8話 「今日、学校休むから」
翌日――。
緋音は何度もため息を吐きながら学校へと歩いていた。
このままでは前理事長の恋が叶わないまま終わってしまう。それでは完全に恋愛も禁止に戻ってしまう。どうすればよいのだろうか……。
「おはよう、緋音」
背後から少女の声が聞こえてくる。が、緋音はその声を華麗にスルーしたまま前へと進んで行く。
「あの、おはよう……」
またしてもスルー。
「緋音……」
またまたしてもスルー。
「あああああああかあああああああねええええええッ! おおおおはああああよおおおおおうううううううううううッ!」
「わあああああぁぁぁぁぁぁぁッ!」
往来の中で、緋音は思わず素っ頓狂な声を挙げてしまった。
「もう、緋音ってば……」
「は、春奈⁉」
緋音を呼び止めたのは、布施春奈だった。普段大人しい彼女からの大声だったので、緋音は余計に驚いた。
「何度も呼んでいたのに、ずっと反応がなかったから……」
「ごめん、色々考え事をしていた……」
「もしかして、恋愛禁止のこと?」
そう言われて、緋音はギクリ、と心音を鳴らした。
春奈はこの間、学園二組目のカップルとして恋愛を許可したばかりだ。もしこれで恋愛を禁止に戻してしまったら、と春奈の心情を考えると、いたたまれない気持ちになる。
「あ、うん……。春奈は不安だよね? 折角許可を通してもらったのに……でも、少なくとも春奈のことは何とかしてもらえるように話を通してみるよ!」
――ふぅ。
不安にさせないように、と緋音はその場で誤魔化しておいた。一度許可してしまった恋愛を勝手に不許可にしてしまうわけにはいかない。とりあえず、既に許可した二組だけでも許してもらえるように便宜は図ろうと誓った。
「……ごめんね、気を遣わせちゃって」
「いやいやいやいや、春奈が悪いわけじゃないんだよ! 大体、あの前理事長がさ……」
「急に来て朝礼であんなことを言ったもんね。あの時は凄くビックリしちゃったよ」
「うぅ、折角恋愛を解禁したのに……」
「私たちはともかく、まだ恋愛の審査すら受けていない人たちもたくさんいるんでしょ? もしその審査すら受けられないとかになったら……」
「うん、絶対、阻止してみせる! 前理事長の横暴は絶対、許さないぞ!」
何とか体裁を取り繕いながら、緋音は意気揚々と手を挙げた。
「……そういえば、だけどさ」春奈が何かを思い出したように言ってきた。「ウチのおばあちゃんが、こないだ前理事長を見たって言ってたよ」
――え?
「それって、どこで?」
「えっと、彩央総合病院で、定期健診したときだって言ってたけど……。一応、うちのおばあちゃんって前理事長と顔見知りだって言ってたから……」
――彩央総合病院に、前理事長が来ていた?
もしかしたら、あの緑川という患者のところに来ていたのかもしれない、と緋音は思った。それだとしたら彼女はきっとまだあの人のことを諦めたわけではないという可能性が出てくる。
けど、確証はない。別の要件で偶然あの病院に来ていただけかもしれない。
「春奈、ありがとう!」
「え? う、うん……」
緋音はスマホを取り出して、このことを遼太郎に伝えようとした。
その時――。
緋音のスマホから、LINEの着信音が鳴った。
通知欄には、遼太郎の名前が出ている。
『今日、学校休むから』
……。
・………。
「はあああああああああぁぁぁぁっぁぁぁぁッ⁉」
どういうことだよ、と緋音はスマホを投げそうになった。
『なんで?』
『予定ができた』
『授業はどうするの?』
『後でノート見せてくれ』
淡々とメッセージが投げられる。一字一句、緋音は怒りを込めて打っていった。
『予定って何?』
『彩央総合病院』
――えっ?
まだあそこに何かあるのだろうか、と緋音は訝しんだ。しかし、昨日の今日でいきなり何か状況が変わったとは思えない。
――いや。
遼太郎のことだ、何か考えがあるんだろうと緋音は確信していた。
スマホを強く握りしめ、鞄の中にしまうと、回れ右をして春奈を見つめた。
「ごめん、春奈。私、今日学校休むから」
「えっ?」
「それじゃあ! 悪いけど、また今度ノート見せて!」
そう言って、緋音は一目散に走っていった。
「えー、っと……」
後に残された春奈は、走り去っていく緋音を見つめながら一人取り残されていた。
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