5話 「しらみつぶし!」

 彩央総合病院は、彩央市内のほぼ中心部に位置する病院である。やや北側に位置する彩央学園からは歩いたら一時間以上は軽く掛かる。

 で、放課後、遼太郎たちはその場所へ歩いて向かうことになるわけだが……。

「はぁ、はぁ、やっと着いた……」

 ようやく辿り着いた病院の前で緋音はへたり込んだ。よりにもよって本日最後の授業が体育であったために、行く前からかなり体力を使い切っていたのだった。

 が、同じく体育だった遼太郎は全く平気な様子で、

「おいおい、これぐらいで音を上げるなよ」

「あ、あのね、遼ちゃん……」

 考えてみたら、別に自分が来る必要はなかったと今更思った。

「ははは、ハニーは辛辣だね」

「雀部さん、無理しないでくださいね」

 ちなみに蒼空と闇樹も一緒に来ている。同じ距離を歩いたにも関わらず、二人とも全く疲れたような素振りを見せていない。

「さて、病院の中をしらみつぶしに探すとしますか」

 遼太郎がそう呟くと、緋音は思わず「えぇ……」と嫌そうな声を挙げた。

「遼ちゃん……、今から?」

「今日が無理なら明日も探すけど」

 緋音は泣き言を漏らしそうになった。この広い病院を探し回るのにどれだけの根気が必要になるのか、考えただけで疲れてくる。

「赤い糸が見えるのでしょう? それを辿ることはできませんの?」

「そうしたいところだけど、病院って人が多いからな。他の糸がこんがらがって見えて、もう分かんねぇんだよ」

「そんなぁ……」

 緋音は肩を落としながらも、とぼとぼと立ち上がった。

 病院の中は当然のことながら大勢の患者とお見舞い客で溢れかえっていた。時折看護師や医師もせわしなく歩き回っている。

「うん、赤い糸だらけだな」

「そりゃそうでしょうよ……」

「どうやって相手を探すんだい? その相手ってのはもしかしたら女性の可能性だってあるんだよ」

「そうですわね。もっと年下の方って可能性もありますわ」

「……もう、しらみつぶしに探すよ」

 観念して嫌な顔をしながら緋音は受付に向かった。

「すみません、ここで入院している寝たきりの人を全員調べたいんですけど」

「……あなた高校生? そういうのは困るんだけど」

 受付の女性は怒り気味に遼太郎たちを睨みつけた。

 ――そりゃそうなるよね。

 緋音は遼太郎の袖を引っ張って外へ連れ出した。

「流石にダメだったか」

「うぅ……、もう帰りたい」

 泣き顔になりながら、緋音は周囲を見渡した。

 ――そういえば蒼空と闇樹は? 

 二人がいないことに気が付いて、ロビーの端のほうに目を映した。

「そっか、君たちの旦那さんはさぞ素敵な人だったんだね」

 蒼空が誰かと話している。周囲に三、四人、高齢の女性が屯していた。

「昔は、だけどねぇ。今はあまり口聞いてさえくれないわ」

「あら、コトさんところの旦那さんは半年前に亡くなったじゃないのよ」

「あ、そうだったわ。でもあなたを見ていると旦那が若かった頃にそっくりだわぁ」

「ふふふ、それはそれは、旦那さんは凄い素敵な人だったんだね」

 ははは、と高齢女性たちの井戸端会議に混じって、蒼空が自然と溶けあっていた。

「龍王子さん、何してんの?」

「ババサーの王子状態だな、ありゃ」

 失礼な言い方も混ぜながら遼太郎と緋音は遠目に彼女らを眺めていた。

 しばらくすると、女性たちが会釈をしながら廊下の奥へと帰っていった。それと同時に、蒼空もこちらのほうへやってきた。

「収穫はなかったよ。入院しているおばあさんたちなら何か知っているかと思ったんだけど」

「お前、どこ行っても人気なんだな」

「あと全然関係のない話しかしていなかった気がするんだけど」

 ため息を吐きながら、遼太郎と緋音は今度は闇樹を探した。

 逆端のほうに目を移すと、闇樹の姿があった。そこには彼女のほかに、小学生くらいの男児たちが三人ほど屯している。

「なるほど、寝たきりの人はご存知ないのですね」

「うん。俺たちは脚の怪我をした友人のお見舞いに来たんだけどさ、アイツはほとんど治っているから違うと思う。同じ病室にも患者さんが何人かいたけど、普通に歩ける人ばっかりだったからな」

