2話 「お前ら仕事しろ」
「えー、では恋愛審査委員会の緊急ミーティングを始めます」
重々しい口調とは裏腹に、室内は全くと言っていいほど緊張感が漂っていなかった。
ただ一人、真剣な表情で緋音は腕組をしながら面々を一瞥する。コの字型に並べられた机には緋音を含めて四人が座っている。議長席に遼太郎と緋音、そして二人から見て左右それぞれに一人ずつ。
「では、委員長。議題を」
偉そうな物言いで緋音が進行していく。
「えっと、今週中に許可通せとのことです。以上」
「ざっくりしすぎ!」
やる気が微塵も見られない遼太郎に、緋音は立腹した。
「他に何かあるのか?」
「あるでしょ! まず、現状の問題について!」
「問題、ねぇ……」
遼太郎は椅子を後ろに倒しながら欠伸混じりに考える。
「付き合うに値しない連中ばかりなのが一番の問題だな」
「それがダメなの! 思考停止するな!」
「いやぁ、俺だってちゃんと考えているんだけどな……」
「ひとつ、いいかな?」
緋音から見て左側に座っている生徒が手を挙げた。
淡い水色の髪を後ろで縛り、学ランを着こなしながら凛と澄ました顔つきの生徒。少年のようなハスキーボイスで不敵に笑う様を見ると、女子生徒から人気が高いと評されるのも納得がいく。だが、少し目を凝らせば“彼女”に胸の膨らみがあることは容易にわかる。このままどこかの歌劇団でトップスターにでも君臨しそうだと、遼太郎は最初出会った際に思ったほどである。
「えっと、はい。
「先ほどの説明だけだと良く分からなかったから詳しく話してくれないかな」
当然の反応だった。
「早い話、俺たちが仕事していないと思われているせいで、また恋愛禁止に戻しますよって話が出ているそうだ」
「なるほど、そういうことだったのですね」
緋音から見て右側に座っている女子生徒が答えた。
しなやかな長い黒髪を両側に結び、静かに垂らしている。少し吊り上がった目は細く、あまり瞳は見えない。制服である紺色のセーラー服には、手首や襟に黒いフリルをあしらうという独自の改造を施してある。
「ていうか、ひとつだけ言わせてくれ」
「はい、何でしょうか?」
落ち着いた物腰で黒髪の女子生徒が答えた。
「俺の気のせいか知らんけど、これまでに来ている申請の九割九分を俺が担当しているように感じるんだが……。アンタら仕事しているのか?」
珍しくこめかみに力を入れて遼太郎が言った。
「すまない、僕も本当ならば力になりたいんだ……。けど、現時点で僕の専門が役に立ちそうな件が出てこなくてね」
「お前の専門って、確か……」
「同性同士の恋愛」
そうだった、と遼太郎は頭を抱えた。
「何だい? 今更そういうのを否定するのかい?」
「いや、そうじゃない……。俺はそういうのを否定する気はない、否定する気はないが……頼むから、他の件も仕事してくれ」
か細い声で遼太郎は本音を晒した。
このボーイッシュを極めたような少女の名は
「一応何件か担当しようとは思ったんだけどね。どれも女の子が勝手に僕の名前を書いていたものだったから流石に認められなかったんだよ。可愛い子だったから勿体なかったけど、仕事だからね。全ては僕の美しさが悪いのさ」
「黙れナルシスト」
「失敬なッ! この美しい僕をナルシスト呼ばわりかッ!」
「ツッコまねぇぞ!」
完全にペースに巻き込まれそうだったので、遼太郎は一呼吸置いて傍らに置いてあるペットボトルのお茶を飲んだ。
「そういえばこの間わたくしが担当した件、そちらはどうなりましたか?」
今度は黒髪の女子生徒のほうが尋ねた。
「あぁ。
「そうですか、三谷さんは良い方なのですが……」
「川添先生、どうもヤバい連中とつるんでいるみたいなんでね。既に裏は取ってありますよ」
「残念です……」
大体の事情を察したのか、彼女も肩を落とした。
