最終話 「嫌な予感がする」

 遼太郎たちが欠席した翌日――。

 彩央学園では恋愛が再び解禁されたという噂で持ち切りだった。彩子が自分からあの発言を撤回したのだろうと緋音と遼太郎は推測した。

「やれやれ、今回はどうなるかと思ったよ」

「でも無事にまた恋愛ができるようになったのは喜ばしいことですわ」

「ま、恋愛審査はこれまで通りやるわけだからな。お前ら、ちゃんと仕事してくれよ……」

 はーい、と一同は少し緊張感に欠けた返事をした。

「本当に心配していたよ。でも、遼ちゃんのおかげだよ」

 緋音はどこか誇らしげに遼太郎に感謝を述べた。

「ま、大したことはしてねぇよ」

「でもまさか、遼ちゃんに赤い糸だけじゃなくて黒い糸なんてものが見えるなんてね……」

「……黒い、糸?」

 緋音は思わず、「あっ」と声を挙げた。

 いたずらに不安にさせるだけだから黒い糸のことは黙っておいた――遼太郎がそう言っていたことを思い出し、うっかりしていたと自省する。

「……ったく。そのことは喋るなって」

「ごめん……」

「イチかバチかのハッタリだったんだぞ、アレは」


 ――えっ?


「ハッタリって、まさか?」

「あの二人は既に赤い糸が繋がっていたよ。最初にあの婆さんに会ったときから、病院であの爺さんのお見舞いに行ったときも。ずっと、な」

「だったら……」

「あの婆さん自身に恋心を認めさせるには、ああするしかなかったんだよ。まぁ、結果オーライだな」

 そう言って緋音はほっと胸を撫でおろした。

「なぁんだ……」

「ねぇ……」間から蒼空が口を挟んできた。「さっきから君たちが話している“黒い糸”って何だい?」

「あぁ、それは気にしなくていいよ。どうやら遼ちゃんの口からでまか……」

「俺が見える“もう一本”の糸。それが繋がったら最悪の恋へと発展するものだ」


 ――はい?


「えっと、遼ちゃん? それってハッタリだったって今言ってなかった?」

 緋音は目をきょとんとさせて遼太郎に尋ねた。

「前理事長たちのときは、な」

「それじゃあ、黒い糸ってのは本当に……」

 遼太郎はこくん、と頷いた。

「黒い糸自体は見えるし、実際に繋がったところも見たことがある」

「そんな……」

「瑞樹たちや布施たちのときもぶっちゃけ見えていたぜ。瑞樹のときは、平沼香織との間に赤い糸が、島珠実との間に黒い糸が見えていた。だからなんとしてでも島珠実との関係を断ち切らなきゃならなかったわけだ」

緋音はあのときのことを思い出し、身体を震わせた。

「布施と財前先輩のときはもっと厄介だったな。何せ、この二人の間には赤い糸も黒い糸も繋がりかかっていたからな。だから情報を引き出して黒い糸だけを上手く断ち切りたかった。まぁ、あの二組の場合、もし黒い糸が繋がっていたらどんなことになっていたかって想像はつくだろ」

 確かに、と緋音は想像を働かせて背筋を震わせる。もし、その黒い糸が繋がっていたらと考えたが、本当に最悪な結果を思い浮かべてすぐさま首を振って消した。

「本当に、あったんだ……」

「あぁ。全く、嫌なモンも見えてしまう自分が嫌になるぜ。あんときも……」

 それだけ言って、遼太郎は口を噤んだ。

「なるほど、ハニーが見えるのは決して幸せの糸だけではない、と」

「そういうことだ。それも踏まえてしっかり恋愛を見極めていかないと、な」

「ふぅん……」

 蒼空は何か思案を巡らせながら、静かに返事をした。

「と、いうわけで。俺は帰るぜ」

「あ、うん……。じゃあね」

「おう、また明日な」

 そう言って、遼太郎は委員会室を去っていった。


 ――何だろう?


