RED LINK ~恋愛審査委員会のお仕事~

和泉公也

プロローグ

「恋愛感情などに現を抜かす、愚かな人の子らよ……」

 男はくぐもった声を放ち、目前の者たちを見下ろした。

 長身長髪の瘦せこけた成りだが、彼の目線はどこか重く、皆は身体を強張らせてしまった。

「絆だの愛だの、実に下らぬ……そのようなまやかしの感情がそれほど大事だというか。かつてその感情によってどれほどの悲劇が繰り返されてきたか、貴様ら如きの脆弱な頭でも知っておろう」

 男は身に纏ったマントを翻した。その下からは黒光りしたスーツが現れる。

「だが、我輩は貴様らのその愚かさが実に気に入った。面白い。せいぜい、我輩を楽しませる道化となってくれたまえ」

「あの……」

 彼の背後で小さく声が聞こえた。

「貴様ら人類が己では扱えぬ感情に流され滅びゆく様を、我輩の酒の肴としよう」

「すみません……」

 また聞こえた。

「そして、聞け! 人の子らよ!」

「あなたこそ人の話を聞いてください」

 そこでようやく、男は振り返る。

「長々と演説なさっているところ申し訳ないのですが、そろそろ時間です」

「えっ……?」

 淡々と話す女性の言葉に、男は先ほどまでの緊張した面持ちを一気に崩した。

 女性はというと、凛とした面持ちを崩さずに前に歩み寄り、男が手にしていたマイクをさっと取った。

「そういうわけですので、これにて理事長の話を終了とさせていただきます」

「いや、あの……、勝手に終わらせないでくれる、天音あまねくん?」

「いいですよね、理事長?」

 女性は冷静に睨みつけた。

 理事長は口をぽかんと空けながら、完全に狼狽えた様子で冷や汗を拭った。

「すみません……。あの、まだ最後に大事なお話しが残っているので、その……、マイク、返してください」

「かしこまりました。時間も押しているので、手短にお願いいたします」

 そういって女性はすっとマイクを理事長に手渡し、先ほどの壇上での位置に戻った。

「クククッ、これは失敬」

 理事長が再び振り向くと、またもや先ほどまでのキャラクターに戻った。

 コホン、と咳払いを放ち、理事長は再び話を始める。

「これまで我が彩央さいおう学園は恋愛禁止となっていた。当然だ。恋愛など、愚図な貴様ら如きに扱える代物ではないからな」

 ロールプレイングゲームのラスボスを思い起こすかのような独特の演説。普通は理事長の挨拶などというものはどこの学校でも退屈な弁論をひたすら欠伸混じりに聞き流すものだが、彩央学園の理事長――茶谷垣内ちゃやがいと創世そうせいの挨拶は退屈さはない代わりに苦笑と呆然の感情に襲われる。二年生の生徒たちは大分慣れてはいるが、入学したばかりの一年生たちの間からはクスクスと小馬鹿にしたような笑い声さえ聞こえてきた。

 理事長はそんな笑い声さえも自らの賞賛と受け取って、不敵な笑みを浮かべて話を続けた。

「しかし、だ。先ほども申し上げたとおり、我輩は貴様らが恋愛に振り回されるその愚かさが実に気に入った! 実に興味深い! そこで、だ」

 少々空気が変わった。壇上を見上げる生徒たちは皆それに気が付いた。

「以前から申し出のあった恋愛禁止の校則を撤廃するとしよう! 我が彩央学園はこれより恋愛を解禁するものとする!」

 理事長はマントを大きく広げ、高らかに声を挙げた。

 生徒たちから、おおーっ、と次々に歓声が挙がる。

「おい、恋愛解禁だってよ。E組のサキちゃんと付き合えるってこと?」

「これでタカハシ先輩とこっそり密会しなくてすむよぉ……」

「お前ら、今夜は祝杯だ! 盛大に爆発しようぜリア充どもおおおおおおぉぉぉ!」

 今まで溜め込んでいた感情が間欠泉のように湧きあがり、生徒たちから大きな拍手喝采が鳴り響く。

 恋愛禁止、それはこれまで自由な校風の彩央学園の中で唯一といっていいほど不自由を象徴する校則であり、多感な学生たちには実に窮屈な思いを強いていたものだった。

 それが解禁されるとなれば、最早全てが自由なのだ。生徒たちはそう思った。

「クククッ、貴様らそれほどまでに嬉しいか……」

 生徒たちはうんうん、と頷いた。

「だが、安心するのはまだ早い」

 理事長は右目の眼帯を外し、両目で強く生徒たちを睨みつけた。

 空気が変わったかのように、生徒たちは一斉に黙りだした。

「全員が恋愛できるなどと甘い考えはもたぬことだな。貴様らの愚図な思考などお見通しよ」

「どういう意味だよ理事長!」

 生徒の一人が野次を飛ばした。

「なぁに。ただ恋愛を解禁するだけではいささかつまらぬと思ってな。貴様らが本当に真実の愛を持っているか確かめるための者を用意させてもらった」

 ――真実の愛?

 生徒の誰しもが首を傾げた。

「貴様らの恋愛を見定め、ふるいに掛ける存在、“恋愛審査委員会れんあいしんさいいんかい”を設けさせてもらう! 堂々と恋愛がしたければ、奴らの審査に合格することだな、愚かな人の子らよ」

「なんだよ、その恋愛審査委員会って!」

「その名の通り、貴様らの恋愛を見極める委員会だ。当然、不合格となれば恋愛なんぞ禁止となる。そのぐらいは分かるだろう?」

 生徒たちからはええっ、と不快な声が挙がった。

「そういうわけだ。まぁせいぜい合格することだな」

「あ、あのー」

 突如、間の抜けた男子生徒の声が講堂内に広がった。

 発した方向は生徒たちのいる座席ではなく、壇上の奥――理事長の真後ろだった。

「すみません。話が長くて足が疲れたんですけど、そろそろ出てきてもいいですか?」

「おっと、そうだったな。それではこれより、恋愛審査委員会の委員長、出てきてもらおう!」

 そういって、背後から理事長と入れ替わるように一人の男子生徒が歩み寄ってきた。

 制服の学ランを緩く着崩し、頭に白と黒のストライプ模様のヘアバンドが巻かれている。目はやる気なさそうにトロンと垂れており、何度か細かい欠伸を繰り返していた。

「えっと、すみません。ご紹介にあずかりました、えっと、二年C組の、その、恋愛審査委員長です」

 あからさまにぎこちなく挨拶をする男子生徒。

 ――この人なら安心だろう。

 恋愛審査委員会などと御大層な名前の機関だったのでどんな奴がいるのだろうか、と皆が心配していたが、彼の様子を見てほっと胸を撫でおろした。

「あ、そうそう。名前は灰場はいば遼太郎りょうたろうっていいます」

「では決意表明でもしてもらおうか、ミスター灰場」

「決意、決意……。いや、特にこれといって言うことはないんだけど……」

 あからさまに能天気な表情を浮かべて彼は思案していた。緊張感など微塵もない。

「えーっと、皆さんは恋愛したい気持ちみたいなものをいっぱい持っていると思いますが……」

 至って真面目な出だしだった。

 生徒たちは肩の力を緩め、無意識に静かに聞いた。

「俺、マジな恋っていうか、真実の恋って奴しか認めるつもりないんで、そこんところよろしくです」

 前言撤回。

 生徒たちが一斉に壇上の男子生徒に対して不信感を募らせた。


「恋愛審査委員長として、シビアにやりますんで! 本気でお願いしますよ!」

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