6話 「……聞いていいの?」

「あのさ、おっちゃん。最後にひとつだけ聞いていい?」

 病室の外で、遼太郎は畑中に尋ねた。

「何かい?」

「おっちゃんがさっき持ってきた花って、どこで買ってきたの?」

「あれかい? いや、普通に近所の花屋で購入したものだけど……」

「じゃあ、あそこに飾ってあったカーネーションは?」

 そういうと畑中は首を傾げて、

「さぁ……? 私が持ってきたものじゃなかったと思うけどなぁ。私も不思議に思っているんだ。最近、ちょくちょく置いてあるんだよ。誰か知っている人でも来ているのか……」

「……そっすか。ありがと、おっちゃん!」

「あ、あぁ。それじゃあ、気を付けてな」

 遼太郎は頭を下げて、病院から去っていった。

 緋音も続けてお辞儀をして、畑中を見送っていった。

 外は既に薄暗くなっている。夕日もほとんど沈み、もう夜といっても差し支えない時刻だ。

「それで、あの患者さん……」

「緑川守彦だっけか。病室のネームプレートに書いてあった」

 淡々と答える遼太郎。そういえば書いてあった気がするが、と緋音は見落としていたことに気付く。

「もしかして、あの人が……」

「さぁ、な。確証はない」

「でも、でも……」緋音は更に尋ねた。「あの病室にあった写真立て、あそこに映っていた女の人って――」

「確か、あそこにS.Cってイニシャルが書いてありましたわね」

「映っている人の面影もなんとなく前理事長に似ていたしね」

 闇樹と蒼空が答えた。二人ともそこに気付いていたのか、と緋音は驚いた。

「……けど、それだけじゃな。もっとしっかり調べた方がいいと思う」

「でも、でもッ!」

「いや、ハニーの言うとおりだ」

「そうですわね。もう少し調べる必要はあるかも知れませんわ。雀部さん、焦る気持ちも分かりますが、落ち着いていくことも大事ですわ」


 ――それが一番、か。


 緋音は一旦心を落ち着けた。

 恋愛が再び禁止になるということで、かなりの焦燥感に駆られていたのかもしれない。これもあくまで恋愛審査委員会としての仕事の一環なのだ。

 あくまで恋愛解禁ではなく、純粋に前理事長の恋を叶える――それだけを考えるようにしよう。

「それじゃあ、ボクはここで」

「わたくしも失礼しますわ」

 しばらく歩いて、蒼空と闇樹が別の方向に去っていった。

「おう、それじゃあまた明日な」

「うん、じゃあね!」

 緋音は二人を見送って、ふと遼太郎の方を見る。


 ――二人っきり、だ。


「さてさて、収穫があったようななかったような感じだな……」

「そ、そうだね……」

 我に返り、緋音はふと赤面してしまう。

 これまでに二人っきりになったことは何度もあるのだが、今は少しだけ感情が違う。

 遼太郎に、昔好きな人がいた――。

 そして、その人は既に――。

 前理事長のアレコレで頭から抜けていたが、この間理事長に言われた言葉が再び蘇ってきた。

「ねぇ、遼ちゃん――」

「ん? 何?」

「前に言ってた、遼ちゃんの好きだった人って、その……」


 ――聞いていいの?


 緋音は口を噤み、唾を飲み込んだ。これ以上聞いてはいけないような気がする。もしかしたら遼太郎に嫌われるかもしれない。不安がどんどん緋音の心を蝕んでいく。

 でも――。

「亡くなった、の?」


 ――聞いてしまった。

 緋音は強く瞳を閉じ、なるべく遼太郎を見ないようにした。

「……理事長に聞いたのか?」

「あ、うん……」

 そう答えると、遼太郎は額をポリポリと掻いた。

「全く、あの邪気眼親父……口が軽すぎだろ」

 遼太郎ははぁ、とため息を吐いて呆れたような顔を浮かべる。

 思ったよりも深刻な反応そうではなくて、緋音は肩の力が抜けた。

「……本当、なんだ」

「あぁ。そうだよ」

 遼太郎はそう言いながら胸元から何かを取り出した。

 今までシャツの下にあったから気が付かなかったが、それはペンダントだ、と一目で気が付いた。先端のロケットには一枚の写真が入っている。遼太郎はそれを見せつけてきた。

「……この人?」

 見た感じ小柄な、それで可愛らしい少女の写真がそこに映っている。セーラー服姿ではあるが、彩央学園のものと違っている。髪はツインテールにしており、やや赤茶色っぽい。


 ――この人が、遼ちゃんの?


