第5話 魔王の取引という名の脅迫
俺は縛られ、魔法を封じられ、無抵抗の状態にされていた。
それでも魔王相手に反骨精神から怒鳴り返すこともできたし、敵意を露わに睨みつけることもできた。
「頼む……もう止めて、くださいッ!」
……だが、俺はもう、折れていた。
魔王に対して、グリネアに対して、メラケムに対して。
情けなく涙を流して、頭を床にこすりつけて、必死に土下座して許しを乞うていた。
拷問を受けたか?
……俺が拷問を受けた方がはるかにマシだった。
「ぁう…………」
俺の前には、グリネアに散々痛めつけられてボロボロにされた結衣が転がっていた。
グリネアは結衣の脛を両方折ってから、それでも痛めつける手を止めなかった。
顔を蹴りつけ、右手の爪を剥ぎ、腹を殴り、服を破き、背中を蹴り上げ、髪を引っ張り、顔を床に叩きつけ……痛めつけ続けた。
最初はやめろと、許さねえと、それ以上触れるなど、てめえら絶対殺すと叫んでいた俺だが、何もできない身の上で張る虚勢などすぐに消えてしまった。
いつしか止めてくれと頼み込み、床に頭をこすりつけて必死に懇願するようになった。
止めてください、と。彼女をもう傷つけないでください、と。何でもするから許してください、と。
痛めつけるなら俺にしてくれと、声を振り絞り、涙で顔を歪ませて、恥も面子もかなぐり捨てて情けなくみっともなく必死で懇願した。
俺自身ならいくら痛め付けられようと何度でも刃向かってやると、絶対に屈したりしねえと意気込んでいたが。
幼少から互いを知り尽くしている友を、振られても諦めきれないくらいに惚れた女を痛めつけられるのは、耐えられなかった。
「お願い、します……ッ!何でもしますから!もう、そいつを傷つけるのだけはやめてください……ッ」
[ようやく身の程を弁えたか]
グリネアは、結衣を痛めつける手を止めた。
虚ろな目は焦点があっていない様子であり、意識を失ったのか結衣はピクリとも動かない。
「……そうこなくてはな」
グリネアが結衣から離れる。
懇願を受け入れてくれたと思った俺は顔を上げる。
顔を上げた先には、はるかに巨大な体躯を持つ魔王が俺を見下ろしていた。
「小娘を助けたいか?」
小娘。
そのワードが誰を指すのか、俺は知っている。
少し前まで絶対に屈してやるかと睨みあげていた魔王に、俺は藁にもすがる思いで泣きついた。
「はい……ッ!助けたい、助けて下さい!」
魔王には死にかけの命を助けるなど容易なほどの力があるだろう。
そんな根拠のない希望に縋り付き、俺は魔王に懇願した。
結衣を助けてくれ、と。
それを聞いた魔王は、端から見れば邪悪な、しかし俺から見れば地獄に現れた仏のような笑みを浮かべて、俺に取引を持ちかけた。
「では取引だ、センリ。小娘を助ける代わりに、貴様は吾輩の剣となり駒となり、オリスデンの勇者と戦うことを誓え。––––人質の命が惜しければ、我に従え」
「……誓えば?」
「それを誓うならば、小娘を助けてやる」
「………………」
悪魔の取引。
いや、悪魔は魂を引き換えにどんな願いを叶えるという。こんなマッチポンプのような、取引など名ばかりの脅迫など持ちかけることは無い。
それは悪魔すら慈悲深く感じるだろう、まさに魔王の仕掛ける取引という名の脅迫だった。
結衣を助ける代わりに、オリスデンの召喚した勇者と戦う。
つまり、クラスメイトと戦えということ。
気に入らない奴やほとんど関わりのない奴もいれば、クラスには親友と呼べる深い仲の奴もいる。
そんなクラスメイトたちと、命をかけて殺しあえと。
さもなくば結衣の命を助けないと、魔王はそう言って取引を持ちかけてきたのだ。
この手を取れば、必ず後悔することになる。
惚れた女のために何の罪もないクラスメイトたちを手にかける俺は、最低のクソ野郎に成り下がるだろう。
それでも、この時の俺に選択肢はなかった。
魔法は使えない。縛られて動けない。隷属印で結衣の名前すら叫ぶことも許されない。
