第12話采夏は謎の絵をみせられる

 皇帝に呼ばれた妃には様々なものが与えられる。

 その一つがまずは自分だけの宮だ。

 皇帝からの指名を得た采夏はその日のうちに、部屋を替えられた。


 今までの小さい部屋から、鳥陵殿(チョウリョウデン)と呼ばれる建物まるまるが采夏の住処になった。

 そこで采夏は、宮女たちに寄ってたかって風呂場で磨きに磨かれ、香油を全身に塗りたくられ、髪をこれでもかと言うくらいに梳かれて光り輝くばかりに艶が出ている。


 そうして体を整えた采夏は、新しく自分の住まいとなった鳥龍殿で皇帝がくるのを待つ身となった。

 しかし采夏の気持ちは正直重い。


(まさか、あの時もらった茶葉を返せって言われるんじゃないかしら……)

 あの時もらった龍井茶は大事にちびちびと飲んでいるため、まだ茶葉は残っている。

 宦官に化けてるところを秘密にする程度で、あの龍井茶がもらえたことは虫が良すぎる話だと采夏自身が思っていた。

 でも、もうもらった物は自分のもののはず。


(けど、陛下に返せって言われたら、さすがに返さないとまずい、ですよね……。でも……)

 南国爽茶の芳醇な味わいが脳裏によぎる。


(いいえ、あのお茶を返すぐらいなら、私……!)

 采夏はひそかに死すら覚悟しているとは気付かず、宮女たちが用意した食事が膳に並んでゆく。


 鶏肉のつみれと青菜の汁もの。

 干し鮑(あわび)の煮込み。

 燕の巣のスープ仕立て。

 一羽丸ごと使った蒸し鶏の冷菜。

 その他諸々。とても豪華で、食べきれないほどの品数。


 一生に一度口にできるかどうかの高級料理を前にしているにもかかわらず、食欲は湧かない。

 しかし、その時ふと、ひらめいた。


(そうだわ! 今、残りの茶葉を全部使い切ってしまえば……!)

 ギリギリのところで名案が浮かんだ采夏は、さっそくとばかりにそばにあった蓋椀(がいわん)に手をかける。

 飲食用に白湯は用意されている。

 後は椀に隠し持っている茶葉を入れて白湯を注げば……というところで皇帝到着の知らせが届いた。


(ま、間に合わなかった……!)


 椀の蓋を外したところで、ふすまの開く音がした。


「采夏妃、か?」

 という皇帝の声。その声は間違いなく先日会った宦官に扮していた皇帝の声だ。


「はい、采夏で、ございます……」

 そう言って、采夏がよろよろと顔を上げると、皇帝―――黒瑛の黒い瞳と目が合った。


 凛々しく整った柳眉とスーッと筋の通った鼻。

 後ろで結んだ長い髪には艶がある。

 肌は女性のように白くはあったが、背が高くがっしりとした体形故か十分な雄々しさを感じた。


(……前は顔を隠していたから、分からなかったけれど、随分と整った顔立ちだったのですね)

 玉芳がブサイクだと言った時、咄嗟に庇ったが、自分が言ったことは間違いなかったのだなと思い返す。

 しかしすぐにお茶のことを思い出して、采夏は小さくため息をつきながら視線を下に向けた。

 元気が出ない。

 龍井茶が奪われるかもしれないと思うだけで、気が滅入る。


 そうして憂鬱な采夏と皇帝黒瑛、二人での食事が始まる。

 黒瑛は、料理の説明をしたり、天気の話をしたりしていたが、采夏はどこか上の空。

 脳内では、今にお茶の話をされるのではないかと気が気でなかった。


「なんか、前会った時と雰囲気が違うな。どうかしたか……?」


 目の前に手を振られてハッと顔を上げると、心配そうな顔をした皇帝が采夏を見ていた。


(凛々し気な顔だけど、よくみると優しそうな瞳……)


 黒瑛の吸い込まれそうな黒い瞳に、采夏は希望を見出した。


(もしかして、別に、お茶を取り返しにきたわけではないのでは……?

 だってこんなに優しいのだし、意地悪くも私から茶葉を取り返そうとしている人の顔ではないわ)


 希望に縋りつきたい采夏はそう考えて、そしてまた首をひねる。


(でも、そうだとしたら、わざわざ私を呼んだ理由が何かしら……)


 普通に考えれば、妃である采夏を呼ぶ理由といえば一つしかないのだが、妃である自覚がまったくない采夏にはまったく見当がつかない。


「あの、陛下……今日は、どうしてこちらに? 私の、大事なものを奪いに来たわけではないのですか?」

 悩んでいても仕方ないと、采夏は直接尋ねることにした。


「ん? 大事な、もの……?」

 呆けたように黒瑛は言葉を繰り返した。

 未だ茶を取られるかもしれないという不安がぬぐえず、采夏の瞳は潤んでいる。

 そんな潤んだ瞳で、小首をかしげながら縋るような采夏を見て黒瑛はみるみる顔を赤らめ、ついにたまらず采夏から顔を背けた。


「いや、待て。違う。別にそういうつもりで来たんじゃない!」

 慌てて黒瑛は否定した。

 その言葉に采夏の顔が輝いた。


「そうなのですか!?」

「ああ、まあ、その、立場上そういうことをしなくちゃならねぇのは分かっているが、諸事情で、俺は、妃に手を付けるつもりはなくてだな……いや別に采夏妃が悪いとかではないし、むしろ好みではあるっつーか……」

 と、しどろもどろに黒瑛が何事かを言っているが……。


(良かったわ! 茶葉、取られないで済むのね!!)


