1章 恋愛とか赤い糸とか

1話 「恋愛は却下です」

「畑中のおっちゃん。このゴミもよろしく」

 やや気の抜けた声を出しながら、灰場 遼太郎はゴミを地面に置いた。

「あいよ。遼ちゃん、今日も忙しいねぇ」

 用務員の畑中はたなか隆三りゅうぞうがにこやかに対応する。

 もうすぐ還暦を迎える彼は用務員歴を四十年ほどこなしており、温厚な風貌から生徒たちの信頼は非常に厚い。

「悪いね、毎日こうゴミが多くてさ」

「いいよいいよ。恋愛なんとか委員会の仕事頑張っとるかい?」

「恋愛審査委員会な。一応、ボチボチってところかなぁ」

 少々上の空気味に目を泳がせながら遼太郎は返事をした。

「ははは。君の噂は聞いているよ、色々とね」

「あぁ。聞くのが怖いんで聞かないことにしますわ」

 そういいながら、畑中は遼太郎の持ってきたゴミ袋を手に取った。全部軽い紙屑のゴミだ。

「しかし随分とゴミ多いね。見たところシュレッダー屑みたいだけど、職員室でもここまでたまらないよ」

「いやぁ、余分な書類が多くて、あはは……」

 頭を掻きながら、遼太郎はあからさまに視線を逸らして後ずさりした。

「それじゃあ、またよろしく」

「あ、あぁ……」

 どうにも煮え切らない様子の少年を見送った後、畑中はゴミを運ぶ作業に戻った。

 もちろんその少年の態度にどこか引っかかるものはあったが、まぁいいか、と軽い気持ちで流すことにした。


 遼太郎が廊下を歩いていると、どことなく視線を感じた。

 参ったなぁ、と彼はまたもや頭を掻き、なるべく視線を合わせないようにやりすごしていく。

 その視線の数は無数というには少ないが、決して数えるのが楽ではない。というよりも、廊下にいる生徒の過半数が彼を見つめていた。

 鋭い視線、冷ややかな視線、重い視線――そのどれもが決して彼を好意的には見ていない。それに関しては遼太郎自身も自覚している。

 あの始業式の挨拶から、この学校の生徒たちが彼を見る目つきが変わった。

 それまでただの地味な生徒だった彼が、悪い意味で有名人となったのは明白だ。正直居心地が大分悪くなったともいえる。

 少し早足でしばらく進み、三階の隅にある部屋まで辿り着いたところで足を止めた。

 プレートには「恋愛審査委員室」と書かれている。元々は空き教室だったのだが、恋愛審査委員会が発足してから当てがわれたものだ。

「で、荒川あらかわ先輩とはどうなの?」

 遼太郎が開けようとした瞬間、部屋の中から女子生徒の声が聞こえた。

「やっぱり思っていた通りのいい人だったよ! こないだのデートだって上手くいったし」

「デートって、映画だっけ? 面白かった?」

「うん! 主演の松中まつなか君カッコよすぎたよ! 草食系な感じかと思ったら凄い渋くなっててびっくりしてさぁ」

「もう、松中君よりも先輩の話してよ!」

「そうそう、先輩も映画面白いって言ってた! ご飯も奢ってくれたし、ネックレスまでプレゼントしてくれたし」

 完全に女子の会話をしている二人。おそらく付き合っているであろう先輩の話をしている方は、まったく知らないが、彼女と会話しているもう一人は良く知っている。

 遼太郎と同じクラスの少女だ。名前は雀部ささべ緋音あかねといったか。赤いショートヘアで、髪の左側に羽の形をした白いヘアアクセサリーを着けている。クラスでは比較的明るくて人気者なのだが、遼太郎にしてみればそれ以上の印象はなかった。同じ恋愛審査委員会の役職に就くまでは。

