7話 「信じられないけど……」
翌日、金曜日。昨日の大雨は一体何だったのかと言いたくなるほど空が澄み渡っていた。
にも関わらず、緋音の心は曇ったままだった。授業中もひたすらため息と欠伸を繰り返し、ほとんど身には入っていない。
憂鬱な理由は二つ。今日が恋愛許可の期限ということ、そして昨日の遼太郎に対して自分がしてしまったこと。
――やっちゃったな、はぁ……。
とにかく昨日の出来事がまだ心の中に残っている。ちなみに当の遼太郎は、いつものように虚ろな瞳で授業をボーッと聞いているようだった。真面目にやる気がるのか、と少し憤りさえ感じた。
あれから遼太郎とは会話していない。
「それじゃあ皆さん、さようなら。月曜日にまた会いましょうね」
モヤモヤした気持ちを抱いているうちに、帰りのホームルームが終わった。土日の休みを謳歌しようと生徒たちが和気藹々となっているのが心底うらやましかった。
――これから、どうしようかな?
瑞樹の件もそうだが、まず昨日のことを謝らなければ。うん、それがいい。
緋音は深く息を吸って、遼太郎のほうをじっと見つめた。
「おい、雀部」
「ひゃいっ!」
思わず緋音から素っ頓狂な声が出た。
「な、なんだよ……」
「あ、いや、その……」
緋音はごくりと唾を飲み込んだ。
「昨日は、ごめんね……。その、叩いちゃって……」
「あ、あぁ。悪かったな、俺の方こそ……。いや、お前に謝ってもしょうがないんだけど」
緋音は目を丸くした。いつもぶっきらぼうな遼太郎が、珍しく素直に謝った。
しばらく二人は沈黙したまま見つめ合う。
「あ、それで、ね……」
「分かってる。瑞樹のこと、だろ?」
緋音はほっと胸を撫でおろした。心配事の一つはどうやら解決した、と思った。
遼太郎は少し真面目な表情になり、緋音もそれに応じて真面目な表情へと変えた。
「もう放課後、だよね……。灰場君はどうするつもり?」
「あと少し、だ……」
えっ? と、緋音は首を傾げる。
「俺の中でほぼ答えは出ている。だが、あと少し、材料が足りない」
「まさか……」
「あぁ。瑞樹の恋愛の処遇も、あの嫌がらせの犯人もほとんど目星は付いている。後はどうするか、今日中に考えるが……」
緋音は自分が誤解していたと反省した。
今日一日、彼もまたずっと考えていたのだ。ボーッとしているようで、彼なりに答えを見つけようとしていたのだ。
「分かったよ、灰場君。私はその答えを信じるから」
「ったく、お前って奴は……」
と、二人が向き合ったまま沈黙するのも束の間。
突然、遼太郎のスマホから無機質な着信音が鳴り響いた。誰だよ、と彼はしぶしぶスマホを取り出す。
「はい、もしもし」
『やぁ、ハニー。ご機嫌いかがかな?』
プツッ、と瞬時に彼は着信を切る。
もう一度、着信音が鳴り響き、遼太郎は先ほどより目を吊り上がらせて電話に出た。
『酷いじゃないか、大事な話なのに』
電話の先から、蒼空の舐めきったような声が聞こえる。
「あー、ごめぇん。間違い電話かと思ってねぇ」
『“灰場”の“は”を取って“ハニー”なんだが、不服かい?』
「二度とその呼び名で呼ぶな。で、何だ?」
淡々と電話に塩対応をする遼太郎。
『あぁ。それなんだが、至急保健室まで来てくれないか?』
「保健室?」
『ちょっとね。少しマズいことになったみたいで……』
下校しようとする生徒たちを押しのけ、遼太郎と緋音は廊下を走って保健室へと向かった。途中先生たちに怒られそうな場面も何度かあったが、完全に無視して横を通り過ぎた。
「おい、一体……」
中にいたのは蒼空とアルバニア。そして、ベッドに座りながら足首に包帯を巻いている香織だった。
「香織ちゃん、どうしたの? その怪我は一体……」
香織は俯いたまま黙り込んだ。
「先ほど、校門の外でバイクの男が彼女を襲ったようだ。幸い、僕が近くを通りかかったから助けに入ったんだ。まぁ、恥ずかしながらすぐに逃げられてしまったがね。とりあえず彼女を手当てするために中に運んだわけだ、“お姫様抱っこ”でね」
代わりに答えたのは蒼空だった。やけに「お姫様抱っこ」を強調している気がしないがその点は無視しておいた。
「バイクの男だと?」
「顔は見えなかったよ。ヘルメットで隠していたからね」
「じゃあ、その怪我も男に襲われたから……」
緋音が尋ねると、黙り込んだ香織が強く首を横に振った。
「いや、そうじゃなくて……。確かに襲われそうにはなったけど、これは逃げようとした奴を追いかけようとして転んだだけだから。大したことはない」
「とはいえ、レディーの怪我を見過ごしてはいられなかったから“お姫様抱っこ”でここまで運んできたわけなんだよ」
「それはもういいから」
蒼空にやや呆れながらも、遼太郎は話を続ける。
