6話 「ウソ、でしょ?」

「緋音ッ! 早くお風呂に入りなさいッ!」

「ちょっと待っててッ! もう少し後で入るッ!」

 階段の下から母親の声が響き渡るが、緋音は自室でクッションを抱えたままスマホと睨めっこしていた。

 ――さて、これからどうしようか?

 正直、これといって進展はしていない。遼太郎が今回の件をどうやって許可するかを考えるとは言っていたが、どうしたものか。


 ――それよりも。


『……いたよ、俺にも。好きな人』


「あああぁぁぁぁぁぁぁッ! やっぱり気になるううううううううッ! 一体誰、誰なのッ⁉」

「緋音ッ! うるさいから静かにしなさいッ!」

 再び母親の怒鳴り声が響いてきた。

 鬱屈な気持ちは治まったが、遼太郎の好きな人というものがどうしても頭から離れなかった。あの冷血な男が好きになった人物が誰なのか、考えただけでも頭が混乱しそうだった。


 ――そうだ。


 緋音はスマホを手に取った。

 ぐっと手に力を込めて、遼太郎のアドレスに電話を掛ける。

『……もしもし?』

 意外と早く出た。いつもどおり気だるそうな声で、逆に安心感を覚える。

「あ、遼ちゃん? 今、いいかな? 春奈のことで……」

 よし、これでいい。別にやましい気持ちはない。

 緋音はすぅっと息を吸い、遼太郎に今日春奈と話したことを伝えた。

 大したことを伝えたわけではなく、他愛もない話の一片にしか感じられなかったが、その間遼太郎は相槌をきちんと打っていた。それも、段々真剣な声になっていくように感じられた。

「あっ、あとね、関係ないかもしれないけど、先輩の通帳を拾っちゃって……」

『通帳?』

「うん……。まぁ、これは明日学校で渡して……」

『なるほどな……』

 遼太郎は少し考えているような相槌を打った。

「……春奈、大丈夫かな?」

 最後に緋音は弱々しく呟いた。

『……ありがとうな、助かった』

「えっ?」

 いつになく素直に感謝する遼太郎に、緋音は戸惑った。

『そうなってくると、財前冬彦はいつ仕掛けてくるか……。それまでにアキラがどうするか、それが今回のポイントになるわけだけど……』

 ぶつくさと電話越しに遼太郎が言っているが、緋音はうまく聞き取れなかった。

「りょ、遼ちゃん……?」

『おっと、悪い。あのさ、今から会えるか?』


 ――え?


 目が点になりながら、緋音の電話を持つ手が余計に強張った。

 既に時間は夜の八時を過ぎている。健全な高校生が出歩くのであればギリギリの時間だ。そんな時間にクラスメイトの男子から会いたいと言われた時には戸惑うのも当然である。

 だが……、

「……うん、イケルヨ」

 二つ返事気味に緋音の口から言葉を発してしまった。

『そっか。じゃあよろしく頼む。あっ、その通帳も、持ってきてもらっていいか?』


「あーかーねッ! こんな時間に出ていくって、何考えてるの⁉」

 当然のことながら、玄関で母親に呼び止められた。

「す、すぐに帰ってくるからッ! お風呂、まだお湯抜かないでおいてッ!」

「ふーん……」

 母親は口元をニヤリと歪ませた。

「な、何よ……」

「……もしかして、さっき電話していた彼?」


 ――なっ!


「ちょっと、お母さんッ! 聞いていたのッ⁉」

「聞こえちゃったんだモーン、しょうがないじゃない。ま、早く帰ってきなさいな。あ、でもここはお若い二人でごゆっくりって言ったほうが良かった?」

「もうッ! そんなんじゃないからッ! 行ってきますッ!」

 全く、親というものはどうしてこう子どもの恋心に余計な茶々を入れるのだろうか。そういうのが子どものモチベーションをそがれてしまうことが理解できないのだろうか。緋音は本当にため息しか出てこなかった。