「そっか、なんかいい感じだね!」

「だからさ、緋音。友達のよしみで審査のほうお願いできないかな? だってさ、ほら、委員長ってなんか厳しいみたいだって聞いたから……」

「あぁ、大丈夫大丈夫。この緋音ちゃんに任せて。こんなのハンコ押すだけで……」

 そう言いかけたとき、緋音と呼ばれた少女の頭がポコンと音を立てて叩かれた。

「仕事しているかと思ったら、何お前女子高生みたいな会話してんの?」

 丸めた書類の束を手に、遼太郎が呆れた表情で佇んでいた。

「女子高生だよ! それに仕事してるから! ていうか人の頭叩かないでよ!」

「いや、どうせこれ処分する書類だしな」

「ふざけないで!」

 彼女はあからさまに怒っていた。目を鋭く尖らせてこちらを睨み、怒号を浴びせるも遼太郎は相変わらず気だるそうな顔つきのままだった。

「つーわけで、えっと、2年A組のさかきさんだっけ?」

「え、うん……」

 榊と呼ばれた女子生徒は戸惑いながら返事をする。

「えっとね、君の恋愛だけど」

「はい……」

「却下」

 あっけらかんと言い放つ遼太郎に、緋音と榊は目を丸くした。

「ちょっと、灰場君! いくらなんでもあんまりじゃない!? 大体ね……」

 これには流石に緋音も憤りを隠せなかった。

「……どういうこと?」

 榊はおどおどと尋ねる。

「あぁ。色々と理由はあるんだけどね、まずそのネックレス。荒川先輩ってリサイクルショップでバイトしているんだけど、それ売れ残りみたいなんだよねぇ。試しにそれと同じ奴を別のところで買って売りに行ったら全然値がつかなかったし」

「それは……それだけの理由?」

「他にも色々あるけどね。君自身にも、ね。えっと、これか。『コーヒーにガムシロ入れてる男って何なん? 男だったら普通ブラックっしょ。甘党とかマジありえねーし』だっけ?」

 遼太郎がスマホを見ながら淡々と言い放つと、榊はビクリと肩を震わせた。

「SNSに色々メチャクチャなこと書き込んでるよね、君。甘党の男、ていうか男全般ディスりすぎ。言っておくけど、荒川先輩ってコーヒーに砂糖六つも入れるぐらい甘党だぞ」

「そ、それは……」

 次第に榊の額から冷や汗が垂れてくる。

「そんな理由で、ダメだっていうの? 私だって、荒川先輩に告白するのに、どれだけ勇気出したのか、あなたには……」

「あー。そいつは申し訳なかった。ごめんね」

 そういって、遼太郎は持っていた書類の束を捲った。

「だけど、ひとつ残念なお知らせ。実は荒川先輩の恋愛届け、既に出ているんだよね」

 遼太郎は書類を一枚見せた。

 それを見た途端、二人は息が詰まった。

「ただし、相手は君じゃなくて別の女子生徒だけどな」

 最早榊は言葉が出てこない。何度も嗚咽を漏らし、しまいには涙があふれていた。

 信じられない、と思い書類を穴が開くほど見つめた。確かにそこには荒川先輩の名前と、どこの馬の骨とも知れない女子生徒の名前が書いてある。

「以上の理由より、お二人の恋愛は認めません」

「灰場君」

 緋音の声が唐突に聞こえた。

「榊さん、もう出て行ったよ」

「ありゃりゃ……」

 既に姿が消えた榊のことを思いながら、遼太郎は頬をポリポリと掻いた。

 どうしようかな、と迷った末、彼はとりあえずと手にした書類を傍らのシュレッダーに一枚ずつ流した。

「ありゃりゃ、じゃないッ! なんでこう何度も難癖つけて恋愛を不許可にしているわけ!?」

「難癖じゃねぇだろ。俺たちは恋愛審査委員会なんだから、きちんと吟味してだな……」

「だからってここまでする必要ないでしょ! 大体ね、今まで五十件ぐらい届けが出てるのに、何件許可されたと思ってるの!?」

「ゼロ」

 遼太郎は淡々と答える。

「だよね! いつもいつもあーだこーだ言って、灰場君が不許可にしてるから! おかげで私まで皆から睨まれているんだからね!」

「だってお前に任せると全部許可通しそうだしな」

「それの何が悪いの!? これじゃあ何のために去年恋愛解禁の署名運動やったのやら……」

 緋音は頭を抱えた。

「署名運動?」

 そういえば、と遼太郎は思い出した。確かに昨年の秋頃だったか、校門の前で数人の生徒たちが頭に“恋愛解禁”と書かれた鉢巻を着けて署名運動をやっていたような記憶がある。遼太郎は完全に無言で通り過ぎたが。

