8話 「全部嘘!」
目を覚ますと、真っ暗な空間にいた。
湿ったような、どこか土臭いような、異質な空間。見覚えはない。
「僕は――何故ここに?」
瑞樹は上体を静かに起こした。身体も重いし、頭もズキズキと痛む。
深呼吸をしながら、思い起こせることを順々に引き出していった。今朝は七時に目が覚めて、いつも通りの納豆ご飯と味噌汁、そしてサラダを食べて――毎朝見るニュースでは、渋谷にオープンしたばかりのステーキ屋の特集をしていたはずだ。そして家を出て途中お弁当を忘れて取りに戻ろうとして……。
あれ――?
そこから先の記憶が途切れていた。
ともかくここから出なければ、と瑞樹は立ち上がろうとした。
「目、覚めた?」
突然呼びかけられた声のほうを向いた。
「あ、珠実、ちゃん?」
安堵のため息とともに、瑞樹はそっと彼女のほうに近づいた。
良かった、自分だけではなかった。渦巻いていた不安もようやく消えたかのようだった。
「ここは、どこ? 一体何で僕は……」
聞きたいことは山ほどあったが、しどろもどろな気分になってどうも言葉にならなかった。
目の前の珠実はそんな彼の様子を不審がることもなく、にっこりと笑いかける。
「なかなか起きなかったからね、随分心配したよ」
「そ、そうなんだ……」
どことなく珠実の態度に違和感があった。異様な空間に入れられているにも関わらず、怯えた様子を全く見せない。
というより、この状況を待っていましたと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべている。
そしてその手に、何故かずっとスマホを握りしめている。
「ねぇ、珠実ちゃん……?」
「そこまでですわ」
突如として、背後から声が聞こえてきた。
それと同時に、暗い空間に光が差し込んできた。
「誰ッ⁉」
背後を見ると、黒髪のセーラー服の女性が佇んでいた。見覚えのある顔だ。確か、同じ彩央学園で――恋愛審査委員会の部屋にいた人物だ。
「クスス、ようやっと見つけましたわ」
「あなたは……」
改造制服の女性は、笑いながらこちらにゆっくりと近づいてくる。
「ねぇ、言った通りでしたわよ。灰場くん」
彼女――確か名前は武藤闇樹といったか――の後ろにもう一人いることに気が付いた。
「よう、瑞樹。無事で何よりだぜ」
現れたのは恋愛審査委員長、灰場遼太郎だった。
突然現れた様子から、彼は自分を探しに来てくれたという感じだ。
では誰がここに――?
「先輩? あの、ここは?」
「ん? あぁ、うちの学校からちょっと離れたところにある空き倉庫だ。良かったぜ、なんとかお前を見つけられてさ。感謝しとけよ、この武藤先輩がずっと付けていてくれたおかげだぜ」
遼太郎は闇樹に目を配る。彼女は相変わらず笑ったままだ。
「あ、ありがとうございます……でも、一体どうしてこんなところに?」
唾を飲みながら、瑞樹は尋ねた。
「拉致られたんだよ、お前は。そこにいる女にな!」
遼太郎は一気に珠実を睨みつけた。
嘘、だよね――。
言葉に詰まり、冷や汗が瑞樹の額を湿らせていく。
「ついでに言っておくと、下駄箱事件の犯人もそいつだ。お前はずっとそいつに騙されていたんだよ」
「そ、そんな――」
ショックを隠し切れなかった。これまで信じていたものが一気に崩れ去っていく感覚だった。
疑念が多々渦巻き、一気に頭が痛みだす。
「ふっ」
珠実の口から声が漏れた。
「あはははははッ! なぁんだ、バレちゃったんだ」
突如、彼女はこちらを馬鹿にしたように大きく笑いだした。
「た、珠実、ちゃん?」
「なぁに? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔しちゃってさ。ま、無理もないわよね」
目を大きく開け、口角を吊り上げて笑う珠実。
そこにいたのは瑞樹が知っている珠実ではない。いや、今まで見なかった彼女の本性というべきだろうか。頭も心も既に現実に追い付いていなかった。
「それが君の本性かい? なるほどね」
「灰場君? これって一体……」
更に二人入ってきた。委員会室で見かけた蒼空と緋音だ。
「全部、コイツが仕組んだことだったんだよ。さっきも見ただろ? あのSNSの画像」
「SNSって……」
遼太郎がそう言ってスマホの画像をこちらに近づいて見せてきた。
画面に映っていたのは、数人の男女がパトカーの屋根に乗ったり、近くでピースしている画像。こんな悪いことをする人間がいるものだと思ったのも束の間、そこにとんでもないものが映っているのに気が付いた。