 待ち合わせは遼太郎が指定した、緋音の家から十五分ほど離れたコンビニ。

 夜道は幸い街灯のおかげで明るく照らされており、また店の前にガラの悪そうな連中が屯しているというけではなく、思った以上に治安の良さそうなコンビニだと感じた。

 深夜の逢引き。というと違うのかも知れないのだが、そんな気分で心臓が高鳴っていく。

 ――いた。

 駐車場の前に遼太郎の姿を見かけると、緋音は一旦深呼吸をして、

「……遼ちゃん、ごめんね、遅くなっ……て……」

「あら、雀部さん。ごきげんよう」

 遼太郎の傍らに、もう一人別の人物がいた。

「む、武藤先輩……?」

 てっきり遼太郎と二人っきりだと思った緋音は、一気に肩の力を落とした。

 そして、呼び出した張本人の遼太郎といえば、

「ふぁぁ、やっと来たか」

 寝ぼけ眼から涙を垂らしながら大きな欠伸をしている。

 こんな時間に呼び出してその態度か、と緋音は少し苛立った。

「クスス、それではわたくしはここで。あとはお二人でごゆっくり……」

「え? 先輩……」

 闇樹はそういってその場から立ち去っていった。

 彼女は何しにここに来ていたのだろうか、という疑問は残ったが、ひとまずは気を取り直すことにした。

「そういえば通帳は持ってきたの?」

「持ってきたけど……」

「あ、ちょっとそれ見せて」

 緋音はしぶしぶと遼太郎に通帳を手渡した。数ページ、パラパラと目を通した後、「ありがとう」と遼太郎はそれを返した。 

「で、遼ちゃん。どこ行くの?」

「ここ」


 ――は?


 コンビニを待ち合わせにしたのは、もしかしてここに用事があるから、ということなのだろうか。

 だが、同じ系列店は緋音の家の近くにも数軒は見かけるし、わざわざこの店を指定した理由が理解できない。

「えっと、遼ちゃん……これってどういう……」

「入るぞ」

 遼太郎は淡々と店内の扉を開けて入っていった。緋音もおそるおそる、彼に続いてコンビニの中へと入っていった。


「見りゃわかんだろおおおおッ!」


 突然、高齢男性の怒鳴り声が聞こえた。

「ですから、成人確認ボタンを……」

「あん? そんなもんいいからさっさと酒買わせろこのグズッ‼」

 レジ前で六十は過ぎているだろう、白髪の男性が睨みつけながら怒鳴り込んでいる。顔が赤いところを見ると酒を飲んで酔っているのだろう。後列が続々と出ているのにも関わらず、その調子で店員に雑言を浴びせている。こういうモンスターな客もいるのだと緋音は唖然とした。

 そして、そのモンスターにあたふたと冷や汗を垂らしながら応対している店員が……、

「ざ、財前先輩?」

 間違いない。

 コンビニの制服姿で一瞬分からなかったが、財前アキラの姿がそこにはあった。

 ただ、いつもの凛々しい姿ではなく、モンスター客に大してかなり慌てふためく姿は、冬彦に問い詰められて言葉を無くしていたときを思い出させられた。

「馬鹿にしてんのかてめぇッ!」

「ですから……」

 ――その時。

 遼太郎が、レジのOKボタンを横から押した。

「あっ、てめぇッ! 何しやがるッ⁉」

「すんませーん。押しボタンのやり方分からないのかなぁ~って思ったもんで」

「オイ馬鹿にしてんのかッ!」

「あ、それとも後ろに並んでいる人たちに迷惑をかけてまで店員さんを困らせたいってことですか? それってあれですよね、業務執行妨害ってヤツ。いいんですよ、警察とか呼んでも……」

「りょ、遼ちゃん……」

「ぐっ……クソがッ!」

 思った以上に気の小さな性格だったのだろうか、バツが悪そうに老人は金だけ払ってズケズケと外に出て行った。

「あ、すみませんお客様。ありがと……」

 店員はこちらの顔を見るなり、引きつったような表情に変わった。


 アキラのバイトは九時に終わり、それまで遼太郎は店の外で待機していた。

 彼が終わって店から出てくると、私服姿でしょぼくれた表情を浮かべていた。

「よっ、先輩」

「君、か……。何の用だ?」

 アキラは訝し気に遼太郎たちを見据えている。

「あ、あの……先輩、いつもここでバイトしているんですか?」

「そう、だけど……それが何か?」

 ――ヤバい。どうしよう。

 どう切り出すべきか迷った緋音だったが、拾った通帳のことをふと思い出した。

「あ、これ……」

 緋音はそっと通帳を手渡した。

 それを見るなりアキラは焦った様子で「返せッ!」と受け取った。

「……なるほど、ね」

「……あっ、悪い。わざわざ届けに来てもらったのに」

「いいえ、こちらこそ……突然押しかけちゃってすみません……」

 緋

音はとりあえずといった感じで平謝りした。

「その様子だと、どうせもうバレているんだろ?」

「ええ。お兄さんの振り込め詐欺に加担している件なら、もうしっかりと。うちのストーカ……じゃなくて尾行が得意な先輩に頼んで、先輩の動向を探っていたらここでバイトしていることを突き止めたもんで」