魔王の本拠地で、俺よりもはるかに強大な存在に囲まれて、何もできない状態で結衣を目の前で痛めつけられて。
もう、壊れかけていた俺の心は正常な判断などできない状態となっていたのだ。
好いた女を助けるためなら、魔王にも魂を売る。
結衣を散々痛めつけられ、半殺し状態にされている彼女を何とか救いたいと願うこの時の俺にとって、それは地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸だったのだから。
「はい、仰せのままに。俺の願いを、聞き届けください。魔王様」
片膝をついて、魔王の差し出す手に向かって首を垂れる。
いつの間にか鎖の拘束は解かれていた。
「最高ですよ魔王様!僕、もう興奮がとまらないよ!はあぁ……ヤバいね、興奮しすぎてどうにかなっちゃいそう……!」
[鮮やかな手際、お見それいたしました魔王様]
「構わぬ。貴様らの忠勤あってこその賜物よ。カハハハハ!面白いことになってきたぞ!」
魔王たちが上機嫌に笑いをあげる。
その愉悦に興じる彼らの邪悪な笑いは、俺の耳には届かなかった。
いまはただ、約束を守ってくれた魔王が治癒魔法をかけたことで怪我の癒えていく幼馴染が無事であるならば。
「……すまない」
怪我の癒えた結衣を抱え上げる。
体の傷は全て治療されたが、異世界に召喚されるなり魔王の配下にボコボコにされた心の傷は治癒できなかった。
結衣は虚ろな目をしたまま、全くと言っていいほど動かなくなっていた。
「すまない……ッ!」
壊れてしまった幼馴染の姿に、俺はこんなになるまで魔王に魂を売ることすらできなかった己の弱さを悔しく思い、ひたすら謝罪の言葉を紡ぎ続けた。
––––––俺が、俺たち私立桜峰学園3年2組の面子が異世界に召喚されてから、3ヶ月が過ぎた。
……結衣は、魔王によって人質にされた。
抵抗する意思など欠片も残さぬほど嬲られ砕かれて心が空洞になった結衣は、魔王によって“ガラス”の中心部に存在する牢獄に囚われることとなった。
ガラスは、魔王軍の本拠地である巨大な都市だ。
魔王の力によって常に夜に覆われる都市であり、日の光が届くことは決してない。
そのガラスの中央南部に聳え立つ魔王の居城にして最も巨大な建造物『ウルデガル城』にて、俺は場内に備えられた訓練施設にて多数の人骨姿の化物たちに囲まれながら、漆黒の禍々しい巨大な両手剣を振り回していた。
「ぜあああぁぁぁ!」
剣を振り回すたびに、群がる骸骨たちが破壊される。
しかし砕かれた骸骨はすぐに再生し、元の姿を取り戻す。
そしてまた俺を取り囲み襲いくる群れの一部となり、再度振り回される剣の餌食となって砕け散るを繰り返す。
それをしばらく続けていると、声をかけられた。
「だいぶ扱いに慣れたみたいだね、センリ」
「……メラケムか」
振り向くと、そこには黒と白の光沢が光る全身甲冑に身を包むメラケムの姿があった。
メラケムの名を呼ぶ俺の声と表情に、異世界召喚の初日に向けていた敵意は既にない。
……あの日、俺は魔王の駒になることを了承した。
脅迫と言っていい内容だったが、それは取引だった。
魔王たちは俺が従う限り結衣に危害を加えない。
俺は魔王軍の1人として戦う代わりに魔王たちは結衣に危害を加えない。
そして、俺はメラケムの命令に絶対服従する。
それが取引の内容。
結衣を守るために、俺は魔王につきクラスメイトたちを敵に回すこととなった。
もう、後戻りはできない。
それでも、俺は戦うことを選んだ。
結衣を、大切で大好きなたった1人を守るために。
これは、魔王に召喚され、大切な人を守るために魔王に従うことを選んだ悪者の、同郷の勇者たちと戦うこととなる物語である。
…………第1章 『魔王にされた異世界召喚』 完
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