7話 「もし、本当にその恋があるなら……」

 ――何故ここに来たのか。

 緋音は困惑に困惑を重ねながら、目の前の豪邸を眺めていた。

「さて、入るか」

 遼太郎は何のためらいもなく呼び鈴を鳴らす。

 いいの? という気持ちが緋音の中で巡るが、時既に遅く、

『ククク、ようこそ。我が居城へ』

「よっ、理事長」

『……なんだ貴様か』

 物凄いがっかりしたような声色で創世が応対した。まさか普段からどの客人に対してもこんな対応しているのか、と緋音は呆れ果てる。

「ちょっとさ、あの婆さんに会わせてほしいんだけど」

『人の母上を婆さん呼ばわり、とは……』

「遼ちゃん、人の家に来てその態度はないと思う……」

「いるの? いないの?」

 緋音が注意するのも聞かずに、遼太郎は淡々と聞く。

『ククク、相変わらず無礼極まりない男よ。だが、それこそ吾輩の知る灰場遼太郎だ。良いだろう、呼んできてやる』

 ――あ、いいんだ。

 この二人の会話を聞いているだけで疲れる。緋音は正直、この場を早く切り上げたい気持ちで一杯だった。

 しばらくすると、足音が聞こえてきた。

「……ククク、呼ばれてやってきたぞ」

「あ、理事長には何の用もないんで」

「……遼ちゃん。仮にも自分の学校の理事長にその態度はないと思うよ」

 はぁ、と緋音がため息を吐いた。

 理事長が少し身体を左に移動させると、彼の背後から杖をついた老婆の姿が現れた。前理事長、彩子だ。

「どうもっす。夜分遅くにすまないですね」

「あたしに何か用事だって?」

「そっす。いや、ほら、アンタの恋愛を叶えるって件についてさ」

「……だろうと思ったよ」

 彩子はフンッ、と鼻を鳴らし、そっけない態度で遼太郎たちを睨みつけてきた。

「これだけは確認しておきたかったもんで。アンタ、どうしてウチの学校を恋愛禁止にしたんですか?」

「なんだい? 何度も言わせんじゃないよ。恋愛なんて、若い連中にはいらんものだからって……」

「ホントに、そうですか?」

 遼太郎の声色が、唐突に険しくなる。

「……何が言いたいんだい?」

「いや、これは俺の推測ですけどね。もしかして、昔、アンタは過去に辛い恋愛をしてしまった」

 遼太郎が推測を述べた途端、彩子は肩を竦ませる。

「……アタシが?」

「それで、俺ら生徒たちがそんな思いをしないように、と恋愛を禁止にした。単なる八つ当たりか、善意なのかは知らないっすけどね」

「……言いたいことはそれだけかい?」

 彩子が睨みつけてくる。

 ――怖い。

 緋音はただひたすら黙り込むしかなかった。いくらなんでも、遼太郎がここまでストレートに聞くとは思っていなかった。

「……今日はそれだけっすね」

「ふんっ。時間の無駄だったようだね」彩子は怒り心頭といった様子で踵を返した。「用が済んだのなら、とっとと帰りなッ!」

「……最後にひとつだけいいっすか」遼太郎がまだ何か続けようとしていた。「もしアンタが、本当に恋をしていて、それが叶うなら叶えたいと思いますか?」

「……はぁ」彩子は一旦立ち止まり、一瞬だけ振り返ってきた。「もし、本当にそんな恋があるなら叶えたいものだね。ま、老い先短いアタシにとって、永遠なんてほとんどないようなものだけどね」

 彩子は少し物悲しそうな声で返事をした。

「言っておきますけど、恋愛審査委員会として、俺は公平に見極めさせてもらいますから。決してアンタの気持ちをもてあそんで、繋がっていない赤い糸を繋がっているなんて嘘を言うつもりはありません。アンタの恋が、永遠の恋なら、きっちりその糸を繋げる。それが、俺らの仕事っすから」

「……そうかい」

 そう言って、彩子はスタスタと家の中に帰っていった。

 どことなく彼女の背中から哀愁が漂っているような気がした。

「……遼ちゃん」

 しばらくの沈黙の後、緋音が声を掛けた。

「……すまないな、ウチの母が。頑固でね」

「いいっす。俺も何が言いたかったのかよく分からなかったもんで」

「それで、灰場遼太郎よ。何か進展はあったのか?」

「別に……。とある人の指から出ていた赤い糸を辿っていったら、ここに着いただけっすよ。で、その糸は案の定、前理事長の小指と結ばれていた」


 ――えっ?


