2話 「前理事長、現る」

「愚かなる人の子らよ……」

 それまでどよめいていた講堂内が一斉に静まり返った。

 男は不敵な笑みを浮かべながら、目を見開く。

「貴様らの下らぬ談笑が、ようやく静寂の時を迎えるまでに三分四十五秒も掛かった」

 微妙に回りくどい言い回しで、講堂内の一同は困惑する。

 おそらく言わんとするところは「皆さんが静かになるまでに三分四十五秒かかりました」という校長特有の挨拶なのだろうが、おそらくそれを理解しているのは半分にも満たない。

 とはいえ、この言い回しをしているのが、この学園の理事長――、茶谷垣内創世なのだから、と慣れ切った表情で全員スルーしてしまった。

「だが、貴様らが黙っていたところで、その三分四十五秒だけ吾輩のありがたい話が長くなるだけである! そういうわけだから今日の朝礼は手短に済ませてやる! 有難く思え!」

 何が楽しいのか、創世は高らかな笑い声をマイク越しから放った。


 これが、私立彩央学園の朝礼で見られる光景である――。


「自虐ですか、理事長」

 一同が呆れて言葉が出ない代わりに、秘書の天音が冷淡に言葉を放った。

「さて、吾輩はこれにて退場するとしようか」

 彼女の言葉を完全に無視して、創世は壇上から降りた。

「あ、そうだ忘れてた。我が校における闇の従者から貴様らに話があるそうだ。心して聞くがよい」

 もう一度壇上に戻り、それだけ言い放ってから再び壇上から降りた。


 そんな光景が流れている中――、

「……ちゃん、遼ちゃん、起きて!」 

 講堂の中央からやや右の席に、灰場遼太郎が眠りこけていた。

 大きくはないが、微かにいびきも聞こえている。流石に先生に叱られるのではないかと、左隣に座っている雀部緋音は何度も彼の肩を揺らしていた。

「ん、くかぁ……」

 起きない。

 口元からは若干涎も垂れている。


 ――この男ときたら。


 相変わらずのマイペースというか、興味ないことにはとにかくやる気を感じられない。そんな人間が恋愛審査委員会の委員長という役割をこなしているのだから不思議なものだ。

 

 ――もし、こんなときに彼の好きな人が生きていたら。


 何故か緋音の脳裏にふと浮かんだ。


『灰場遼太郎は赤い糸で繋がった相手がいた。そして、それは間違いなく永遠の恋だっただろうさ』

 ――ただし、

『あまりにも短すぎた、“永遠”だったが、な――』


 灰場遼太郎にはかつて好きな人がいた。

 今は、もうこの世にはいない。

 緋音が創世から聞いたのはそれだけだった。だから相手がどんな人だったのか、遼太郎とどんな風に付き合っていたのか、そして、何故死んだのか――全く知らされなかった。


 ――私の知らない、遼ちゃんがいる。


 彼と知り合う以前――中学時代のことを全く知らない。彼は自分の過去をあまり語ろうとはしない。そういえばついぞ聞こうと思ったこともなかった。

「今はそっとしておこう」

 そう心の中で呟いて、緋音は遼太郎から視線を逸らした。

 ――後で怒られても知らないからね。


 壇上には七十歳過ぎの、少し小柄な男が立っていた。

「えーっと、ご紹介に預かりました闇の従者こと用務員の畑中です」

 優しい笑みでしれっと冗談を言うと、講堂内に生徒たちの笑い声が響き渡る。

「皆さん、いつもゴミの分別と校内清掃にご協力してくださってありがとうございます。おかげさまで校内が一層清潔に保っていただけておりますね。ただ、たまにですが中庭などに飲み残しのペットボトルが置いてあったりしますので……」

 畑中は優しく注意を促した。

 話が終わり、畑中は「以上です」と付け足して頭を下げた。壇上から彼が降りると、再び創世が登壇した。

「さて、今宵の宴はこれでお開きとしよう……」

「すみませんが、今は朝です」

 天音が横から冷静にツッコミを入れた。

 講堂内が一斉に騒ぎ始めた。ようやく長い朝礼が終わるものかと、生徒たちは安堵していく。



「ちょっと、遼ちゃん。朝礼終わるわよ」

 流石にマズイと思ったのか、緋音は遼太郎の肩をこれでもか、というぐらい強く揺らした。勿論のことではあるが、相変わらず起きない。

「遼ちゃんってばぁ……」

 このままだとマズい。


 ――そう思った矢先、


「待ちな」

 カツ、という音と共に、舞台の袖から誰かが出てきた。

 杖をつきながら、曲がった腰骨を一生懸命前に進ませるのは、小柄な老婆だった。彼女が登場するなり、講堂内は一層どよめきが奔る。その中には、普段なら窘める立場の教師たちも含まれていた。

「ちょ、何なんですか? あなた誰ですか⁉」

 見知らぬ老婆が突然登壇してきて、天音は慌てふためいた。

「誰? そうか、アンタはアタシのことを知らなかったねぇ」

「えっ……」

 天音は引きつった表情で、視線を創世に逸らした。

「な、なんであなたがここに……」

 まるで恐ろしいものでも見たかのように、創世は顔を強張らせている。先ほどまでの高らかな顔つきがまるで嘘のようだった。

「ふっ、なんかやってくれたようだね、馬鹿息子よ」

「母上……」

 そう呼ばれて、天音は目を丸くする。

「母上、って、この方はまさか……」

 創世は頷きながら、

「茶谷垣内彩子。私の母上にして、この学園の前理事長だ……」

 その言葉に、講堂内が更に騒がしくなった。

「創世。アンタ、この学園で恋愛を解禁したそうじゃないか」

「あれは生徒の署名で……」

「おだまりッ!」有無を言わさずに彩子は一喝した。「アタシらが何故恋愛禁止にしたのか、その意図を理解していないようだねぇ。どんな理由があれ、若い連中に恋愛なんて早いんだよッ!」


 ――何、この状況?


 いつもなら大上段に振りかざしている理事長が、ここまで圧倒されてしまっている。突然現れた前理事長と名乗る老婆が、彼の母親が相手とはいえ、こうも蛇に睨まれた蛙のようになってしまう光景は誰しもが初めて見た。

 心なしか、創世が奥歯を嚙む力が次第に強くなってきたように感じる。

「お言葉ですが母上。生徒たちの署名によって校則が変化することは決して悪いことでは……、いえ、大変意義があると考えますが」

「意義があって、校則を変えて、この体たらくかい?」

 そう言われて、創世はぐっと顔を顰める。

「体たらく? はて?」

「とぼけんじゃないよッ! あたしゃ知ってんだよ。審査委員会だかなんだかを設けて、難癖付けているそうじゃないかッ! それで結局、認められたのがまだ二組だけとか……。所詮、未熟な高校生の恋愛なんかそんなモンなんだよ」

「母上……」

「そういうわけだからアタシの権限で決めさせてもらうよ」

 彩子は杖をつきながら壇上に登り、マイクを手に取った。


「この学園を、再び恋愛禁止にする」


 そう言い放たれると、生徒たちから大きな悲鳴が湧きあがった。


 これは――。


 最早、暴挙だ。


「ど、どうなっちゃうの、これ――」

 緋音は不安混じりに、冷や汗を垂らすしかなかった。



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