪かったな」

 今朝届けられた文の通りに、采夏の部屋に皇帝黒瑛が訪れていた。

 今日もたくさんの食事が二人の前に並べられている。


「それにしても、貞花妃はいつもあの調子か?」

 昼間の出来事を思い出した黒瑛が眉間に皺を寄せて采夏に問いかける。


「あのように話しかけられたのは初めてです。……私も、少し頭に血が上ってしまって少々反抗的な態度になってしまったのもいけなかったのかもしれません……」

 采夏が反省するようにそう言うと、黒瑛が薄く微笑んだ。


「確かに、あの時の迫力は凄かったな。俺が割って入らなくても、気迫で奴らを追い返しそうだった」

「茶師を馬鹿にされてつい……。しかし、今思えば、きっと貞花妃様は、本当においしいお茶を飲んだことがないから、あのような……茶師を馬鹿にするような恐ろしい言動ができたのだと思うのです。そう思うと、可哀想なお人……」

 本心から同情するように言う采夏を見て、黒瑛は流石だなと変な笑いがこみ上げる。

 だが、そう楽観視できる事柄でもなかった。

 貞の性分から言うとあのまま黙って引き下がるとは思えない。


「くれぐれも注意した方がいい。俺も軽率だった。お前の元に通うべきじゃなかったな」

 あの時は、ただただ知恵を借りるつもりで来てしまったが、周りはそれだけと捉える訳がない。しこりを残す。

 とはいえ、采夏とゆっくりと二人で安全に会うためには、ああする他はないのだが。


「いいえ、陛下とのお茶の時間は楽しいものでした」

「そうか、そう言ってもらえると嬉しいが……しばらく俺は後宮に、いや、都にいない。今日みたいに助けてやることができないからな」

「そうなのですか?」

「ああ、お前のおかげで、この前相談した贈り物の主と会うことになった。北州に向かう。俺が不在の間、お前の身を守るために一応できることを考えてみるが、気を付けとけよ」

「もったいないお言葉です。ありがとうございます」

 采夏の言葉に黒瑛は頷くと、改めて采夏に向かって姿勢を正した。


「で、だ。さっきも言ったがお前のおかげで助かった。今日はそのお礼に来たんだ。何か、欲しいものはあるか? 何か礼を持ってこさせる」


「いいのですか!? えっと欲しいものなら、あの、飲みたいお茶が……」

 と、最初こそ嬉しそうに話し出していた采夏だったが、途中で口を噤んだ。


「どうしたんだ?」

「あ、いいえ、やっぱりお茶ではなくて別の頼みがあるのですが……」

 と言いにくそうに言う采夏を黒瑛は意外に思った。

 どうせお茶だろうと思っていたが、違うものを所望されるとは。

 とはいえ、自分が用意できるものならなんでも与えてあげたい気持ちだ。

 彼女がどんな要求をするのだろうと、少しわくわくした気持ちで黒瑛は笑みを深める。


「なんだ? 遠慮するとは珍しいな」

 黒瑛にそう言われて、少し戸惑うようなそぶりを見せていた采夏が、意を決したかのように顔を上げた。


「実は、陛下に飲んでもらいたいお茶があるのです」

 少し気恥ずかしそうにして采夏はそう言った。


「飲んでもらいたいお茶?」

「私が、皇帝献上茶の選定会に出したかったお茶です」

「……そういえば、もともと采夏妃は茶師だったな」

 坦に調べさせて采夏の経歴を思い出す。

 西州の茶農家出身ということだった。


「はい、私はもともと、皇帝献上茶の選定会のために上京したのです。ですが、間違えて、後宮に入ってしまって……」

 采夏の言葉に、黒瑛は目を見開いた。

「ま、間違えて入ってきたのか?」

「はい……。皇帝献上茶の選定会に参加しようとしたら、間違えて選秀女の受付に並んでしまって」

「……ほう」

 と答えながら、少々黒瑛は微妙な気持ちになった。


(俺の妃になったのは、間違いってことか……?いや、この後宮の妃と連れ添うつもりがない俺が落ち込む資格はないんだが……)


「陛下? どうかなさいましたか?」

「あ、いや、悪い。ぼーっとしてた。それで、飲んで欲しい茶があるってことなら、別にいつでもいいが」

「ありがとうございます。すぐに用意できますよ。このお茶の完成品はいつもお守り代わりに肌身離さず持っているのです」

 そう言って采夏はいつもの自分の茶道具を開いた。

 そこに入っていた紙袋を取り出す。


 その袋には采夏岩茶と書かれていた。


「このお茶です。私が、育てたお茶……采夏岩茶(サイカガンチャ)と言います」

 大事そうに両手でその袋を黒瑛に見せた。


「へえ。今あるなら丁度いい。飲もうか。ああ、それと、采夏妃のことだから、お茶が欲しいと言われると思って、実はいくつか茶を持ってきたんだ。そのお茶ももらってくれ」

 そう言って、黒瑛は、采夏の部屋に訪れる時に宦官に持たせていた大きな重箱に手をかけた。

 5段の重箱で、黒瑛がそれぞれ開けると深緑の茶葉たちがぎっしりと入っている。


 采夏は目を輝かせた。


「すごい! こんなに、たくさん!」

 采夏は飛びつくようにしてその重箱を抱えて顔を近づける。

 そして思いっきり鼻から息を吸った。


「ああ! 茶葉の良い香り! このままこの茶葉の海に浸れたら、どんなに幸せでしょうか!ああ、でもお茶は飲むもの香るもの。采夏岩茶の前に、これらの茶葉も飲みましょう! そうです! こんなにあるのですから、利き茶遊びをいたしませんか?」

「利き茶遊び?」

「味比べのようなものです。お茶はそれぞれ産地の違いなどによって、風味等が異なってまいります。色々なお茶を飲み比べて、好みのお茶を見つけるのです」

「へえ、面白そうだな」

 黒瑛がそう応じると、采夏はもらった茶葉と自分の茶を使って茶の用意をし始めた。

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