「そうですの……。お時間を取らせてすみません」

「姉ちゃんもお見舞い? 頑張ってね!」

「それじゃ、俺らも早く帰ろうぜ。早くしないとクスス女が現れちまうし」

「……クスス女?」

「うん、なんかうちの学校の近くで、黒い服着てクススって笑う女が目撃されたって。ソイツの姿を見たら攫われるとか聞いた」

「え、俺は食われるって聞いたぜ」

「なんにせよ早くしないとクスス女に見つかっちまうぜ。じゃ、姉ちゃんも気を付けてね」

「はーい!」

 子どもらを手を振って見送った後、闇樹はこちらへやってきた。

「すみません、大した情報はありませんでした」

「いや、いいです……」

 ――とんでもない事実は発覚したけど。

 と白い目で闇樹のほうを見ながら、一同はため息を吐いた。

「クスス……どうしましたの?」

 彼女は何も気にすることなく、笑いながらこちらを見つめていた。


 ――で、どうするか。


 結局何も収穫がないまま帰るべきか、と諦めかけていた。

 そのとき――。

「おや、君たち」

 聞き覚えのある老齢男性の声が耳に入ってきた。

「あれ? 畑中のおっちゃん」

 そちらのほうに目を移すと、そこにいたのは用務員の畑中だった。手には黄色やピンクの色とりどりの花籠を持っている。

「わぁ、綺麗なお花。お見舞いですか?」

「あぁ、伯父のね。君たちはどうしてここに?」

「いや、ちょっと、色々ありまして……」

 緋音は奥歯に物が挟まったようにはぐらかした。

「あのさ、おっちゃん」

「ん?」

「良かったら、その伯父さんのお見舞い、俺らも一緒にいっていいかな?」

 遼太郎は何か思案を巡らせたような顔つきで聞いた。

「まぁ、別に構わないけど」

 畑中は少し訝し気に頷いた。

 ――しょうがない、か。

 緋音はこのまま帰るよりも、何か収穫があればと思い、その提案に乗ることにした。蒼空も闇樹も同じように頷いた。


 畑中についていき、二〇五の病室へ足を運んでいった。

 中には八十は超えているであろう高齢の男性が一人、ベッドで仰向けに寝ていた。微かだが寝息を立てている。

「おっと、寝ているみたいだね。静かに頼むよ」

「あ、はい……」

 そう言って畑中は手にした花籠をそっと机に置いた。

 室内には花籠のほかに、窓際に白い花が花瓶に数本生けられている。その傍らには写真立てが置かれている。

「……なぁ、雀部」

「うん?」

 遼太郎が小声で聞いてきた。

「あの窓際にある花って、何か分かる?」

「えっと……」

「カーネーション、だね」

 代わりに蒼空が答えて、緋音は思わず恥ずかしくなって赤面した。

 畑中が高齢男性の私物を色々整理した後、遼太郎たちのほうへやってきた。

「寝ているから、今日のお見舞いはこれで終わりにしよう。花については看護師さんに任せておくよ」

「なぁ、おっちゃん……」

「……ん?」

 遼太郎が畑中に尋ねた。

「あの窓際の花って、おっちゃんが持ってきたわけじゃないよな?」

「そういえば……。誰か別の人がお見舞いにでも来たのかな? 少なくとも私が持ってきたものじゃないけど……」

「伯父さんって、そういう知り合いの人がいたりするの?」

 そう尋ねると、畑中は眉間に皺を寄せて、

「いや、伯父はずっと独り身だったからね。身寄りも実は私しかいないんだ」

「そうなんですか……」

「伯父は昔戦場カメラマンをやっていてね、色んな紛争地域に行ってその凄惨さを伝えることに明け暮れていたんだ。でも、ある日とある地域で爆発に巻き込まれてね。命は助かったんだが、記憶喪失になってしまって……」

「畑中さんのことは覚えていましたの?」

「幸い、ね。でも、それからは独りでずっと写真を撮ることに明け暮れる人生を送っていてね。今じゃ認知症が進んで、ほとんど寝たきりの状態だよ」

 ふぅん、と遼太郎は頷いた。

 そして、そのまま静かに窓際に歩いて向かっていく。

「ちょっと、遼ちゃん!」

 緋音が止めるのも聞かずに、遼太郎は窓際の写真を持った。

 そこに映っていたのは、一人の若い女性。かなり色あせているが、小柄で美人な印象を受けた。

「この人は……?」

「さぁ……? 私も知らないんだけどね、たまに起きたときにずっとこの写真を眺めているんだよ。もしかしたら昔の恋人かも知れないんだけど、伯父に聞いても分からないみたいで」

「……そうなんですか。ありがとうございました」

 遼太郎たちは頭を下げ、病室を後にした。

 畑中はにこり、と笑って彼らを見つめた。

「こちらこそありがとう。伯父もきっと喜んでくれるよ」

「……だといいですけど」

 少し心苦しくなりながら、緋音は呟く。


 ――あの女性。


 遠目に少しだけ緋音の目にも見えた、写真の女性。


 写真立ての下に、「S・C」と書いてあった。


 ――まさか。


『茶谷垣内 彩子』


 その名前が、ふと緋音の脳裏に浮かんでいた。

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