「な、なんで……」
画像左下のあたりに、珠実の姿が映っていた。髪も今より大分伸びており、そして鮮やかな茶色に染まっている。彼女も同じようにおどけた様子でピースをしていた。
「ちょっと前に流行ったよね、こういうおバカさんなこと。まさか、未だにやっている奴らがいるとはね。何が楽しいのかは知らないけど、これをアップしちゃったんだよね、君ら。そしたらあっという間に大炎上、そして運悪く警察の目に入ってお叱りを受けちゃったわけ」
「まさか、そんな……」
衝撃的な事実が次々と明かされて、瑞樹は混乱が止まらなかった。
「ちなみに、そのお説教をしたのが瑞樹の親父さん。さっき電話して確認させてもらったぜ。具体的に何をするつもりだったのかは知らないけど、どうせ瑞樹に近づいて親父さんに対する復讐を計画していたんだろ。いや、“復讐”なんて高尚なものでもないか。“逆恨み”って言った方が正しいかな?」
「ふーん。そこまで調べちゃってんだ」
珠実は悪びれる気配もなく、余裕な笑みを浮かべている。
「しかしいつからそれに気付いたんだい?」
蒼空が遼太郎に尋ねた。
「そうだな。最初に学校で会った時かな?」
「そんなに早くから⁉」
緋音は目を見開いて驚いた。
「コイツその時、『瑞樹の父親が警察の警部補だ』みたいなことを言ってただろ? それでおかしいと思ったんだよね。瑞樹の親父さん、警部補じゃなくて警部だしな」
「あっ……」
そういえば、と一同は思い出した。
「一文字の違いだし、ただの言い間違いかなー、とも思ったから昨日も鎌をかけてみたが、やっぱり言ってたよ。『警部補さんのほうには私から日を改めて挨拶に伺いたいので……』ってさ」
「まさか、それの確認のために昨日森山君の家に?」
遼太郎はこくりと頷く。
「親父さんも言っていたけど、瑞樹の親父さんが警部に昇進したのは今年の一月。で、二人が出会ったのが二月。つまり、出会った時には既に昇進していたわけだ。だからもしかしたらこの女は瑞樹に出会う前に、親父さんに会っていたんじゃないかって思って。ちなみにそのバカSNSをやらかしたのは去年の十一月ね」
まさか、彼女が出会う前からそのようなことをやっていたとは――。普段おっとりとはしているが礼儀正しいと思っていたイメージが一気に崩れ去った。
「クスス、あなたのことは委員長に頼まれてわたくしも調べさせていただきましたわ。成績は非常に優秀で先生方の信頼も厚かったようですわね。噂では既に有名私立高校の推薦も決まりかけていたそうですし。去年の十一月までは、ね」
闇樹が挑発的な目で珠実を煽った。
「へぇ、随分しっかり調べているじゃない」
「直接あなたの学校へ赴きましたから。あそこは前からわたくしの行きつけでしたので」
「……うちの校区にちょくちょく変質者が現れるって聞いていたけど、あなただったのね」
流石にこれには珠実のみならず、一同が呆れかえった。
「表向きは優等生、しかし裏では悪いお仲間とつるんでいたそうで。そんな貴方でしたが、SNSの件が森山君のお父様に知られてしまい……」
「そうよ。あの親父が学校にチクりやがったせいで、今まであたしが築いたものがおじゃんになっちゃったってわけ」
「仮面優等生って奴か。けどさぁ、それで瑞樹まで巻き込むのもどうかって思うよ」
遼太郎が茶化すと、珠実はふっと笑った。
「この際だから正直に話すけどさぁ、あたしはコイツを脅して、コイツに襲われている捏造画像作ろうとしていたわけ。それをSNSにバラまいて、コイツとあのクソ警察にちょっとばかしヤキ入れてやろうと思ってたのね。コイツの学校、恋愛禁止だったからコソコソ付き合う理由にはちょうど良かったし」
「なるほどな。隠れ蓑としてはうってつけだったわけだ」
「けど、まさかこのタイミングで恋愛が解禁になるとはね。流石に慌てたわよ。だからこうして計画を急いだわけ」
淡々と話す珠実。
この状況で随分と余裕なのに、遼太郎はどこか違和感を覚えた。
「そんな……嘘、だよね?」
瑞樹は未だに現状に対してショックを隠せなかった。
「嘘? そうよ、全部嘘。アンタのこと好きだってことはね!」
――そんな。
心が完全に折れるかと思った。
「瑞樹、そういうわけだ。辛いかも知れないが……」
そう言って遼太郎は一枚の紙を取り出した。
――あれは、自分が提出した申請書類?
