02:遭遇


 男の声に、綾からフラグメントに対する恐怖心が吹き飛んでしまい、別の感情が彼女を支配した。

 それは、安心感でもあり、天に対する怒りでもあった。


「その声!山城!あんた、どこに行ってたのよ!」

「その状態で元気なヤツだな、お前」

「ああっ、何言ってんのよ、助けなさいよ!。助けてくれたら、お礼にぶん殴ってやるから!」

「そう言われて助けるようなマゾっ気は無いんだよなぁ」


 両手をフラグメントに突っ込んだまま、自由になる脚で後ろに居るであろう自分を蹴り飛ばそうとしている綾を見て、天は困ったような面白がってるような複雑な顔をしていた。


「とは言え、仕方ないな。ちょっと大人しくしてくれよ」


 天はそう言うと、腰のグロッグ33を引き抜き、頭部に向けて至近距離で一発だけ発砲した。

 発射されたホローポイント弾は命中箇所で変形し対象を破壊するはずが、フラグメントに命中した弾丸は変形もせず、命中箇所からは衝撃が表層を伝わり、さざ波のように全身へ広がって弾丸のエネルギーを拡散、緩和してゆく。

 波が静まった後には、発射された時と同じ形を維持したホローポイント弾が、黒子のように残っていた。

 同時に、力なく垂れ下がっていた両腕が、関節などない触手のように天に向かって素早く動きだしていた。

 しかし、天の姿はそこには無く、彼は腕の到達範囲を見切っているかのように、後方へと飛び退っている。


「やっぱダメか。拳銃弾でイケるときとダメな時の差がいまいちわかんねぇな」


 そう呟くと、天は腰のマチェットを引き抜き、伸び切ったフラグメントの両腕を掻い潜って接近、綾が取り込まれかけている胴体部は避け、先程弾丸を無効化された頭部へと刃を突き立てた。