「遼ちゃん、キッパリ言いすぎ」

 先ほど闇樹がここに来ていた理由がようやくはっきりした。

 呆れ気味になりながらも、緋音はアキラの顔を見た。

 振り込め詐欺の片棒を担いでいると聞いたときは悪人としか見えなかった。春奈とこの先輩を絶対に認めてはいけない、と思った。しかし、今は……。

「……亡くなった僕の祖父もさ、さっきのお客さんみたいに高圧的な人だった。実際に会社の偉い立場にいたみたいだけど、仕事やめてもプライドだけが残っていたのかな? とにかく上から目線で、いつも威張り散らしていたな。兄が高齢者に対する詐欺を始めたのも、そんな祖父への当て付けみたいなところがあったんだろうね」

「……先輩はどうして、お兄さんの犯罪に加担したんですか?」

「大した理由じゃないよ。良い稼ぎがあるからって、ボランティアに行っている高齢者の情報をくれって言われたのが最初。その時はまさか、それが振り込め詐欺に使われるとは思っていなかったけどね。それから何度も情報を提供してはお金を貰って……気が付いたら、僕も引き返せないところにきてしまって……」

「ふぅん、なるほどね……」

 遼太郎は冷ややかな目でアキラを見据えてる。

 緋音も、こればかりはどういう反応をしてよいのか分からなかった。

「春奈もそうやって、騙していたんですね……」

 緋音がそういうと、アキラの顔が一気に引きつった。

「もう分かっているんだぜ。アンタが布施春奈に近付いて、アイツのおばあさんの情報を聞き出そうとしていたってこと」

 アキラは観念したかのように強張った表情筋を和らげた。

「……参ったな。そこまでバレていたのか」

「バレていたのか、じゃありませんッ! 春奈の純粋な気持ちを利用するだなんて、私……」

「すまない……」

 彼の腑抜けた謝罪は、緋音の怒りを増幅させた。

 少しだけ彼に同情しそうになったが、いけない、と思いながら緋音はもう一度睨みつけた。

「謝るのは私じゃなくてッ……」

「……で、もしかしてそうしているうちに本当に好きになった、と?」

 遼太郎の言葉に、アキラは口を噤んだ。

 