 采夏の頭には茶葉を取られないで済むということで頭が一杯でその先の黒瑛の話は全く入ってきていなかった。

 しばらく黒瑛がむにゃむにゃ言い訳がましいことを言っていたが、それが収まると采夏はあたかも話を聞いてましたという感じで大きく頷いた。


「すみません、私、色々勘違いしていたみたいです」

「いや、いいんだ。……むしろ誤解させて悪いな」

「いいんです、いいんです。では、本日はどのようなご用向きで?」

 茶葉を失う可能性がなくなってホッとした采夏は、皇帝を前にしているというのに口も軽快だ。

 しかし皇帝はその気安い話し方を咎めることもなく、笑顔で応じた。


「実は相談事があってきた」

「相談ですか? どうぞどうぞ」

「お前のお茶の」

「それはあんまりです……!」

 希望を見出した瞬間に、お茶の話をしだす皇帝に采夏は声を荒げた。


「陛下、ひどい人! 私をもてあそんだのですか!?」

「もてっ……ええ!? まだもてあそんではないだろ!? いや、もてあそぶ気もないがな!?」 

「だって、違うって言ったのに、お茶の話をしだしたではありませんか!」

「いや、だが、そのために呼んだわけだが」

「やはりそうだったんですね! ひどいです……! 私は、絶対に返しませんから!」

「か、返す……!? いや、待て待て、返さないって何をだ!? 何か誤解してないか……!?」

「誤解も何も、陛下は、私に一度くださった龍井茶を取り返しに来たのですよね!?」

「違うが!?」

「ほら! やっぱり、そう……え? 違うのですか?」

 采夏は目をぱちくりとさせた。

 二人は見つめあい、しばらくして黒瑛が疲れたようなため息をこぼす。


「何がどうやって、そんな勘違いをしたんだ……」

「だ、だって、龍井茶ですよ? 私だったら、絶対のぜーーーーーったい、人にあげたりできません」

「お前がそれほどあのお茶が好きなのは分かった。俺も好きだ。だがな、わざわざ人にあげたものを取り返さずとも、俺は毎朝飲める」


「え? そんなまさか。だって、あれは滅多に手に入らない、皇帝献上茶に選ばれた銘茶ですよ!?」

「ああ、知ってる。俺が皇帝だからな。俺に献上されてるからな」

「……あ!」

 ここで初めて采夏は、思い至った。

 そういえば目の前の人こそが皇帝だったと。

 ならば、わざわざ私にあげた茶なんか取り返さなくても、

 いくらでも他に手に入れようがあるのだ。


「あらやだ私ったら、お茶のことになると頭がこう、いっぱいになってしまって」

 采夏は恥ずかしそうに下を向く。

 茶好きの変わり者ではあるが、采夏はこれでも花も恥じらう乙女。

 国の最高権力者を前に粗相をしたとなると恥じらいもする。


(勘違いしてしまって恥ずかしい上に、陛下にちょっと無礼な口を利いた気がする……!)

 正直ちょっとどころの無礼ではなかったが、幸いなことにこの場には二人しかいない。

 当の皇帝本人は、采夏の勘違いに驚きはしたものの特に悪感情は抱かなかったようで口元には笑みを浮かべた。


「なんか、思ったよりも、お前は、かわ……抜けてるところもあるんだな」

 何か別のことを言おうとしたところを途中で口を噤み、皇帝はそう返した。


「すみません。お茶のことになるとどうしても……」

「いや、いい。そんな茶好きな采夏妃だからお願いしたいことがあってきたんだ」

 そう言って黒瑛は、懐から三つ折りにされた紙を取り出した。


「これを見てもらいたい」

 黒瑛が取り出した紙を開くと、そこには蘭、菊、梅の三種の植物が繊細に描かれていた。

 左下に丸い花弁の愛らしい蘭の花、その上に梅の花枝が伸び、中央やや右下に菊の花が咲いている。


「これは、水墨画ですか……?」

「ああ、俺の知人が描いてよこしてきた。その知人は茶が好きなことで有名なんだが、彼に茶を送り返すとしたらなにがいいかと相談をしたかったんだ」

「へえ、お茶の贈り物。それは素晴らしいですね! ……それでは、その絵を近くで見せてもらってもいいですか?」

「ああ、頼む」

 采夏は絵を手元に引き寄せるとまじまじと見つめた。そして小さく頷く。


「なるほど……素晴らしい出来栄えですね」

「君は、絵も心得があるの?」

「結構好きです。素晴らしい絵画を見ながらお茶を飲むというのも良いものですよ。その場の景色や雰囲気で、不思議なことにお茶も味を変えることがあります。最高の一杯を飲むために、絵師にお茶に合う景色を描いてもらうこともありました」

「本当に、全てお茶が中心なんだな……」

「ええ、だって、お茶にはそれだけの魅力がありますから! それにしても、この絵……なんだか変な感じがしますね」

「変……?」

「ええ、絵としての出来は本当に素晴らしいのですが、なんというか、上手く言葉にはできないのですが、どうも、むずむずするというか、何かが足りないというか、構図のせいでしょうか……」

「確かにこの絵の構図、右上が妙に空いている気がするな」

 黒瑛もそう言ってしげしげと水墨画を眺めた。

 描かれている三種の花は左側と下にばかり固まっている。


「……とあるお茶が飲みたいです。そのお茶を陛下が用意してくださることは可能ですか?」

 絵を見ていた采夏はぽつりとそう言った。


「茶を? ああ、それは、別に構わないが」

「ありがとうございます。この絵を見ていたら、とあるお茶がどうしても飲みたくなって……竹祷茶というのですが」

 と答えながら、采夏は少しも待っていられないとばかりに自分の茶道具に手をかけた。



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