 しかし、弾丸のエネルギーを柔らかくいなしたフラグメントの表面は、今度は鋼鉄のようにマチェットの切っ先を一ミリも食い込ませる事なく受け止める。

 それを見ても表情一つ変えない天が小さく呟くと、びくともしなかったマチェットの刀身がするりとフラグメントの頭部に滑り込み、中心部に有った鈍い光球を断ち割った。

 それと同時に、フラグメントの身体はブルりと震え、その波は次第に全身に広がって行く。

 縦に並んだ光球が上から順に光を失うのに合わせるように、フラグメントの身体は崩れるように消えていった。


「一丁上がりってね…おっと」


 フラグメントの崩壊から飛び退って、天がマチェットを腰のケースに戻したのを見計らったように、綾の美しい脚が弧を描いて凶悪な速度で天に向けて放たれた。

 見てから反応したとは思えない動きで、天が軽くステップバックをして間合いを外すと、そのまま後ろ回し蹴りに切り替えた綾の脚が天の頭を追う。

 今度はステップを使わずに、スウェーバックで躱した天は、綾が次の技に移行する前に間合いを詰め、彼女の腰を抱いて動きを止めた。

 その瞬間だけを切り取れば、まるでダンスの1シーンのようだ。


「危ねぇな、当たったら怪我するレベルだぞ」

「な…なに言ってんのよ。離しなさいよ、もう!」

「はいはい」


 天が腰から手を離すと、飛び退くように距離を取った綾は、再度攻撃しようとして…諦めた。

 さっきのを躱されたのなら、まともに攻撃しても当たらないと判断したようだ。

 少し冷静になった綾は、天の足元に倒れている女性の姿にやっと気がついた。

 それは、フラグメントに拐われたなずなだった。天が言葉通り助けてくれたらしい。

 綾は天の様子を気にしつつも、倒れているなずなに駆け寄って助け起こした。


「なずな!なずな!…しっかりして!」

「大丈夫。失神しているだけで息はしている」

「あの黒いのに取り込まれてたけど、身体の方は大丈夫なの?」

「人間は自我が有るから、そう簡単には取り込まれたりはしないさ。死にたいとか思ってるとヤバいかもしれんが」

「それにしたって……で、私に何か言う事有るんじゃないの?」

「ん?なんの事だ?」

「とぼけないでよ。なずなを取り込んだフラグメントの場所、あそこじゃなかったんでしょ」


 綾の言葉に、天は、ほう…と言う顔をしながら答えた。

 彼女にそれが判ると思ってなかったようだ。


「ふむ、どうしてそう思ったんだ?」

「何言ってんのよ。あの位の時間であの広いとこからフラグメントごと姿を消すの無理でしょ」

「建物の中かもしれないじゃないか」

「さっきやってた方法でフラグメントと戦うって言うなら、わざわざ狭いとこに誘導する意味無いじゃない」

「なるほど…あと、まだ何か言いたそうだな」

「あと、私を囮にしたでしょ。どうして?」


 天の言葉に、綾は意を決したように表情を引き締めて言った。

 それに対して、天は特に悪びれる風でもなく、当たり前のように言い返した。


「まぁ、囮と言うか、必要な事だったからな」

「なによそれ!。必要ならちゃんと説明してくれても良かったんじゃないの?」

「必要だからフラグメントに取り込まれてくれよ…と言って信用するか?」

「しないわね」

「そういうこった……あん?」


 ふと何かに気づいたのか、天は腰のグロッグに手をやっていた。

 遅れて、綾も何者かが近づいてくる事に気がついた。

 別に存在を隠す意図は無いのか、高い足音と共に一人の男と三人の女が一緒にこちらへ向かってくるのが見えた。

 その中に気に入らない者でも居たのか、天が軽く舌打ちをしている音が綾の耳に届いてきた。


「おや、山城君じゃないか。また女性に乱暴を?」

「人聞きの悪い事を言ってんじゃねぇよ、柚木。奴らに捕まってたのを助けたとか思わないのかよ」

「乱暴…って、あんたそんな事してんの?」

「この位相世界レイヤードに法律は無いからね。例え殺人ですらここで行われた事は僕らの世界には判らない訳だし」

「おい、なんかおれが悪さしてるって流れになってんだけど?」

「私を囮にしたじゃない」

「さすがだ山城君。目的の為には手段を選ばないな」

「ホント、お前はムカつくヤツだなぁ。喧嘩売ってんのかよ」

「まさか。僕はここのみんなと一緒に位相世界レイヤードから脱出しようとしているだけだよ」

「脱出!…出来るんですか?」

「おい…」


 脱出と言う言葉に、一も二もなく食いついた綾をたしなめるように天が口を挟んだものの、天に対して疑心暗鬼になっている綾は言う事を聞くはずもない。


「なによ、人を囮にしようとするような奴が何言うつもりよ」

「そうさ、僕らは助け合わないとね」

「お前がその台詞を言うのかよ」

「お嬢さん達、彼は放っといて僕らと脱出しませんか?。少なくとも単独行動は危険だ」


 柚木のその言葉に、綾は付いて行きたい素振りを見せるものの、未だなずなは意識を取り戻す気配が無い。

 「なるほど、足手まといになると考えている訳だね」と柚木は状況を素早く把握し、周囲を見回した後に言葉を繋いだ。


「周りに担架の代わりになるようなモノも無いし、良かったら僕が背負っていこう」

「でも、それだと柚木…さんに負担が……」

「なに、こう見えても僕はちょっとばかり鍛えているから大丈夫。それに、消えてなければゲートはここからそう遠く無いはずだ」

「ゲート?」

「山城君はそんな事も教えてないのかい?。僕らの世界とこの位相世界レイヤードを繋ぐ扉のようなもので、相互転移するポイントと言って良いものだ。ただまぁ、転移される場所は少々ズレたりするのが玉に瑕ではあるけどね」