「でも
「いえ、教師でなくとも、例えば小学生くらいの方と恋愛しているような方いらっしゃらないのですか?」
「アンタと一緒にするなッ!」
またもや遼太郎は頭が痛くなった。
この黒髪の女子生徒は
遼太郎はもう一口お茶を飲んで、この偏った面々を眺める。
蒼空にしろ闇樹にしろ、同性や歳の差という少々特殊なケースにおいて相談に乗れるという点では有難い。とはいえ、委員に来る案件のほとんどが生徒同士の男女の恋愛なので、出番は正直雀の涙ほどしかない。
そして隣にいる自称副委員長はといえば、
「本当にねぇ。こればかりは灰場君に同意だよ。二人がもっと仕事を手伝ってくれれば、私たちの負担も減る……」
「“私たち”じゃねぇよ。ほとんど俺がやってんだろうが、この役立たず!」
遼太郎は拳を緋音のこめかみに当ててグリグリと回す。
「痛いって! わたっ、私だって、ちゃんと仕事してるじゃん!」
「お前は放っておくとすぐ全部許可するからな! ちったぁ何のための恋愛審査委員会か考えろ!」
「私はねぇ、恋する女の子の味方なの! 折角理想の王子様が迎えに来てくれた女の子を恋愛禁止なんていう鉄の掟で縛り付けたくないの!」
緋音は胸に手を当て、まるで神に祈りでも捧げるかのように語りだした。
「あ? お前もしかして、白馬の王子様とか、そういうUMAの類を信じている系?」
「悪い? ねぇ、悪い!? あと白馬の王子様はUMAじゃないからね!」
顔を紅潮させ、目を吊り上がらせながら緋音は怒った。
「まぁそれはいいとして。そういえば、このミーティングをサボってるアイツはどうした?」
遼太郎は向かいの空いている席に目を向ける。
「
「仕事、ねぇ」
――感心感心、というわけにはいかない。
席に座っていないもう一人の委員は、部屋の隅っこで静かに座っていた。銀色の長い髪を根本から両サイドに結んだ、いわゆるツインテールがしなやかに垂れており、少々挙動不審気味に小刻みに揺れている。
隣には小太りの男子生徒が真剣な表情で座っているが、決して恋人同士などではないことは明白だった。
「えっと、僕は、その、
一見すると真面目な恋愛相談だ、と思ったらそれは間違いだ。
「……体力」
「え?」
「……序盤は学力のパラメーターを優先しないと進まないけど、秋ごろに体力を上げておかないと発生しないイベントがあるから。それが攻略の必須イベント」
「そ、そうだったんだ……。盲点だったよ、ありがとう!」
手に持っている携帯ゲーム機を静かに動かす男子生徒。数分後、彼の顔が一層明るくなり、そのままもう一度「ありがとう」とだけ言いながらぺこりと浅いお辞儀をして部屋を出ていった。
女子生徒はぐっと親指を立てながら、彼を黙って見送った。
「先輩……恋愛成立、です」
「なるかっ!」
半分泣きたい気持ちを抑えながら遼太郎が叫んだ。
この少女、
特に、彼女の場合、その“専門”が厄介なのだ。
「大体、お前は仕事だとか言って、やっていることは全部ギャルゲーの攻略法教えてるだけだろ!」
「……乙女ゲームも、です」
「一緒だッ!」
遼太郎が怒鳴ると、アルバニアは視線を下に向けてしょげる。
「……前にも言いましたが、先輩。私は、現実の恋に興味はないのです……」
「何でお前この委員会に入ったんだよ……」
アルバニアは遼太郎より後輩の一年であり、母親がイタリア人だったと聞いたことがある。父親は日本人で、どこか大手のゲーム会社の社長らしい。その影響だとは思いたくはないが、彼女の専門分野が“別次元の恋”だそうだ。
もう嫌、と思いながら遼太郎は一気にお茶を飲みほした。
「というわけで、結論は出たな。恋愛禁止に戻そう」
「それだけはダメえええええぇぇえッ!」
大声を挙げながら緋音が遼太郎の胸倉を掴んだ。
