3章 恋の時間は止まらない
1話 「嵐の前触れ」
昼下がりの総合病院。
杖をつきながら、小柄な老婆が廊下を歩いていた。
「あら、お久しぶりです」
年齢があまり変わらないであろう、別の老婆が声を掛けてきた。背丈は彼女よりも大分高く、ニコニコと明るい笑顔で会釈している。
「おや、あんたかい。随分久しぶりだねぇ」
しゃがれた声で、杖をついた老婆が挨拶を返した。
「そうよねぇ、一年ぶりだったかしら?」
「もう時間なんて覚えちゃいないよ。一年も二年も変わんないさ」
皮肉めいた言い方で、お互い笑い合う。
「あ、そうそう。うちの孫ねぇ、おたくの学校に通っているのよ」
「それは知っているさ。受験に受かった時に嬉しそうに話したじゃないか」
「あら、そうだったかしら……、あ、そうねぇ。話したわね」
「風の噂によると、ボランティア部で随分頑張っているそうだね」
「そうなのよ。あの子、すっごい優しいからねぇ。祖母として鼻が高いわよぉ」
「……それはそれは」
杖をついた老婆は、少しずつ興味のなさそうな顔つきになってきた。彼女としては、そろそろ用事を済ませたいと思っていたところだ。
「そうそう、それにね、同じボランティア部にボーイフレンドが出来たって!」
「……ボーイフレンド?」
杖をついた老婆の耳がピクリ、と立った。
「うーんと、今は『彼氏』って言った方がいいのかしらねぇ? 優しそうで良い感じの男の子よ」
「……おかしいねぇ」
杖をついた老婆の声がくぐもった。
――私立彩央学園。
彼女が知る限り、あそこは県内でも“恋愛禁止”という校則が際立って有名な高校である。その校則を敬遠して通うのをやめた生徒や、反発の声は未だに数知れない。
それにも関わらず彼氏が出来たことを誇らしげに――それも、祖母である人物から――話されるとは一体どういうことであろうか。
「あら、知らなかった?」訝しげに話してきた「恋愛禁止の校則、今年から撤廃されたらしいのよ。まぁ、でも、結構厳しい審査が必要だってあの子が話していたわ。でも、無事に通ったらしいのよねぇ」
「……ほほう」
「……あ、これ言ったらダメだったかしら? ごめんなさいね」
「いや、いい……」
杖をついた老婆は睨みを利かせてはいたが、冷静な口ぶりでなんとか返事をした。
「それじゃあ、私はいくわね。これから定期健診だから」
「うむ。身体に気を付けて、な」
「ありがとう、“茶谷垣内(ちゃやがいと)”さん」
そう言って女性が去っていくのを見送っていった。
杖をついた老婆は、踵を返して病院の外へ出た。
「おや、随分と早いですね」
黒い服にサングラスの男が二、三人、病院の外で待機していた。彼らは深々と老婆に対してお辞儀をしている。
「明日の予定が変わった」
「……と、言いますと?」
黒福の男たちの傍らに待機させてあった黒塗りの高級車に乗り込みながら老婆は話した。
「彩央学園へ行く」
「……一体、何がありまして?」
「馬鹿息子が、どうやらやらかしたらしくてねぇ。一度説教を食らわせにいくのさ」
車が走り出し、ふと老婆は窓から街の様子を眺めた。
至るところに手をつないでいたり、一緒に食事をしたり、中には膝枕をしている男女の姿が見られる。そのどれもが見たところ若い年齢層だ。
「……懲りないねぇ、若い連中って奴は」
はぁ、とため息混じりに彼女は呆れ果てる。
――何のために、恋をするのか。
――何のために、悲しみへの入り口に立つのか。
そして――
「何のために、恋愛禁止の校則があるのか、もう一度しっかり叩きつけてやらなきゃならんようだねぇ」
杖の老婆――、いや、彩央学園“元”理事長、
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