第18話黒瑛はお茶を飲み比べる

 采夏はさっそく数種類のお茶を用意してくれた。

 それを黒瑛と采夏は、小さな茶杯で味わう。


 采夏に出会うまで、正直黒瑛は茶の味を気にしたことがなかった。

 もちろん皇帝献上茶を決める際などに、茶を飲み比べたことはある。

 多少の味の違いも感じた。だが、どれも似たようなものぐらいに思っていた。


 しかし、こうやって采夏とお茶を飲んでいると、同じ緑茶でも産地や作り手によってこれほどまでに味を変えるのかと、驚くことばかりだ。


(なにより采夏の茶の知識がすごい。一口飲むだけでこのお茶の産地や作り手の拘りまで理解し、俺に教えてくれる。それによってよりお茶の深みを味わうことができる。これほどまでの知識を身につけるのは並大抵の努力じゃなかっただろうな。茶師として、優秀だったに違いない)


 目の前でおいしそうに茶を飲む采夏を見ながら、そんなことを想って、黒瑛は新しく先ほど采夏が淹れてくれた茶を一口飲む。


(ん? これは……)


 茶を飲んだ黒瑛は手をとめた。


「このお茶、花の香りがするな」

 思わず黒瑛はそうこぼした。


「はい、これは、茉莉花茶(ジャスミンチャ)。仰せの通り、茉莉花(ジャスミン)の香りが涼し気なお茶です」

「へえ、先日の竹祷茶(チクジュチャ)の茉莉花版と言ったところか?」

「似てますが、茉莉花茶は、茶葉を摘んだ後に茉莉花の花を混ぜ込んで茶葉に直接香りを移すのです。そのため、より強く花の香りが茶葉に染み渡ります」

「ああ、確かに、茉莉花の花の香りがハッキリと分かるな」

「陛下は茉莉花がお好きなのですか?」

「そうだな……正直花にはあんまり興味ないんだが、しかしこの香りは嫌いじゃない。この匂いを嗅いでいると、妙に落ち着く」

 そう言って黒瑛は優しい目をして茶の湯を見た。


(というか、どの茶も、采夏が淹れるとうまいんだが……)


 今日の利き茶で飲んだお茶はどれも本当においしかった。

 特にお茶にこだわりはなく、飲むとしたら皇帝献上茶に選ばれた茶ばかりで、他のお茶に対してそれほどうまいと感じた事はなかったというのに。


 だがこうやって飲んでみると、これがうまい。

 どのお茶も、それぞれ味わいがあるし、たくさん飲んでいても飽きが来ない。

 不思議な気分だった。


「それでは、最後に此方のお茶をどうぞ」

 采夏は本当に薄い黄色のお茶が入った茶杯を黒瑛に差し出す。


 珍しくどこか緊張した声で采夏が言うので、黒瑛は思わず目を見開いた。


「これはもしかして、お前が作ったお茶か?」

 采夏はコクリと頷いた。


(へえ、これが、采夏の作った茶か……。これほど茶に精通した采夏が作ったもんだと思うと、妙に期待しちまうな)


「よし、頂こう」

 黒瑛は茶杯を手に取り、グッと口に流し込んだ。

 色が薄いが、きちんと茶の味を感じる。

 だが……。


「これは、先ほどまで飲んだ茶とは違って……なんというか、硬い、な」

 黒瑛がそのお茶を飲んで思った感想は、硬い、だった。

 先ほどまで飲んでいたお茶は、飲むときに柔らかく感じたが、これはどことなく喉に抵抗感を感じる。

 ほんの些細な違いではあったが、それが妙に気になった。


「硬い……そうですね。お味はどうですか?」

「味は、そうだな、味と言う味が分かりにくいというか、淡泊と言うか……」

 再び、黒瑛はお茶を飲むが、やはり何とも妙に言葉にしづらい味わいだ。

 もちろんまずいと言うわけではない。おいしい。おいしくはあるが……。


「もし、このお茶が皇帝献上茶の選定会に出されていたら、どうされますか?」

 緊張した面持ちで采夏が黒瑛に問いかけた。


 しばらく、お茶を舌の上で味わっていた黒瑛だったが、ゆっくりと口を開いた。


「これは……悪いが俺の好みではないな。選ばれることはなかっただろう」

 まずくはないが、それほどではない。

 それが黒瑛の正直な感想だった。


 采夏には少し悪いような気もしたが、ここで嘘をつく方が不誠実だ。

 黒瑛の言葉に、采夏は満足そうに頷いた。


「やはり、そうですか。私も。この茶が選ばれることはないだろうって思っていました……でも挑戦だけしてみたかったのです」

「……この茶、自分で育てたといっていたな?」

「はい、私の出身地にある西州の山の茶樹です。大きな岩にしがみつくようにして根を張る変わった茶樹で、最初見た時、生きにくい環境でも力強く成長するこの茶樹の姿に心を奪われました。そして、これほど生命力に溢れた茶なのだからきっと素晴らしいお茶が飲めると思ったのです。ですが……」