 ――そんなのが信じられるはずがない。


 緋音は信じられなかった。こんな兄の言いなりになって怯えているだけの男が、純粋に春奈のことを好きになるなんて、到底思えない。

「……参ったな」

 アキラが呟くが、どうせ口先だけだろう、と緋音は思った。

「なるほどね。だからバイトをしていたわけか」

「……君は何でもお見通しなんだね」

「いいや、今のはただの根拠のないハッタリだ。けど、どうやら図星だったみたいだな」

「……遼ちゃん、どういうこと?」

 緋音は遼太郎に尋ねた。

「つまり、先輩は先輩なりに罪悪感を抱えているってことだよ。おそらく、ここでバイトした金を貯めて被害者の人たちに謝罪したい、そんなところだろう」

 そんな理屈が通るだろうか、と思った。

 しかし、言われてみれば確かに兄から金を貰っているアキラがバイトなんかする理由が見当たらなかった。一応辻褄は合っているのかもしれない。

「信じられないのも無理はないし、勿論、信じてもらおうとは思っていないよ。けど、それは本当だ。少しでも被害者の人たちに謝罪して返金するためにバイトしている」

「通帳見たけど、給料は振り込まれているのに、ほとんど引き落とされていなかったからな。おかしいと思ったんだ。高校生がそこまでして貯める理由なんてないからな」

 なるほど、と緋音は理解した。しかし、納得というわけにはいかない。

「凄い推理だね。いいよ、正直に話す。警察に言って……」

「言ってどうなるんスか、先輩。そんなことしたところで布施春奈が納得するとでも?」

 遼太郎は冷たい視線でアキラに言い放った。再び、アキラは口を噤む。

「私、先輩のことを絶対に許しはしません。けど、だからって春奈に何も言わずに警察に出頭すれば良いとは思いません……」

「け、けど……」

「安心してください。俺らはあくまで恋愛審査委員会なんで。別に警察にチクったりはしませんよ」

 遼太郎はニヤリ、と笑みを浮かべた。

 ――あ、なんか悪いこと考えている。

 具体的なことは分からないが、そういう顔だと緋音は悟った。

「なら僕はどうすれば……」

「さてね、あとは自分で考えてください、先輩」

 遼太郎は少し冷たげに言った。

 しばらくアキラは俯き、静かに口を開いた。

「……明日」

「えっ?」

「おそらく明日、兄たちは春奈のおばあさんに電話をかける。おばあさん、凄く春奈のお兄さんのことを心配しているみたいだし……おそらくそこを兄はついてくるんじゃないかと僕は睨んでいる」

 ――ウソ、でしょ?

 まさか、振り込め詐欺の情報を、加担しているアキラ自身から話してくれるとは思ってもいなかった。

「そっか、ありがと、先輩。それだけ聞ければ充分ッスわ」

「……今のは僕の独り言だから」

「はいっす。それじゃ、俺らはこれで」


 それから頭だけ下げて、二人はコンビニを後にした。

 夜九時すぎの路地は、街灯だけの覚束ない明るさでどこか不安になった。

「遼ちゃん、先輩はこれからどうなるの?」

「ここまできたらあとは先輩の良心次第、だろ。必要な情報は粗方聞き出せたからな。あとはそれをどうするか、だ……」

 緋音は俯いて、ふと考えた。

 ひとつだけ、方法がないわけでもなかった。上手くいく自信はないし、決して褒められるような方法ではない。

「ねぇ、遼ちゃん。ひとつ、作戦があるんだけど……」

 ――あぁ、また馬鹿にされるんだろうな。

 緋音は冷ややかな目を浴びせられることを覚悟したうえで、遼太郎に伝えた。

 意外と静かに、遼太郎は聞き入っていた。緋音は心を静かに落ち着かせて、思いついたことを伝えた。

「……なるほどね。でも、それは随分回りくどくないか」

 ――あぁ、やっぱり。

 ふと、春奈の顔が脳裏を過ぎった。

 ずっと好きだった財前アキラのことを話す彼女の顔は、非常に嬉しそうだった。

「……春奈に先輩を疑わせるような真似はしたくないから」

「……ふぅん、でも、嫌いじゃないぜ」


 ――えっ?


「それって……」

「やろうぜ、それ! その方法で財前アキラの気持ちを確かめてやろうぜッ!」

「う、うんッ! やろうッ!」

 遼太郎が意気揚々と返事をすると、緋音の顔も明るくなった。

「あー、でもひとつだけ情報、というか協力者が欲しいところだけど……」

 緋音が尋ねると、またもや遼太郎の顔に悪い笑みが浮かんだ。

「協力者、ね……」

 

 ふぅ、とため息を吐いて緋音はスマホの時計を見た。


「……って、もうこんな時間⁉ 早く帰らないとお母さんに怒られちゃう!」

「おっと、すまなかったな。こんな時間に付き合わせちまって」

「ホントだよッ! あーあ、またお母さんに怒られるか男と会っていたんでしょと冷やかされるか……」


 ――ん?


 そういえば、あのとき――。


 思い違いかも知れないが、あのときの春奈の反応、もしかして……。


「……ねぇ、遼ちゃん」

「ん? 何?」

「思い違いかも知れないし、大した情報じゃないかも知れないけど、ね……」


 春奈はふと今脳裏に浮かんだことを遼太郎に伝えた。

 これもまた本当にただの直感でしかない。間違っている可能性も充分にある。今度こそ遼太郎は笑うか馬鹿にするかどちらかの反応はするだろうと思った。

「……違うかも、知れないけど」

「助かったぜ、雀部」


 ――えっ?


「本当に、私……」

「木虎に詳しく調べてもらって、正しかったら協力者になってもらえるかも知れない! よっしゃ、明日は勝負だぜ!」


 ――遼ちゃんが、気合い入れてる?


「恋愛審査委員会、しっかり見極めさせてもらいますかッ!」

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