「そこに行けば元の世界に帰れるんですか?」

「もちろんだとも。僕らは今そこに向かっているんだからね」

「あのさぁ…」

「あんたは黙っててよ!。じゃぁ申し訳ないですけども、なずなをお願いできますか?」

「お安い御用さ」


 口を挟もうとする天を無視して、柚木は倒れているなずなを綾の助けを借りて背負い始めた。

 意識の無い人間は思ったよりも重く感じるものだが、柚木には背負う事に不安を感じさせない位の技術と筋力は有るようだった。

 天は何言っても無駄だろうと言うように黙り込んでいたが、柚木と一緒に来ていた女達も、先程から一言も喋っては居ない。

 なんとなくピントの合わないような視線で前を見ているだけだったが、綾はその異常に気づく事は無かった。


「じゃぁ山城君。できれば二度と会いたくは無いものだね」

「おれもそうしたいが…まぁ近いウチに会うだろうさ」

「それは嫌だなぁ。怪我とかしないように気をつけたまえよ」


 天は柚木の言葉には答えず、視線だけを綾に向けた。

 綾は助けて貰った恩と、囮にされた不満が心でせめぎ合っているようだったが、位相世界ここから逃げ出したい気持ちが全てに勝ったようだ。


「助けてくれたのは感謝してるわ。じゃぁ、もう会わないとは思うけど…さよなら」


 それに対して天は答える事はなく、別れの挨拶なのか綾の頭へ優しく手を置き、柚木の背で眠っているなずなを少し眺めたかと思うと、踵を返して柚木達が来た方向へと歩き出した。


「じゃぁな。一応柚木の野郎には気をつけといた方が良いと思うぞ」

「ふん。じゃぁ、みなさん行きましょうか。夜になったら困るし」

「夜って、ここは夜が有るんですか?」

「ちょっと薄暗いから判りにくいですけど、僕らの世界と同じ時間や気象が反映されますからね。それに、ここの夜は暗いですよ。気をつけないと」

「まったくだ」


 柚木の言葉に口を挟みながら遠ざかる天の姿は、そう遠くに離れた訳でもないのに、霧に紛れるように見えにくくなっていた。

 もちろん、霧が有る訳ではない。

 綾は、そう言えば柚木達も近くまで来ないとはっきり認識出来なかったような気がするような…と考えていた。

 柚木は天の姿が見えなくなるのを待って、綾達に振り返って優しい笑顔で話掛けた。


「さぁ、遅くならないうちに移動しましょう。少し距離が有りますが、歩けますか?」

「大丈夫。行きましょう」



 晴れなのに薄暗い…サングラスを通して見たような感じの空に、人の気配だけは有るのに目を向けると誰も居ない風景。

 それを除けば、後はよく見かけるような街並みである…だけなのに、これだけ異様さが際立つものかと綾は思っていた。

 耳が痛くなるような静寂の中で、自分たちの足音と呼吸音だけが響いているようだ。


 柚木はなずなを背負ったまま、黙って先頭を歩いている。

 最初はチャラい見た目も有って、道中ずっと喋ってくるのかと話題をピックアップしていたが、天と別れてからは必要最低限しか喋らず、むしろ寡黙な印象が強くなってきた。

 かと言って自分を中心に行動するタイプではなく、歩調も女性陣に合わせてゆっくりとしたペースであるし、時折状況を確認しながら移動するなど、気配りも上手だった。

 当初、何故天は柚木を嫌っているような態度だったのだろう、何か原因が有るんじゃないか?と綾は考えていたが、ここまでの道中でその考えは頭の中からすっかり抜け落ちてしまい、僅かながら柚木に対する信頼感も芽生え始めていた。