 恋愛が再び解禁されて喜ぶべきはずなのに、緋音の心臓が思わずドクン、と高鳴った。


 ――嫌な予感がする。


 遼太郎のことは信じたいが、もしかして、という不安が緋音の脳裏を過ぎった。

 恋愛審査委員会に、いや、この学校に、これまでにない波乱が待ち受けている。そんな気さえした――。



「粗茶でございます」

 天音が理事長室にやってきた客にそっとお茶を差し出す。

 室内に軽い緊張感が漂っているが、創世はそんなものに怖じる気配は微塵もない。それもそのはず、客というのは前理事長である彩子だったからだ。

 彼女は杖を持ちながら神妙な面持ちで長椅子に鎮座していた。

「母上よ、昔の恋が実ったそうじゃないか」

「あぁ。礼を言うよ。そして、約束通りこの学校の恋愛は解禁する」

「ふっ、灰場遼太郎め、上手くやってくれたようだな……」

「あぁ、やってくれたよ。私の負けだ。もう、全部諦めるよ」

 不敵に笑う創世を、彩子はじっと睨みつけている。

「かたじけない、な」

「……で、だ。恋愛を解禁して、アンタは一体何がしたいんだい?」

「何がしたい、だと? 我輩は人の子がどのように人を愛するのか、それが見たくなっただけだが? そのために時代錯誤な法を変えただけのことよ」

「フンッ、嘘おっしゃい。アンタがそんな理由だけで校則を変えたりするわけないだろう」

 彩子は杖をカツン、と突き、更に強く睨みつけた。

 だが、創世はといえばそれでも怯むことはなかった。ククク、と再び不敵な笑みをこぼし、白い歯を剝き出しにしながら目を見開いた。

「さぁ、どうだろうな」

「しらばっくれんじゃないよ。アンタが気付いていないはず、ないだろう」

 もう一度、彩子は先ほどより強く杖をついた。


「あの少年――灰場遼太郎は、何か心に闇を抱えている」


「ほう? 何か根拠でも?」

「そんなの目を見りゃ分かるよ。あの少年の目――、相当ヤバイね、ありゃ。そんなことに気が付かないアンタじゃないんだろう?」

 彩子がそう尋ねると、創世は俯いた。


 ――ククク。


 彩子の耳に、微かながら創世の笑い声が届く。

「クククククク、クァーハッハッハッハッハッハッ! これで、ようやっと舞台が整ったというものよッ! この学園に蔓延る、愛憎劇の嵐が、なァッ!」

 自分の息子ながら恐ろしい笑みだと彩子は感じた。

 これまでに見たことがない、高らかな声。これは決して純粋に生徒たちのことを願ってはいない。何を考えているのかは知らないが、己の野望のために、ただ声高に挙げているだけだ。

「アンタ、そのためだけに……」

「母上よ、貴殿も知っているだろう? 我輩は、何よりも退屈が嫌いだと、な!」

 彩子は座りながら足が竦んだ。

 恐ろしい予感が胸中に渦巻いている。既に引退した身とはいえ、これからこの学園で起こることを想像するのが躊躇われた。


 ――だから、恋愛を禁止にしようと思ったんだ。


 息子の凶行を止められなかった自身を、心の中で何度も悔やむ彩子だった。



 帰り道。

 灰場遼太郎は歩きながら、手にしたペンダントをずっと眺めていた。


「ったく、ヒヤヒヤしたぜ」

 ふぅ、とため息を吐いて、ペンダントに入れた写真の少女を眺める。


 誰よりも純粋で――、


 誰よりも優しくて――、


 そんな彼女のことを、遼太郎は誰よりも愛していた。


「なぁ、美星。覚えているか? あの日の事――」


 彼女が亡くなったあの日――。


 屋上に向かう人影を遼太郎は見かけた。しかし、それは間違いなく彼女のものではなかった。

 しかし、それが誰だったのかは分からない。男だったのか女だったのか、生徒だったのか教師だったのか――。

 ひとつだけ確実なのは、その後で美星は屋上から飛び降りたという事実。


「分かっているよ、美星。お前は誰かに殺された、そうだろ?」


 遼太郎はペンダントをぐっと握りしめ、目を見開きながら誓った。


 ――あの日、屋上に向かった人物。


 ――屋上には、彩央学園の案内パンフレットが落ちていたという。


 ――そいつが落としたに違いない。つまり、この学校にあの人物がいるってことになる。


 ――そして、そいつの小指からは見えていた。


 ――最悪の恋の象徴である、“黒い糸”が。


「美星、俺が絶対に、そいつを見つけてやるからな。そして――」



 ――絶対に、ぶっ殺してやるから、な。

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RED LINK ~恋愛審査委員会のお仕事~ 和泉公也 @Izumi_Kimiya

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