5話 「いけないいけない!」
結局、大した方向性は定まらないまま、委員会は終了した。
あれから何かしら話をしていた記憶はあったが、緋音は上の空で全く話が入ってこなかった。それほど遼太郎が放った一言が衝撃だった。
『いたよ……俺にも。好きな人』
そして彼は話を続けた。
『赤い糸……繋がっていた』
たどたどしく話をした後で、遼太郎は黙り込んだ。
結局、それ以上彼とは話が出来ずに、黙って委員室に戻った。それからずっといつもと変わらず、気の抜けたように委員会をこなしていた。しかし、その表情はどこか寂し気に見えたのは緋音の気のせいなのだろうか。
「……ちゃん」
遼太郎に、好きな人がいた。考えてみれば別段不思議でもない話だ。これまで彼がそういった人がいた素振りを見せていないだけだったのかもしれない。
「……かねちゃん」
しかし、赤い糸が見えているはずの彼ならば、その恋を成就させるのは容易いはずだ。勿論その相手と赤い糸が繋がっていなかった可能性も否めないだろうが。
――考えていたらキリがないよ。
「あかねちゃんッ!」
「わわッ⁉ は、春奈⁉」
突然大声で呼ばれて緋音は驚いた。
「もう、さっきから何度も呼んでるのに」
「ご、ごめん……」
部活を終えた春奈と鉢合わせになり、一緒に下校する流れになったのだが、その間ずっと上の空だった。
いけないいけない、と緋音は心を落ち着かせて、もう一度春奈の顔を見た。
「そうだ、春奈。今日は先輩とはどうだったの?」
「どうって、いつもどおり一緒に部活をしていただけだよ。先輩、今日は先に帰っちゃったけど……」
そう答える春奈に、緋音は今朝のアキラが脳裏に過ぎった。
『布施春奈から、祖母の情報をもっと聞きだせ。そのためにお前はアイツを彼女にしたんだろ? なぁ、アキラ……』
冬彦にそう言われたアキラは、おそらく春奈の祖母について何か聞いてきたに違いない。よし、ここはストレートに聞こう、と緋音は思った。
「あのさ、今日って先輩と何か話とかした?」
「話と言われても、おばあちゃんは最近調子どう? とか……ぐらいかな?」
「それで……、何て答えたの?」
「別に……相変わらずだよって」
とりあえずは大した話はしていないらしい。
詐欺の情報になるようなことは漏らしていないようで、緋音はほっと胸を撫でおろした。その代わりにアキラが冬彦に怒鳴られるのではないかと心配にはなったが。
「良かった、特に何もなかったみたいで安心したよ」
「安心?」
「あ、いや……」
たどたどしく慌てふためいたが、コホン、と咳ばらいをして緋音は無理矢理話題を変えることにした。
「そうそう、それでおばあちゃんの調子はどうなの? 足腰が弱ってるって言ってたけど」
「おばあちゃん? そうだね……足腰は弱いけど耳は良いかな。あとは記憶力が少し曖昧になってきたかも……あ、でもお兄ちゃんのことは覚えていて、時々会いたいみたいなこと言ってるかな」
「あれ、春奈もお兄さんいたの?」
これは緋音にとっても初耳だった。
「うん。ただ二年前にね、お父さんと喧嘩して出て行っちゃったんだよね。私は今でもたまに会いに行ったりはするけど……」
――ん?
どういうわけか、兄の話をした瞬間、春奈の視線が泳ぎ始めた。
「なんていうか……、悪いこと聞いちゃったかな?」
「あ、そんなことないよ。大丈夫!」
春奈は気を取り直した様子だ。
「あ、それじゃあ私はここで」
「うん、色々と大変だと思うけど、春奈も頑張ってね!」
「ありがとう!」
ニッコリと笑みを浮かべて、緋音は春奈と分かれた。
「そうだ、まだこの時間なら公園のクレープ屋さんやっているかな?」
ふとあのクレープが食べたくなり、緋音は公園へと向かった。
案の定、いつもの噴水広場の真ん中にはまだキッチンカーがある。日は大分傾いてきたが、まだ客も何人かいるようだった。
「ナッちゃん、やっほー!」
「あら、緋音ちゃん。いらっしゃい」
店員の相も変わらない気さくな応対に、緋音の心も少し軽くなる。
「浮かない顔してるね。また委員会で何かあった?」
「えっ、そんなことは……」
明るく振舞ったつもりだったが、この店員にはお見通しだったようだ。
「はっはーん、その顔は図星だね。ま、そんなときはうちのクレープでも食べて元気出しなよ。あ、でも今日はニンニク切らしちゃったから」
「それじゃあ、いつものハニークリームで」
「はい、まいどあり!」
ふぅ、と一息吐きながら緋音はテーブルに座った。
――あっ。
今日一日で騒動が一気に押し寄せたせいもあって、緋音は大事なことを忘れていたのに気が付いた。
鞄の中からひとつの通帳を取り出した。そこには『財前アキラ』と名前が書いてある。
今朝、アキラが冬彦と会話していた直後――。
アキラが学校へと入っていく途中で、この通帳を落としていたのを緋音は拾った。だが、二人の会話がどうしても脳裏に焼き付いてしまい、完全に渡すタイミングを逃してしまった。
「これ、どうしよう……」
流石にこれを届けないわけにはいかないが、今から渡しに行くのも遅い。明日学校で渡せばいいのかも知れないのだが……
「はい、お待たせ」
「あっ、ありがとっ!」
店員がわざわざクレープを届けに来てくれて、緋音は慌てて通帳を懐に隠した。
「ん? 何か考えた様子だったけど……」
「あっ、ちょっと……」
「恋愛審査委員会だっけ? 色々お仕事大変らしいねぇ」
「そうなんですよ。今回もちょっと……」
と言いかけたところで、緋音は口を噤んだ。常日頃、守秘義務はきちんとしろ、と遼太郎に言われていたばかりだ。危うく情報を漏らしそうになった自分を緋音は猛省した。
「……やっぱり厄介な案件、とか?」
「うん、詳しくは言えないけどね」
「そっか……。ま、無理はしなさんな。何かあったらウチのクレープ食べて気合入れなおしなよ」
店員はそう言ってウインクを飛ばした。
――ありがとう。
店員の心遣いに触れて、緋音の心に溜まっていたモヤモヤは少し溶けたような気がした。
甘ったるいクレープを食べ終え、緋音は拳を握って気合を入れなおした。
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