「……襲った奴に心当たりは?」
そう尋ねると、再び香織は俯いて黙り込む。
「しょうがない。質問を変えるか」
「変えるって?」
遼太郎は香織の目線までしゃがみ込んで、じっと彼女の瞳を見つめた。
「……瑞樹は、今どこにいる?」
遼太郎が尋ねると、香織の顔がぎくり、と強張った。
「そういえば、瑞樹君今日は見ていないね?」
「……てない」
誰かがぼそりと呟いた。香織ではない。
「……森山君、今日は学校に来ていない」
アルバニアが淡々と呟いていた。
香織の顔が余計に険しくなっていく。
――やはりそうか。
遼太郎が次第に焦燥に駆られ始めた。悪い予感が的中していないことをひたすら願った。
「平沼、お前やっぱり何か知っているんだな」
「……あぁ」
香織もようやく観念した様子を見せる。
「香織ちゃん、正直に話して。何でもいいから、知っていることを教えて欲しい」
真摯な目つきで緋音も訴えかける。
「……実はさ、アタシ見てたんだ」
香織があらゆる感情を捨てたような声で話し始めた。
「見てたって、何を?」
「昨日、アイツが……瑞樹の下駄箱に何か入れていたところを」
一同が目を丸くした。
間違いない、と遼太郎は確信した。彼女の言う「アイツ」こそが犯人だ。
「アイツって誰?」
緋音が尋ねると、香織はぼそりとその名前を呟いた。
それを聞いた瞬間、緋音は信じられないという顔つきになった。
「でも、一体何故あの人がそんなことを?」
「……これ、見て」
アルバニアが話を遮って、スマホの画面を見せてきた。
「ん?」
遼太郎が覗き込むと、そこ書かれていた一文は、
『コーヒーにガムシロ入れてる男って何なん?』
やたら見覚えがあった。
「って、これこないだのSNSじゃねぇかッ!」
どういうわけか、アルバニアはこの間恋愛を却下した生徒のSNSを見せてきた。
「そうじゃなくて……もっと下」
言われてしぶしぶSNSを下にスライドさせていくと、別で気になる投稿があった。
そこには数人の男女、それも髪を染めたり刺青を入れたような非常に柄の悪そうな連中が数人たむろしている画像が貼られていた。
何より恐ろしかったのが、その面々は停まっているパトカーの屋根に乗っかっていた。意図は不明だがふざけてやっているのは分かる。だが、どう考えてもはっきり言って呆れて物も言えないようなものだった。
「これって……」
どうやらその生徒自身の投稿ではなく、別の人物が投稿したものをご丁寧にスクショして貼り付けたもののようだ。
「……元の投稿は既に消されていたから、見つけるのに苦労した」
「なるほど……ようやく見つかったぜ。ご苦労な」
遼太郎はスマホを何度も凝視する。
と、横から香織が画面を覗き込んだ。
「あぁ! このバイク……」
画面の連中が乗っているパトカーの傍らに一台の黒いバイクが停まっているのが見える。
「どうした?」
「さっきアタシを襲った奴が乗っていたのと一緒だッ!」
「それ、本当か?」
「間違いない。バイクの機種もナンバーも一緒だった」
――やっと、確信が持てた。
「何か分かったのかい?」
「あぁ。やはり俺の推理は間違っていないようだ。さっき香織が言ったのも予想通りだったぜ。んで、どうしてこんなことをしたのか、その動機もおおよそ見えてきた」
眉を顰めて、遼太郎は急いで立ち上がった。
同時に、彼のスマホに着信が響き、すぐさま電話に出る。
「もしもし? あぁ、先輩。そっちはどうですか? えぇ、やっぱり……。場所は分かっているんですね。了解です。すぐに向かいます」
すぐにスマホを切り、遼太郎は首をクイッと動かした。
「……えっと、灰場君? 一体、どうなっているの?」
「その画像、よく見てみろ。隅っこの方」
緋音は言われるがまま、画像と睨めっこした。
数秒後、彼女はそこに恐ろしいものを見つけた。まさか、と信じられないようなものがそこにあった。
「灰場君、これって……」
「急がねぇと、瑞樹が危ない」
ようやく、遼太郎の焦燥感がその場にいる全員に伝わった。
未だに信じられないような光景だったが、そのSNSの投稿が全てを物語っている。
「やれやれ。僕も行くしかないみたいだね」
「わ、私も行くよ」
「あぁ。あと、木虎はここに残って連絡を頼む」
アルバニアはグッと親指を立てた。
「しかし、森山君の恋愛審査がまさかここまでなってしまうとは、僕も信じられないな」
「私も……だけど、今は……」
唾を大きく呑み込み、皆が心を揃えて頷いた。
「森山瑞樹の恋愛審査、いよいよ大詰めだぜ。ここまで来たらとことん白黒はっきり付けてやろうじゃねぇか!」
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