2章 金の切れ目が恋の切れ目?

1話 「やっぱりこういう奴……」

「イケる、のか……?」

 大柄な男は、泰然と座りながら目の前の少年を睨みつけている。

 沈黙が部屋中に蔓延し、得も言われぬ緊張感に室内の人間は皆固唾を呑んでいた。

「……」

 睨みつけられた少年、灰場遼太郎は下を向きながら黙り込んでいた。

「……何とか言ったらどうなんだ?」

「先生……」

 二人の緊張感を、少女――雀部緋音は冷や汗混じりに見つめているしかなかった。

 少しだけ遼太郎の右手が口元に寄った。考え込んでいるかのような仕草だ。

「……イケるのか、イケないのか、はっきりしたらどうなんだッ!?」

 業を煮やした大男の声色が少し強張った。

 少女の背筋が少しだけ震え、緊張感が更に増していく。

 正直、帰りたい――この場に今は留まりたくない。

 だが、ここまできたら事の顛末を見届ける義務が自分にはある。少女は自身にそう言い聞かせながら小さな呼吸を何度も繰り返した。

「……イケる」

 少年の口がようやく開いた。

 声は小さかったが、緋音の耳にはかろうじて聞き取れた。

「おい、今なんて……」

「イケそう! うん、これはイケるかも‼」

 今まで強張っていた大男の口元が緩んだ。

 緊張感が次第に解けていき、緋音はほっと胸を撫でおろした。

「イケるのか⁉」

「よし、いい感じ‼」

「本当か⁉」

「……」

 遼太郎は再び黙り込んだ。

 緋音も大男も、目を大きく見開き、彼に注目した。

「灰場……」

「遼ちゃん……」


 室内の温度が高まっていく。

 心臓の鼓動が高まっていくのを実感しながら、更に緊張感が高まった。


「ど、どうなんだ⁉ どうなんだッッッッッッ⁉ 俺と、渡辺わたなべとの、恋愛審査は……」

「よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! イケたぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼ モンバルのイベントクエストようやくクリアだぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼」


 ――呆然。


 それまでの緊張感が、悪い方向で解けた。


「おい、灰場……」

「見ろよ、雀部! やっとイベントクエストの最高レアキャラの甘エビ娘ゲットしたぜ! いやぁ、今月は金なくてピンチだったからさぁ、課金とかできなくて、こうやってチマチマやっていくしかなかったんだよなぁ。マジで大変だったわ。さてさて、こっから主戦力として使えるようになるまで鍛えるのがまた大変……」

「おいッ!」

 ゴンッ! と拳で強く机を叩き、男は遼太郎を睨みつけた。

 それに物怖じする様子もなく、遼太郎はイヤホンを外して間の抜けた顔で男の方を見た。

「あ、西出にしで先生」

「あ、じゃない! お前、恋愛審査委員長だろうが! 俺が真面目に審査の届けを提出しに来たというのになぁ……」

「あのさ、先生……」

 遼太郎は呆れた顔で西出と呼ばれた大男に向かってわざとらしいため息を吐いた。

「生徒と教師という関係が難しいのは分かる! けど、俺は真面目に渡辺のことを……」


「そういう話は、左手の薬指の指輪外してからお願いします。以上」


 シッシッと手で払う仕草を見せながら、気の抜けた声で西出から目を逸らす遼太郎。

 西出は魂が抜けたように、肩の力を落とした。


 ――雀部緋音、十六歳。

 今日もこんな調子を見せつけられながら、恋愛審査委員会副委員長(自称)として、何もせずに仕事しています。



「ナッちゃんッ! ニンニクアブラカタメマシマシでッ!」

「あらぁ、ガーリックいっちゃう? 相変わらずマニアックねぇ」

 彩央学園から一〇分ほど離れた公園には、学校帰りの学生たちや主婦、老人たちで賑わっていた。

 緋音は公園の中央に停まっているキッチンカーを見つけるや否や、目を尖らせながら刺々しい口調で店員に注文をする。

「……ホント、信じられない。全くやる気があるのかないのか……」

 注文した品が出来上がるまでの間、緋音は腕を組みながらぶつくさと独り言を呟く。

「また例の彼?」

「……あ、うん」

 綺麗な声に釣られて、思わず返事をしてしまう。

 本当に綺麗な人だ、と緋音は以前から思っていた。整った顔立ちに、すらっと長い睫毛。癖毛のない滑らかなロングヘアはこれまた綺麗な金髪である。

 彩央学園に入学して以来、この店に常連とまで呼べるぐらいまで通うようになったが、この店員はいつも優しい笑顔で応対してくれるから本当に居心地が良い。今みたいに怒り心頭の時でもこの人の笑顔を見れば心が落ち着いてしまう。

