3話 「……あれ?」
――そんな。ウソでしょ。
始業のチャイムが鳴り響く。遅刻は既に確定しているが、緋音にとってそれはもうどうでもよくなっていた。
詳しいことは分からない。だが、話の内容からして確実に春奈を利用するために近づいた。それは充分に理解できる。
あの優しそうな先輩が、まさか――。
「そろそろ授業か。とにかく、今日はしっかりやれよ」
冬彦はそう言って車に乗り込み、エンジンをかけて校舎から去っていく。
それを見送った後、ぐっと歯を食いしばるような表情を浮かべながら、アキラは昇降口へと走っていった。
緋音はといえば、まだ校舎に入る気にはなれなかった。どうしよう、と心を落ち着けようと自身に言い聞かせるも、足が震えて動かない。
――ダメだ。
これは由々しき事態だ。春奈を傷つけることになるかも、とは考えてはならない。友人だが、いや、友人だからこそ、きちんと彼女に伝えなくてはならない。
春奈には悪いが、今回の恋愛は認めてはならない。
それが、恋愛審査委員の副委員長としての仕事、いや、使命だから。
――ん?
緋音はアキラが走り去った地面に何か落ちていることに気が付いた。
そこに駆け寄り、それを拾う。
「これは……?」
案の定遅刻で怒られてからあっという間。
緋音はその日の授業は一日中身が入らなかった。
授業中、春奈の顔に何度かチラチラと視線を送ったが、彼女はといえば相変わらず生真面目に授業を受けているだけだった。まぁ、当然なのだが。
心に決めたとはいえ、告げるのは少々ためらわれる。まだ詳細にアキラと冬彦が何をしようとしているのかも分からないのに。
――そうだ。
まずは、それを突き止めるのが先だ。
前回の瑞樹の際に学んだはずだ。しっかり両者がどういう人間か見極めたうえで恋愛を通すべきだ。それが恋愛審査委員会の仕事だ。
「それではみなさん、さようなら」
思考を巡らせているうちに、本日の授業が全て終わった。
――よし、今日は委員会だ。
緋音は神妙な面持ちで、窓際の席まで足を運んだ。
「りょ、遼ちゃん……」
「あん?」
相変わらず気の抜けた顔で返事をする遼太郎。こちらの気も知らないで、と緋音は少し腹が立った。
「あのさ、委員会で話したいことがあるんだけど……」
恋愛審査委員室にメンバー全員を呼び寄せた緋音は、呼吸を整えて全員を見た。
「さて、今日集まってもらったのは他でもなく、春奈ちゃんの恋愛のことですが……」
「あぁ、それか……」
欠伸混じりに遼太郎は返事をする。
「やっぱり、アキラ先輩、悪い人だったみたいで……」
しどろもどろに、緋音は説明をする。
心拍数はどんどん高鳴っていく。
「そうですね、正確に言えばアキラさんというより、アキラさんのお兄様のほうが、ですわね」
「擁護するつもりはないけど、先輩はあくまで共犯に過ぎないってことを念頭に置いておかないとね」
「えっ……? あれ、もしかして……」
重々しく説明した自分の緊張はなんだったのか、というほど闇樹と蒼空に淡々と付け足された。
「……調べはついている」
「もう⁉」
アルバニアがタブレットの画面を緋音たちに見せてきた。
「財前冬彦が経営している会社、『フォーチュンフロント』は表向きは介護用品の通販や介護施設の斡旋をしている企業。けど、その実は……」
「高齢者の情報を入手して、それを元に高齢者からお金を騙し取る集団らしいね」
「それって、いわゆる……」
――振り込め詐欺。
それぐらいの言葉は緋音も知っている。
高齢者の身内になりすまして、事故などと嘘を吐いて高額な金を騙し取る。ニュースや刑事ドラマでは何度か耳にする言葉ではあるが、まさかここまで身近にあるものだとは緋音も思わなかった。
「警察も馬鹿じゃないからね。大分調べは進んでいるみたいだけど、確実な証拠はまだないらしくて逮捕に踏み切れてはいないようだ」
「けど、そうやって調べている間に会社の名義とか場所とかを変更して、また同じようなことをすることだって充分あり得るというわけですわ」
「そんな……」
合点はいったが、未だに信じられなかった。