「それって、まさか⁉」

「雀部が考えている人物だよ」

 もしかしたら、と考えていたが、緋音は絶句していた。

 あの寝たきりの老人――緑川守彦が、前理事長と赤い糸が繋がっていた。可能性として信じていたかったが、一筋の光が見えた気がした。

「成程……。そういえば、母がかなり昔に交際していた人間がいたと聞いたことがあるな。既に亡くなったという話だったが、もしや……」

 創世が尋ねると、遼太郎が首を振って頷いた。

「どうやら生きているみたい、ですよ。記憶は失っているみたいでしたけどね」

「ふっ、そういうことか」

 創世がふぅ、とため息を吐いた。

「そういうことって?」

「灰場遼太郎、貴様に誤解なきよう、ひとつだけ言っておきたいことがある」

「……何すか、理事長」

 いつになく真剣な創世の姿に、遼太郎も緋音も唾を飲み込んだ。

「我が城……彩央学園に恋愛禁止の法を創りだしたのは、母上ではない。当時理事長だった、我が祖母――つまり、母上の母上だ」

「……そうなんすか」

「祖父母は恋愛というものに対して随分と否定的だったそうだからな。生徒たちにも、実の子に対しても、恋愛なんてするなと言い聞かせ続けていた。その後、母が受け継いで校則を変えようと思ったことが何度もあったようだ。だが、その度に恋人のことを思い出していたのだろうな。なかなか踏み出せなかったというわけだ」


 ――そんな。


 前理事長は、決して意地悪で恋愛を禁止にしようとしたわけではない。恋愛を解禁したくても、解禁できなかった。そんな哀しい事情を知ってしまい、緋音は言葉を失う。

「ちなみに、だけどさ。理事長の親父さん……、つまり、前理事長と結婚した人ってどんな人だったの?」

「我が父はかなり前に闇の彼方へと還っていったよ。母上とは見合いだったが、それなりに仲良くはやっていたようだ」

「それで、『茶谷垣内』って苗字は元々から前理事長の?」

「……いや、母上の旧性は『高峰』だが」

「……そっか」

 遼太郎は何やら考え込むように、頭を抑えた。

「遼ちゃん、どうしたの?」

「いや、もしかしたらマズい可能性も出てきたかもな」

「マズいって?」

 遼太郎が舌打ち混じりに呟いて、緋音は首を傾げた。

「病室にあった写真に書いてあった、『S.C』のイニシャルは間違いなく前理事長だろう。それで、あそこに映っていたのは前理事長本人なのも間違いない。けど、そうなると、あの写真のイニシャルは前理事長が結婚してから書いたことになる――」

「あっ……」

 緋音は絶句した。

 確かに、結婚した後で書いたということは、あの老人は彩子が結婚したことを知っているということになる。

「記憶喪失って言っていたけど、恋人のことはちゃんと覚えていたってことだ。けど、そこでずっと会いにいかなかったということは……」

「……諦めた、ってことか」

 創世に言われて、遼太郎は頷いた。


 ――あの老人と、前理事長はかつて恋人同士だった。


 ――そして、悲しい別れと共に、長い年月が経ってしまった。


 ――二人とも、その恋は諦めてしまった。


 緋音が頭の中で二人の関係をまとめて逡巡させ、言葉を失った。


 たとえ赤い糸が繋がっていたとしても、二人が恋を諦めてしまっては意味がない。

 永遠の恋は、お互いが気付かないまま終わりを迎えようとしている――。


「ど、どうするのよ……」

 緋音が冷や汗を流しながら、その場に立ち尽くした。

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