「はい、ハニークリームのトッピングありお待ちどおさま」

「あ、ありがとう……」

「恋愛審査委員だったっけ? 大変みたいだけど、頑張ってね」

 店員にウィンクを飛ばされて思わずドキリと心を高鳴らせてしまう。

 緋音は一旦心を落ち着かせて、受け取ったクレープ(ハニークリーム、ニンニクアブラカタメマシマシトッピング)を持ってテーブルのほうに向かっていった。

「あ、緋音ちゃん!」

 テーブルには既に見知った顔がいた。

 ほんのりとウェーブのかかった茶髪。少しそばかすがある顔立ち。特別目立つわけではないが控えめに言って可愛らしい少女だと緋音は認識している。

春奈はるな! お待たせ!」

「恋愛審査委員会のお仕事お疲れ様。凄く機嫌悪いみたいだけどどうしたの?」

「それがさぁ、聞いて! また遼ちゃんったら、適当な理由つけて恋愛審査を不許可にしちゃったの! しかもちゃんと話聞いている感じじゃなかったし!」

「そ、そうなんだ……」

「そりゃ確かにね、西出先生だって悪いわよ。流石に不倫はないわよ不倫はッ! しかも教師と生徒でッ! でもね、だからって話半分にスマホゲームやりながらはないでしょうに! 他のメンバーも全然仕事しないし、こういう場合真っ先に出るべき武藤先輩だって『今日は行きつけの小学校が早く下校するからわたくしも早く帰らせていただきます』だって! 本当にみんなして……」

「で、でも……この間、一組カップルを許可したって。凄く噂になっているよ」

 それを聞くと緋音は口を噤んでしまう。

 確かに、先週一組――森山瑞樹と平沼香織のカップルを許可した。二人の間にあった複雑な問題も解決し、見事に赤い糸を結びつけたのだ。


 緋音は知っている。というよりも、その一件の後で聞いた。


 ――灰場遼太郎は、赤い糸が見える。その糸がつながった二人は、永遠の“本当の恋”として結ばれる。


 だからこそ遼太郎は妥協はしない。表面だけの上っ面の恋愛など認めない。

 それを知った今としては遼太郎のことを認めざるを得ない部分もあるし、理事長が彼を恋愛審査委員長として抜擢した理由も頷ける。

「分かってるわよ……。でも、遼ちゃんはもっと思いやりとかそういうのを……」

「フフフッ……」

 春奈と呼ばれた少女が笑い出した。

「な、何よ?」

「緋音ちゃんってば、灰場くんのことになると嬉しそうなんだから、つい……」

「そ、そんなことないわよ! 遼ちゃんは、まぁ、よくやってるけどさ、でもでも、意地悪だし、なんか気が抜けてるし……」

 俯き気味の緋音の顔は少し赤く、言葉もたどたどしくなっていく。

 コホン、と咳払いをして緋音は真っ直ぐに春奈の方を見る。

「それを言うなら、春奈だってどうなのよ? ていうか、今日はあなたのほうから相談があるからって呼びだしたんでしょ?」

「そ、そうだけど……ここだとちょっと」

 春奈もまた顔を赤くしながら周囲を見回して口ごもった。


 彼女――布施ふせ春奈はるなとは一年の頃からの付き合いだ。あまり目立つ方ではないが、緋音が入学して同じグループになったのを機に仲良くなった。

 ボランティア部で様々な施設を訪れて頑張っているという話を聞くほど心優しい子なのだと緋音は認識している。


「あ、ごめんね。ここに来てって言ったのは私だっけ。ちょっと糖分欲しくなっちゃったもんで」

 そういって緋音は手に持ったクレープを頬張った。

「……そ、そう。まぁ、大声で話さなければ大丈夫だけど……」

「それでさ、相談って何?」

 間髪を入れずに緋音が話を聞きだす。

「あ、うん。実は、ね……恋愛審査委員に、その、許可をお願いしたいんだけど……」

 春奈がそういうと、緋音は一瞬で目を輝かせた。

「え、春奈、付き合っている人いるの⁉ 誰々⁉ うちのクラス⁉」

「えっと、クラスじゃなくてね……」ふぅ、と一息入れてから春奈が話を続ける。「ボランティア部の部長の、財前ざいぜんアキラ先輩、なんだ……」

「財前先輩ッ⁉ 超優良物件ッッッッッ‼」

 名前が挙がった財前アキラについては緋音も知っている。

 容姿端麗、成績運動共に優秀な三年生で、様々な運動部からスカウトが来ているにも関わらずさほど部員の多くない文科系のボランティア部に入部した変わり者である。それでも自身のコミュニケーション能力を発揮して訪問先の施設からの評判も良いとの専らの噂だ。