昨日緋音と春奈の前で見せた、冬彦の気さくで優しい表情。けどそれは演技だったのだろうか。
今朝アキラを恫喝していたあの表情。あれこそが彼の本性なのだろうか。
「瑞樹のヤツに協力してもらいはしたけど、さすがに警察の捜査情報はそうそう拾いきれないな。とはいえ、おそらくほぼ確実にクロだろうな」
「け、けど……、それじゃあ、先輩は……」
――そうだ。
アキラはどうなるのか。
何故、兄の犯罪に彼が加担しているのか。そして、それが春奈との恋愛にどう関係しているのか。
「詐欺の情報収集も簡単にはいきませんわ。最初は介護用品の訪問販売を装って、他愛ない会話から、家庭の事情や所持金、それに一人になる時間などの情報を引き出すということをしていたのでしょうけど……」
「このご時世だからね。高齢者のみなさんもガードが固くなっているわけだ。そこで、ボランティア部である先輩を利用した」
「うちのボランティア部は何度か高齢者の通所施設とかを訪問していたりするからな。そこで雑談とかをしながら細かく情報を入手しているんだろ。まさか高校生のボランティアが詐欺に加担しているなんて夢にも思っていないだろうからな」
「……それだけじゃない」アルバニアが割って入った。「財前先輩は多分、布施先輩のおばあちゃんの情報も入手しようとしている……」
「えっ……?」
そういえば、と緋音は思い出した。
今朝、緋音が駐車場で聞いた会話――
『布施春奈から、祖母の情報をもっと聞きだせ。そのためにお前はアイツを彼女にしたんだろ? なぁ、アキラ……』
――そうだ!
ようやく、その言葉の意味を理解できた。
「……アキラ先輩は、最初から情報が目的で?」
「布施春奈に近付いた、ってことだ。難しい話じゃない」
――最低。
ボランティア部の部長という立場でありながら、高齢者たちから金を騙し取る詐欺の片棒を担いだ財前アキラ。それだけでなく、春奈の祖母の情報を聞きだすためだけに、春奈の恋心を利用した男。
緋音の中で、それまで抱いていた彼の姿が一気に瓦解していった。
嬉しそうに、彼のことを話していた春奈の姿も思い出すが、その度に心が痛む。
「……それじゃあ、春奈と先輩の恋愛は?」
――不許可。
今回ばかりはその答えしかない。
絶対に叶えてはならない。
親友だからこそ、彼女の幸せを願って、真実を打ち明けなければならない。心は痛むが、それ以上の痛みをこの先味わうよりは何倍もマシだ、と緋音はぐっと拳を握った。
「だから難しいんだよな、今回。調べれば調べるほど、財前アキラの埃がどんどん出てきやがるせいで、許可を通そうにも通しづらい状況なんだよな」
「うん、許可を通そうにも……」
――あれ?
緋音は遼太郎の言葉に違和感を覚えた。
「アノ、遼チャン? モシカシテザイゼンセンパイトハルナノレンアイキョカシヨウトシテイマセンカ? コノジョウキョウデソレハムリアルキガスルノデスガマサカトハオモイマスガ、ハイ。エ、キキマチガイジャアリマセンヨネ? モウイチドゴカクニンオネガイシマス、ザイゼンアキラセンパイト、フセハルナサントノレンアイハキョカシマスカ、フキョカデスカ?」
古い音声ナビゲーターのような片言口調で、緋音はしどろもどろに尋ねた。
「だから、許可の方向でいこうと思っているけど、現状通しにくい状況なんだって」
――聞き間違いではなかった。
空が青い。今日は非常に良い天気だ。
三寒四温とはよく言ったものだ、といえるぐらい暖かい陽気である。
空気はあまり乾燥してはいない。外からは新緑の匂いがうっすらと漂ってくる。
分かる。うん、分かる。
今日は、いい天気だ。
――ではなくて。
「ええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええぇぇぇぇぇっぇえぇぇえぇええええええええええええええええええええええええええッ⁉」
室内中に、いや、廊下全体まで響き渡るほど、緋音は大声で驚いた。
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