 そこまで言って采夏は口を噤んだ。

 そして少し悲しそうに目を伏せてから、口を開く。


「……思ったような味は出ませんでした。水が悪いのかと様々な名水を試したり、青殺(さっせい)の仕方が悪いのかと色々とやり方を変えたのですが、味は変わらなくて……。でも、この茶葉には可能性を感じるのです。淡泊な味の奥に、旨味を隠している。それを私がうまく引き出せていない」

 そう言って茶を見つめる瞳は、真摯だった。


「なんだか、あまり上手いことが言えなくてあれだったが、別に悪い茶ってわけじゃない」

 気遣うように黒瑛がそう言うと、采夏は柔らかく笑った。


「陛下、飲んでいただいてありがとうございます。これで私も、心の区切りができました」

 そう言って采夏は頭を下げた。


「心の区切り?」

「実は、親から早く結婚してほしいって言われていて、茶師としての仕事は今年で最後にしてお見合いをする予定だったのです。だから最後の思い出に、皇帝献上茶の選定会に自分の茶葉を出そうと思って。まあ、間違って後宮に入ってしまいましたが。今は、毎日のんびりお茶を飲める今の生活に満足しています。でも、このお茶のことだけが心残りでした。今日は陛下のおかげで心残りがなくなりました」

 そう言って、少し悲しそうに、瞳を伏せて目の前の茶杯を見つめた。

 ぎゅっと、采夏の茶杯を持つ手に力が入る。


(これは……あきらめた奴の目じゃないな)

 黒瑛はそう思って苦く笑った。


「……また茶師に戻りたいか? 俺が実権を取り戻したら、後宮から出してやることもできる」

「後宮を……?」

「そうだ。茶師に戻りたくないか?」

「それは……。また茶師としてお茶作りができたら、もちろん嬉しいです。でも、後宮から出ても、私の場合は親の決めた人とお見合いをするだけなので、どちらにしろ茶師は続けられません」


「結婚相手が許せば、茶師を続けることはできるだろう?」

「それは、そうですけど、そんな奇特な方いるでしょうか……?仕事ではなくて趣味として続けるにも、お茶はお金のかかる趣味です」

「いるさ。俺が用意してやるよ」

 黒瑛の言葉に、采夏は目を見開いた。


「陛下が……?」

「そうだ。お前には本当に感謝してる。俺はまだ力のない皇帝だが、必ず実権を手に入れる。その時は、希望者は後宮の外に出られるように恩赦(おんしゃ)を出すし、見合い相手のことも探す。お前が望むものをすべて用意してやる」

 黒瑛がそこまで言うと、采夏は目を丸くさせた。


「……どうして、そこまで、私にしてくださるのですか?」

「さっき言っただろ。本当に助かったんだ」

 それは、陸翔のことだけじゃない。

 最初に飲んだお茶のおかげで、黒瑛はここまで来られた。


「……私は、本当に、それを望んでもいいのでしょうか? こう見えて、私、結構今まで我儘を通していて親を困らせてまして。だからこそ、これが最後だと区切りが欲しくて……」

「茶のことに関しちゃ遠慮のないお前が珍しいことを言う」

「両親には、今まで自由にさせてもらったこと、これでも感謝しているのです。ですから、約束は守らなくてはと思っていました。でも……私は茶師を、続けても、いいのですか? 諦めなくても、よいのでしょうか?」

 縋るように、戸惑うように采夏は黒瑛を見た。


(諦めなくても、か。秦漱石から実権を奪うことを諦めようとしていた俺に、諦めるなと教えてくれたのは、お前なんだけどな。今度は逆の立場になるとは、何とも、因果なもんだ)


 黒瑛は最初の出会いの時を思い出す。

 采夏の茶が、忘れかけていた気持ちを取り戻してくれた。

 何もかもがうまくいかず全て投げ捨ててやりたいときに、采夏が、まだやれることはあるのだと、自分に限界などないのだと教えてくれた。


「何を躊躇うことがある。

 俺が良いと言ってるんだ。良いに決まってる。約束する。俺が誠に皇帝になれた時、必ずお前の望むものすべてをくれてやるよ」


 黒瑛は力強くそう言った。

 采夏は彼のその強い瞳をただただ見つめ返していた。

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