「でもなぁ、現状これじゃあ恋愛どころじゃないしな」
「前から言おうと思っていたけど、人の事あーだこーだ言っている割に灰場君が一番やる気ないよね!」
「まぁ、否定はできないけど、肯定もしないかな?」
「何でこんな人が委員長なの……」
遼太郎は少し俯き、頭のヘアバンドを弾きながら空を仰いだ。
「あのオッサンに頼まれちゃ仕方ないからな。色々と世話にもなったし」
「オッサン?」
「うちの邪気眼理事長のことだよ」
あぁ、と緋音は頷いた。始業式で挨拶をしたあの眼帯長髪マント男が脳裏に浮かぶ。
「世話になったって?」
「……まぁ、色々と、な」
遼太郎の物憂げな顔が心に引っかかったのか、緋音は少し顔を顰めた。
「どうやら委員長のことが気になるようだね?」
蒼空が緋音の耳元でそっと囁き、緋音はびくっと体を震わせた。
「あ、うん……知っているの?」
「少しだけ、ね。ただ、これは僕の口からは話したくはないんだ。いずれ彼自身の口から話すこともあるだろうから、それまでは待ってあげてほしい」
「えっと、それって――」
「あの、失礼します……」
部屋のドアが開き、小柄な少年が静かに入ってきた。
同世代の男子と比べても色白で、背もかなり低い。天然であろう茶髪は短いもののふわりとしており、まつげも長い。
「あ、僕、一年C組の
そういって瑞樹は鞄を漁り、一枚の書類を出す。
「……森山君」
「一年生ってことはアルバニアちゃんの知り合い?」
アルバニアはこくりと頷いた。
「一年C組、選択科目は家庭科。部活は柔道部で、華奢な見かけからは想像もつかないけど柔道二段で黒帯持ち。成績はそれなりに優秀。好きな食べ物はカステラ。お父さんは警察の警部で、お母さんは専業主婦。その可愛らしい容姿から女の子たちからの人気も高くて……女装したら似合いそうな暫定男子ナンバー1」
「女装……」
蒼空と闇樹がまじまじと眺める。
「アリかな?」
「アリですわね……」
どうやら二人の意見が一致したようだ。
「あのさ、君ら少し黙ってくれない?」
遼太郎は唖然としている瑞樹を席に座らせ、対面で彼が提出した書類をじっと眺めた。
瑞樹は緊張気味に構えているのか、肩を震わせ、神妙な面持ちでこちらを見ている。時折唾をごくりと飲む音が聞こえてくるほどだ。
「なるほどね、お相手は
「ひ、人聞きの悪いこと言わないでください! ひとつしか違わないじゃないですか!」
力強く反論する瑞樹。顔を赤く染める姿はどことなく可愛らしく感じた。
そんな彼らのやりとりを緋音は静かに見つめていた。できることなら彼の恋を許可して、恋愛解禁を続行させたい。恋愛審査委員会の信頼が失われつつある今、ここで決めてしまいたい。
しばらく長い沈黙が続いた。
――あれ?
緋音は気付いた。遼太郎が真剣な目になっている?
やる気のないと思っていた彼が、いつになく目を見開いていた。いつもなら即却下と叩きつけるところを、彼は瞬き一つせずに数分間穴が開くほど書類を読んでいる。
しばらくして、遼太郎が申請書をそっと机に置いた。
「……今週中だ」
「えっ?」
きょとんとした顔で、瑞樹は顔を見上げた。
「今週一杯……金曜日まで待ってくれ。そこで結論を出す」
「……あ、はい。それじゃあよろしくお願いします」
瑞樹は肩の力を抜き、ゆっくり呼吸を整えた。戸惑いは隠せなかったが、瑞樹の緊張は大分和らいだようだ。
――スイッチ、入っちゃった?
遼太郎がここまで委員会の仕事に意欲的なのは初めて見た。どういうわけかは知らないが、この恋愛は絶対通したい。緋音はそう考えた。
この恋愛が、少々厄介な事件に巻き込まれるきっかけになるとは、この時はまだ誰も知る由もなかった。
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