「大丈夫ですか?疲れませんか?」


 そう考えていたところに、柚木が声を掛けてきた。

 まだそう疲れては居ないが、そこそこの距離を歩いたところだ。声掛けのタイミングも絶妙だな…と思いながら、綾は返事を返す。


「まだ、大丈夫です。それよりも、なずなは重くないですか?」

「いえ、僕は全然大丈夫ですよ。重さよりも女性を背負っているせいでドキドキしちゃいますよ」

「まぁ」


 そう言って軽く笑う柚木に、自分を安心させようとしてるんだなぁ…と綾は好意的に解釈する。

 女性と言えば、元々柚木と一緒にやってきた彼女らは、未だに一言も喋らない事に気が付いた。

 女性が三人寄れば姦しい、と言うが、彼女らは全く喋る事無く付いて来る。

 ふと綾の心に疑問が浮かんできた。


「女性と言えば、一緒に来ている人達に挨拶もしてなかったですね」

「あぁ彼女らは良いんですよ」

「え、それはどうして?」

「ご存知だと思うのですが、奴ら…フラグメントは人間の大きな感情に引き寄せられるので、あなたのように感情が安定している方は大丈夫なんですが、彼女らはそうじゃなくて…」

「そうじゃない?」

「なだめても、怖がったり悲しがったりするのを抑制出来なかったので、彼女らに了承を取った上で、少し精神が安定するように施術しているのです」

「施術?柚木さんって医者だったんですか?」

「いえ。これも聞いて無かったのかな?位相世界レイヤードでなんらかの条件をクリアすると、人によっては特殊な能力…エクスパティーズを獲得することが有るのですよ。僕の場合は、人の精神を安定させる能力でした」

「条件ってなんですか?」

「それが判れば困らないんですけどねぇ」

「判らないのかぁ」


 なるほど、感情を抑制されているから喋ることも無いんだ…と綾は自分の中で納得した。

 確かに、出会い頭にフラグメントと遭遇したりすれば、綾だって恐怖しないと言う自信は無い。

 恐怖が更にフラグメントを呼び、それが更に…と嫌なイメージが浮かんだ綾は、柚木に質問をした。


「その感情抑制ってなにかデメリットは有るんですか?」

「無い…と言いたいんですが、僕が解除しない限り抑制されたままと言う事と、抑制された状態では外部入力に対する反応が鈍くなるので、知覚が機能しにくくなる…いわゆる呆けた状態になるのがデメリットですかね。なので、僕からはあまりお勧めしないことにしてます」

「どうしてですか?」

「だって、その状態だと僕が何やってもよく判らないんですよ?女性的に危ないと思いませんか?」

「そう言えばそうですね。でも、そういう事って普通言わないですよね?」

「おや、どうしてです?」

「だって、警戒されますよ?」

「あぁそうか。そういう考え方もあるんだな」

「正直なんですね」


 綾は天を仰いで大仰なポーズを取る柚木を見て、クスクスと笑った。

 まぁいざとなったら逃げればいいし、男性としては平均以下に見える柚木の体躯を見る限り、何か有ってもそう遅れを取ることもなさそうだ。

 綾は少しだけ残っていた不信感を飲み込み、柚木に一つの提案をする。


「私にもその感情抑制をしてもらって良いですか?」

「え、デメリット言いましたよね?。襲われたらどうするんです?」

「女の子が5人も居るから大丈夫ですよ。それに私、武術をやってて実は結構強いんですよ?」


 綾はそう言うと、キレの良いパンチを数発繰り出した。

 本人が言うように、それが命中すると確かにタダではすまないレベルだ。

 柚木は少々苦笑いをしながら、綾の提案を了承することにした。


「知覚が抑制されたからって暴れないでくださいね?」

「あーうぅん、それはちょっと自信無いかなぁ」

「判りました。止めましょう」

「うそうそ、大丈夫ですよ。お願いします」

「じゃぁ、ちょっと失礼してこめかみを触りますよ」


 柚木はそう言うと、親指と小指で両方のこめかみを押さえるように綾の頭を掴むと、軽く力を入れた。

 それだけで、綾の視界はボヤけてしまい、精神が落ち着いた気分になってくる。

 高揚感が無い酔った状態に近いと言うか、外部の情報は知覚しているのに、それを処理する能力が低下している感じだ。

 綾は、柚木の口元が笑ったように少し歪んだのを見たのだが、既にそれが何を意味するのか考える力を失っていた。

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