「あんな有名な先輩とどうやって知り合ったの⁉ あ、知り合ったのはボランティア部か。でもでも、それでも付き合うなら何かきっかけがあったはずでしょ!?」

「きっかけというか、同じ部活で色々相談乗ってもらっているうちに、話が合って、そこから付き合うようになったっていうだけの話なんだけど……」

 もじもじと気恥ずかしそうに話す春奈の姿が、緋音には非常に可愛らしく見えた。

「そういうことなら、この緋音ちゃんに任せなさいッ! 大丈夫、私はこう見えて恋愛審査委員会の副委員長なんだからッ!」

「ふ、副委員長だったんだ……」

 あくまで自称ではあるが、そこは伏せておいた。

「というわけで、書類持ってきて! そしたら私がチョチョイのチョイってハンコ押して許可にしてあげるからッ!」

「え、でも……」

「いいのいいの。あのね、このまま遼ちゃんのところに話がいったら、せっかく財前先輩と付き合えたのが不許可とか言われて無駄になりかねないわよ。でも、私に任せておけば大丈夫!所詮こんなものは紙の上の話だしね、いざとなったら委員長がミスしたってことにしておけばいいの。まぁ恋愛審査が通る分には誰も困らないわけだし、遼ちゃんだってこれだけたくさんの案件やっていればひとつやふたつミスすることもあるだろうし……」

 緋音は非常に悪い顔を浮かべて話す。

「そ、それがね……緋音ちゃん」

「ん? 何? どうしたの?」

「実は、灰場くんにも相談しちゃったんだ」

「えっ……?」

 その瞬間――。

 ポコン、と緋音の後頭部が何かに叩かれる感覚がした。


「ほうほう、お前、俺にミスを擦り付ける気マンマンだったわけだな」


 背後から聞こえてきた声に緋音が恐る恐る振り向くと、口元を吊り上がらせながらこちらを睨みつけている恋愛審査委員長、灰場遼太郎の姿があった。


「あ、その……遼ちゃ……灰場くん?」

「お前、なぁに適当なことくっちゃべっているんでしょうかね? 恋愛審査委員の仕事をそんな風に思っていたと、ほうほう……」

「これは……その……ん?」

「ん? 何だ?」

「いやいや、冷静に考えたらね、アンタもさっきスマホゲームやりながら相談に乗っていたわよね。ってことは、アンタも偉そうに人のこととやかく言う権利はないって……」

「まぁいいや。というわけで、だ、布施。財前先輩との恋愛についてだが……」

「人の話を聞けぇぇぇぇぇッ!」

 開き直った気持ちを無駄にされて、緋音は思わず声を荒げた。

「一度改めて書類持ってきてくれ。すぐに結果は出せないから、一週間ほど待って欲しい」

「あ、うん……」

「焦る気持ちもあるだろうけど、二人の件についてはしっかりと見定めたい。悪いな」

「べ、別に、大丈夫だよ。ありがとう……」


 ――え?


 思った以上に真剣な眼差しになっている遼太郎の顔を見て、緋音は怒りの気持ちが一気に吹き飛んだ。


 ――まさか、今回も?


「それじゃ、俺はこれで」 

 そういって踵を返して遼太郎は去っていった。

「えっと……」

 緋音は少し拍子抜けだった。またもや「不許可」と言うだけかと思いきや、かなり真剣な目をして春奈のことを見ていた。

 ――いやいや、そうとは限らない。

 前回の森山瑞樹の件だって、当初は島珠実との恋愛だったはずだ。理由はあったにせよ、最終的に結ばれたのは平沼香織であり、当初の目論見とは大きく乖離した結果になったことに間違いはない。

 今回はどういう意図で動いているのか、それは分からない。ただ、春奈は自分の友人だ。彼女を悲しませるような結果にだけはしたくない。

「あ、あの、春奈……」

「だ、大丈夫だよ。私、どんな結果でも真剣に受け止めるから」


 ――あぁ、ダメだ。


 生真面目な春奈はもう悪い方向も良い方向も受け止める覚悟ができている。先ほどまで書類を偽造しようとしていた自分が情けなく思えた。


 緋音は頭を抱えながら、テーブルで項垂れた。

「はい、おまちどおさま。タピオカミルクティーよ」

 先ほどの店員がお盆に乗せたタピオカミルクティーを持ってきた。

「あれ、私頼んだ覚えないけど……春奈、頼んだ?」

「う、ううん……」

 春奈は店員から目を逸らし、少し険しい顔になっている。

「あぁ、これね。さっきの男の子から、あなたにあげてって」

「さっきの男の子って……」

 遼太郎のことだ。

「なんかね、『前回役に立ってないから、今回は頑張れ。これを前報酬代わりに奢るからその分はしっかりと働いてくれ』だって」

「え?」

「それじゃ、ごゆっくり~!」

 店員がミルクティーを置くとそのまま振り向いて去っていく。

 緋音はしばらくミルクティーをじっと見つめ、そして勢いよくストローから飲み干した。


「あぁいう奴なの! あぁいう奴なんだからッ!」

「……うん、分かった」


 春奈がどういう意味で頷いたのかは緋音には理解できなかったが、とにかく今回は頑張ろう、と心に誓った。

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