「二人の恋愛は、却下させていただきまーす!」
遼太郎は何の悪びれもなく、書類を引き裂いていく。
同時に、それは今までの思い出を全て壊されたかのように感じた。いつも優しくて笑顔で、誰よりもいい子だと思っていた。しかし――。
泣きたかったが、不思議と堪え続けていた。精一杯の強がりだったのかも知れない。
「ふーん。まぁ別にいいけど。こうなったらコイツはもう用済みだし」
珠実の笑いがより強くなっていく。
「男だって、別に不自由していないしね」
そういって、珠実の背後から数人の影が出てきた。
全員男子だったが、それなりに体格は良く、髪を染めていたり中には腕に刺青を入れているようなのもいる。
「あー、こりゃ逆ハーレムでうらやましいこって。それじゃ、俺たちは帰らせて……」
「あげるわけにはいかねぇんだな、これが」
踵を返そうとする遼太郎の前に、スキンヘッドの大男が立ちはだかった。
「あ? まだ何か?」
「何か、じゃねぇ。人のことを散々嗅ぎまわった癖に、ただで帰れるなんて思うなよ」
「いや、まぁそれが俺らの仕事なんで……」
「るせぇ! 問答無用……」
大男が拳を振り上げ、殴りかかろうとした瞬間――。
「おっと、危ないね」
蒼空が大男の拳を掌で掴み、瞬時に受け流す。
「てめぇ、俺とやろうってのか」
「女性に向かって『やろう』だなんて。ふっ、美しくない」
「やかましいこの男女がぁあぁぁッ!」
大男が再び拳を振り上げようとした次の瞬間。
蒼空の掌が今度は大男の鳩尾に触れた。かと思いきや、大男は身体をくの字に曲げたまま、数秒間硬直していた。
「がぁ、はっ……」
そのまま涎を垂らしながら男は倒れる。
「てめぇよくもッ!」
「女だからって調子に乗りやがって!」
今度は蒼空の両端から二人の男が襲い掛かってくる。
が、今度は身体を回転させながら両方の掌を男たちの身体に当て、
「ぐッ……」
間髪も入れずに撃沈させていく。
「どうかな、僕の秘奥義“愛(ラブ)・乱舞(らんぶ)”は?」
蒼空はどや顔を放ち、薄暗い倉庫に倒れる男たちを見下ろしながら美しく髪をかきあげた。
「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな?」
既に倉庫から離れた遼太郎は遠目から呟く。
「……って、アンタが逃げてどうすんの!?」
「いや、喧嘩に関しては俺専門外だし」
「……先輩、情けない」
「お前には言われたかねぇよ、木虎。最初から倉庫に近づいてすらいねぇだろ」
「あのねぇ、二人とも……」
一気に気が抜けた様子だったが、緋音はふととあることに気が付いた。
「そういえば、さ……瑞樹くんは?」
「まだ中じゃね?」
あっけらかんと答える遼太郎。
緋音は遼太郎の腕を掴み、体をくるっと倉庫の方へ向けて、
「アンタって人はァァァァァァッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!」
思いっきり怒鳴り込んだ。
「珠実、ちゃん……」
倉庫で一人取り残された瑞樹は、未だに現実を直視できていないまま傍観していた。
どうしたら良いか、困惑している。こうして騙された自分自身に腹が立つのも勿論だが、やはり彼女が騙していただなんていきなり言われても気持ちを切り替えることもできない。
砂臭い倉庫で男たちと蒼空が争う様を見ながら、ぐっと拳を握った。
「ホント、アンタってだらしないわよね。柔道部のエースだか何だか知らないけど、やっぱりビビっちゃってんの?」
