第11話采夏はよばれる

 後宮生活で采夏が一番意外に思ったのは、食事である。

 後宮の食事は質素なものだった。


 己の懐が肥えることしか考えていない宦官の専横政治が続き、国の財政はあまりよくない。

 宮女などの使用人含めて3000人以上を抱える後宮を維持するのはなかなか大変なのだろう。

 その財政の苦しさが、食事にも表れていた。


 一応朝と夕の二食もらえるが、粥が一杯に漬物。

 そしてそこにおかずが一品つくかつかないか。


 もちろん后妃でも位がつくような地位になれば、それなりの食事にありつくことができるのだろうが、入りたての下級后妃ではこんなものらしい。


 だが、采夏はお茶さえあれば幸せな体質な娘だったので、それほど気にはならなかったのだが……。


「ご飯があれだけなんて、聞いてない! 後宮に入ればいっぱい贅沢できると思ったのに!」

 そう不満そうに鼻息を荒げるのは、采夏と同じ時期に后妃として後宮入りした玉芳だ。

 色白の肌に微かに青みがかった大きな瞳が可憐な娘で、気性は比較的荒いが、繊細な二胡の音色を響かせてくれる二胡の名手である。 

 

「まあまあ。お茶でも飲んで落ち着いて」

 そう言って、蓋椀(がいわん)にいれた茶を玉芳の茶杯に注ぎ入れる。

 最近は、庭園の東屋の椅子に腰かけて二人でお茶を飲むのが習慣になっていた。

 白い茶杯に注がれた薄緑の茶から、芳しい緑茶の香りが広がる。


 玉芳はそれをグビッと一口で飲むと、プハーっと息を吐き出した。


 お酒みたいに飲むなぁと采夏はのんびりと思った。


「それにさ、女官ってホント嫌よね。私達、貴方達と違って才女ですけど何か? みたいな態度とるじゃん」

「そうかしらね」

 そう答えながら采夏は再び茶杯に茶を注ぐ。

 コロコロ変わる玉芳の話はいつものことだ。


「そうよ、絶対そう。なにより引きこもり帝よ! 本当に引きこもって、全然私達と会うつもりないみたいだし」

「……そ、そうですね」

 一度皇帝に会ったことのある采夏はなんだか後ろめたい気分になりつつも頷いた。


「きっと、皇帝陛下って、不細工なんだわ。だから表に出ないの」

「そっ、そんなことないんじゃない!?」

 思わず声を荒げた采夏を、玉芳が不思議そうに見る。


「何? 陛下を庇ったりして……見たことあるの?」

「あっ、いや、も、もちろんお会いしたことはないですけども!」

 もごもごどうにか采夏は口にする。


 皇帝に会ったことは隠さねばならない約束だ。

 茶葉ももらったのでその約束を破る気はない。

 

「ほ、ほら、陛下はお若い方らしいし? 先帝だって顔が整ってたらしいし……!」


「何よ、そんなに焦らなくてもいいじゃない。本気で陛下に会ったなんて思ってないわよ」

 呆れたような玉芳の声に、采夏は恐る恐る目線を合わせる。


「そうなの?」

「当たり前でしょ。だいたいアタシ達みたいな入りたての妃が皇帝に会う機会なんてないじゃない。

 会ったことがあるとしたら、貞花妃ぐらいなんじゃない? ま、皇帝陛下からのお声がけが一度もないらしいけれどね」

「えっ……花妃の方なのに、お声がけが一度もないんですか?」

 采夏は目を丸くして尋ねた。

 花妃というのは、皇帝の母である皇太后の次に後宮の実権を握る妃の位を指し、続いて、鳥妃、風妃、月妃と続き、この四妃は他の妃の中でも別格扱いとされる。

 通常、皇帝が寵愛する度合いによって妃の位が決まることが多い。逆に言えば、皇帝からの声がけがあるからこそ、花妃などの四大妃の位を貰えると言っていい。


「らしいわよ。あの花妃の位も、あの悪名高いかのお方の力でねじ込んだって噂よ。なにせ、貞花妃は、あのお方の姪らしいから」

 そう玉芳は采夏の耳に手を添えて声を潜ませた。


 あのお方、というのは言うまでもなく、秦漱石という宦官のことだ。


 采夏は、貞花妃のことを想い出す。

 目鼻立ちのはっきりした美人でいつも華やかな衣装を身に纏い、後ろに宮女や他の妃を引き連れて歩く貞花妃。

 以前、食事会にも誘ってもらったが、その時もたくさんの宮女を侍らせていた。


(まさか貞花妃様が秦漱石の姪だったなんて)

 驚きつつも、後宮での振る舞いを見るに、それほどの強い後ろ盾があるからこそできることなのだろうと納得できた。


 現在の後宮では、花妃の位が元々高い上に、続く鳥妃、風妃、月妃の位が空席なこともあり、貞花妃の独壇場状態と言える。


「でもさ、皇帝陛下が、例え不細工じゃなくても、あれの言いなりになっているんだから、性格は下劣で性悪で陰険に違いないわ」

「……それは、きっと、ご事情があるのですよ」

 確かに今は引きこもり帝と呼ばれ、秦漱石の好きなようにされている。

 けれど、少なくとも以前采夏が会った時の皇帝は、そこまで悪く言われるようには見えなかった。


「こんなところにいたのですか、采夏妃」

 采夏と玉芳の会話に、疲れたような声が割って入ってきた。


 采夏と玉芳がハッとして声の主に顔を向けると、そこには黄土色の衣……上級宦官服を着た男がいた。

 男は、実に面倒そうな顔を隠しもせず采夏の元に近づいてくる。


「まったく、なんでこんなところにいるんですか? おかげで私の服に泥がついたじゃないですか」

 そう言って、男は大げさに袖を払った。

 采夏達がいる東屋は、後宮の庭の中でも奥まったところにある。


 だからこそゆっくりお茶を飲むのには静かで気にいっているのだが、道々少し泥が着くこともあるかもしれない。

 とはいえ采夏から見たら、宦官の服に泥なんてついてないように見えたが、男にとっては違うらしい。


 本来、宦官は妃の使用人の立ち位置であるが、最近では宦官の方が権力を擁することが多くなり、横柄な振る舞いをする宦官が増えてきた。


「そんなちょっとした汚れも気にする宦官様が、わざわざこんなところまでやってきて、なんのご用なのですか?」

 玉芳が呆れたようにそう言うと、ムッとした顔をして男は顔を上げた。


「お前には用はない。私が用があるのは、采夏妃だ」

 そう言って、男は螺鈿細工(らでんざいく)の文箱を采夏に差し出した。


 その文箱に龍の紋様が描かれているのを見た玉芳が思わず目を見開く。


「こ、この御龍印(ごりゅういん)が刻まれた文箱を采夏に!?」

 玉芳から素っ頓狂な声が漏れるが、驚くのも無理はない。

 この龍の絵柄の印、御龍印が押されているということは、すなわちこの書簡が皇帝陛下からのものであるという意味を示す。


 采夏は、恐る恐るその文箱を開けて中の文を受け取り、中身を見る。


『夕食のともに采夏妃を』

 簡潔な、後宮では有名な定型文にひやりと汗がでた。


「身を清めておきなさい」

 宦官はそう言って、面倒が終わったとばかりに去っていく。


 書簡には、『夕食のともに』とだけ書かれているが、

 この文章は後宮では『寝所をともにする』ことまで含まれている定型文である。


 つまり、采夏は、皇帝のお相手を指名されたということで、それは引きこもり帝と呼ばれる黒瑛帝が即位して初めてのことであった。

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