「紅南美星。俺の中学時代の彼女だ」

「可愛らしい人……」

「ホントにな。仔犬みたいっていうか、なんかすっごい人懐っこい奴でさ」

 遼太郎が珍しく笑ってきた。しかし、緋音の目にはどことなく哀しい表情にも見える。

「どうやって知り合ったの?」

「中二のときに同じクラスで、いきなり話しかけられてな。なんか一年の頃から同じクラスだったみたいだけど俺は全然知らなかった」

「なんかすっごい既視感だね」


 この男は当時からそんな感じだったのだろう。あまり他人に興味がないのか、持たないようにしているのだろうか。緋音は呆れ果てた。

「どこからか俺が赤い糸が見えるって噂を聞きつけて、興味を持ったらしいんだが。そしたらさ、見えたんだよ。俺と、美星の間に赤い糸が――」

 ――見えたんだ。

 赤い糸が見える、つまり永遠の恋が証明される。これまでに緋音も二度、その光景を見てきた。

 けど、遼太郎の結末はそうではない。

「んで、その後で色々関わってきたんだけど、そのうちにお互いに惹かれてたみたいでさ。んで、告白されたわけ――」

「……そっか」

 告白されたのはどうやら遼太郎のほうらしいが、それでも彼がそれを受け入れたという事実に緋音は少し驚いている。

「それから何度か色んなところに遊びに行ったりして、本当に楽しかったな。まぁ、いらん噂を立てられても困るからこっそりと、って感じだったけどな」

「でも……」

 それ以上聞いていいのだろうか、と緋音は迷ったが、遼太郎は悲しそうな表情で話を続けた。

「ある日、学校から一緒に帰る約束をしていた。けど、いつまで経っても美星は現れなかった……。そして、俺は校内に一旦戻ったんだ。もしかしたら彼女がいるかも、って思ってな。そこで俺は誰かが屋上のほうに向かうのを見かけた」

「まさか、それが……」

「そのときはスルーしてしまっていたけどな。今思えばそこで不信感を抱いて屋上に向かうべきだったのかもしれない。結局教室に行っても見つからなかった。そんで、仕方なく昇降口に戻ってきたらさ……、たくさんの人が騒ぎながら集まっていてさ。その中に見えたよ。頭から血を流して横たわっている、彼女の姿が、さ……」


 ――なんで。


 ――辛い。


 話を聞くだけで、遼太郎の辛い気持ちが伝わってきた。

 緋音は言葉を失ってしまう。これほどまでに壮絶な内容だとは思っていなかった。

「屋上から飛び降りたみたいだけどさ。遺書が発見されたわけでもなく、警察は事故ってことで処理されたよ。何で屋上に行ったのかは不明だったがな」

「そんな……。ごめん、そんな辛いことを聞いちゃって」

「いいよ。どうせ昔の話だ」

 緋音はそれ以上、何も言えなかった。

 遼太郎ははぁ、とため息を吐いて、何もなかったような表情に戻る。

 この話はここまでにしておいたほうがよさそうだ。緋音はなんとか冷静さを取り戻そうとした。


 しばらく歩いて、ふと緋音は我に返った。

「そういえば……」

 周囲を見渡す。ずっと遼太郎と一緒に歩いていたせいで、この場所がどこなのか全く考えていなかった。


 ――ここ、どこ?


 辺りは完全に暗くなっているが、街灯はそこそこ光っている。どこかの住宅街なのだが、昔ながらの家屋が立ち並んでいる。

 というよりも、一軒だけやたら大きな家がそこにある。身長よりも倍ぐらいある塀に囲まれており、数百メートルはありそうなほどの敷地である。

 しばらく歩くと、そこの家の入口らしきものが見えた。そこに辿り着くと、遼太郎はふと立ち止まった。

「……さて、着いたぞ」

 ここは、と緋音は入り口の頭上に書かれている表札を見た。


『茶谷垣内』


 ――って。

「えええええええええッ⁉ ここって、もしかして⁉」

「まさかここに辿り着くとはな。思ったとおり、だ」

 緋音は驚愕しながら、目の前に聳え建つ、大きな家をずっと眺めていた。

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