傍らから珠実が煽ってきた。より一層、瑞樹の拳が強く握られる。
「やっぱり、こんなの間違っているよ……」
瑞樹は神妙な面持ちで、珠実に近寄った。
「……何が言いたいワケ?」
「今ならまだ間に合うよ。みんなにも謝ろう。あ、ほら、下駄箱に猫入れたのも黙っておくし、これ以上問題が大きくならないように……」
少し怪しい呂律で、瑞樹はたどたどしく諭した。
しかし珠実は目を細めたまま強く彼を睨みつける。
「はぁ? あんたに何が分かるのよ! 虐められっ子の毛虫野郎がッ!」
「た、珠実ちゃん……」
「謝れば分かってくれる? どうせ学校の連中なんてね、普段ちょっと勉強しておけばチヤホヤと褒めた癖して、ちょっと悪ふざけしただけで掌返したように推薦取り消して、人をゴミのような目で軽蔑するような奴らなのよッ! アンタだって良い子ちゃんしているけど、どうせそんなの上っ面だけなんでしょ!」
そんなことはない、と言い返したかったが、瑞樹は何故か言葉を詰まらせた。
反論できない自分にもどかしさを感じる。
――いや、ダメだ。
拳を一旦緩ませて、すぐに握りなおす。彼女をじっと睨みつけ、心から怒りを絞りだしていく。自分を反省する暇はない。ここで彼女を許すことは自分を許さないことに等しい。瑞樹はそう自分に言い聞かせた。
「何、その顔? いっちょまえなことしてくれてんじゃん」
「僕は……」
また言葉を詰まらせそうになるが、すぐに首を横に振る。
「僕を騙そうとしただけじゃなくて、お父さんまで巻き込もうとした君を、許さない」
「ていうか、アンタの父親のほうが元々のターゲットなんだけど、まぁいいわ」
そういって、彼女は瑞樹にゆっくりと近づく。
その瞬間、彼の首元が鈍く光った。倉庫の窓から差し込む光が、彼の首筋に当てられた何かを照らしていった。
瑞樹はゆっくりと首元に目線を逸らす。
これは、ナイフ――?
「もうさ、アンタの顔見ているだけでムカつくから、いっそ死んで」
彼女の目は本気だった。これまで優しいと信じていた少女のものとは思えない、冷徹さを感じた。
流石にこれ以上言葉は出ない。
久しぶりに、いや、今までに感じたことのない恐怖だった。強くなったと思った自分でも、本当に命の危険を感じたことは初めてだ。
「や、やめ……」
恐怖に怯える瑞樹に屈することもなく、珠実は手に持ったナイフを振りかざした。
――死ぬのかな、僕。
恐怖に胸が押しつぶされそうになり、瑞樹はぎゅっと目を閉じた。
瞬時に、少し擦れたような音が聞こえる。
「いってぇ、なぁ……」
どこからともなく声が聞こえた。いや、すぐ近く――自分のすぐ前だ。
痛みはない。どこかを怪我しているような感覚もない。
不思議な現象を理解すべく、瑞樹は恐る恐る目を開けた。
「大丈夫、か……。瑞樹……」
その人物は、ナイフで切りつけられた左腕を右手で押さえながら、瑞樹の前に立っていた。いや、庇っていたといった方がいいか。
しかも、そこにいた人物は――。
「か、香織、ちゃん……」
血が滴る左腕の痛みを堪えながら、平沼香織が瑞樹の目の前で珠実を睨みつけていた。
「ったく、やっぱお前は弱虫、だな……」
そういいながら、彼女は瑞樹に目を向ける。
その瞳は、今まで瑞樹を虐めていたときとは全く違う、誰よりも優しい瞳だった――
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