「そうだよ! 灰場君、あの時クラスで署名に協力してって言っても無視してたよね?」

「あったなぁ。そういえばお前去年も同じクラスだっけ?」

「そこから忘れてるの!?」

 ますます緋音は頭を抱えた。

 教室では誰ともしゃべらず、比較的地味な存在の遼太郎だが、寧ろ自分のほうが忘れられていると思うと少々ショックだ。

 緋音が愕然としていると、部屋の扉が勢いよく開いた。

「失礼します」

 髪の長い女子生徒が部屋に入ってくる。背筋を伸ばし、黒縁の眼鏡を光らせる様はいかにも優等生といった風貌だ。

「あ、どうも。どなたでしたっけ?」

「灰場君、生徒会の鯉江こいえさんだよ」

 ああ、と頷いて遼太郎はポンと手を叩く。

「あ、それはそれは。汚いところですがどうぞ。雀部、お茶入れて」

「誰が入れるか!」

「お構いなく。それよりも、お話があります」

 二人のふざけたやり取りを遮り、鯉江はすぐさま席に着く。

 同級生とはいえ、成績優秀で雲の上の存在である彼女を見て、緋音は緊張感が走る。対して遼太郎は姿勢を崩したまま席に座り、相変わらず怠そうな顔をしている。

「単刀直入にいいます。恋愛審査委員会のこの有様は何なのですか?」

「有様といいますと?」

 彼女が明らかに怒っているのは読み取れる。しかし、遼太郎は怯えることもなく、瞳を虚ろにさせたままだった。それが更に彼女をいらつかせていく。

「今まで何人もの生徒が恋愛を通そうとしていきましたが、一週間経つ今でも恋愛を許可していないと聞きます。これでは一体何のために恋愛を解禁させたのか、と生徒や役員たちから苦情が来ています」

「全くもって同感です……」

 緋音がこっそり呟く。

「まぁ分かりますけどね、でもみんなして二股だの、危ない掲示板で知り合っただの、どうにも恋愛を認められない部分が多いわけで……」

「勿論一部の生徒たちにはそういったトラブルが伴っているでしょう。しかし、中には好みの違いや遠距離など些細な理由で不許可となった方々もいるそうですね。そこまで厳しく見る必要はないのでは?」

「つまり、俺たちの仕事に不満がある、と」

 遠慮する気配もなく、鯉江が頷く。

「恋愛解禁は生徒たちが勝ち取ったルールです。しかし、このままでは再び恋愛禁止に戻ってしまう可能性があります。いえ、役員たちの中にはそういった声も既に多数挙がっています。このままでいいと思いますか?」

「随分真面目ですね」

「あなたたちが不真面目すぎるんです」

「あ、ひょっとして……もしかして、だけど」

 遼太郎はニヤリと笑った。

「アンタも好きな人がいる、とか?」

「なッ!?」

 それまで崩さなかった鯉江の表情が、一気に紅潮した。

「そっか。それで恋愛禁止に戻るのを防ぎたいんですね。だったら書類持ってきてくださいな。まぁ、許可が通るかは別問題ですけど……」

「本っッッッッッ当ぅぅぅぅに、失礼な方ですね!」

 鯉江が勢いよく立ち上がり、遼太郎を睨みつけた。

「いいですか! 今週中ッ! 今週中に、一件でも許可を通さなければ、役員会議を開くとのことです! そうなれば、おそらく多数決で恋愛禁止に戻るでしょうね! そういうわけなので、絶対今週中に一件でも許可を通しなさい、以上ッ!」

 剣幕の如く怒り狂った後、机をバン! と叩いて鯉江はそそくさと出て行った。

 遼太郎と緋音は完全に呆気に取られながら、彼女が去っていく様を見届けるしかなかった。

「灰場君」

 長い沈黙の後、ようやく緋音が口を開いた。

「今日って何曜日だっけ?」

「火曜日、だった気がする」

 そういうと緋音は遼太郎をキッと睨みつけた。

「放課後、緊急ミーティングを開きます!」

「えぇ……。ってことは、アイツら呼ぶのかよ……」

 今ここには来ていない他の委員会メンバーのことを思うと、遼太郎も頭が痛くなる。

「呼ぶのッ! これは恋愛審査委員会『副委員長』としての命令ですッ!」

「お前、いつから副委員長になったんだよ……」

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