第10話 隠者の社 8:彩られる悪夢

――目を覚ます。

何にもない空間だった。

目を開いても閉じても同じ様な景色が広がっていた。

目を開けると眠っているようなランタンが一つ。こっそりと辺りを照らしている。

ただそれだけの違い。

薄い明りに照らされた鬱陶しい黒髪。存分に塗りたくられた目の隈。簡素な革素材のズボン。傷んだ上着。この寒さでは屋内でも自然と体は震える。

温かい夢を見た。見た事もない人と猫と。

気づけば頬に涙が伝っていた。いつぶりだろう。枯れた筈の瞳から零れた温かさを感じたのは。

でも夢は夢。僕の世界は何も変わってなど居ない。いつまで続くのだろう。

いつまで続けられるのだろう。


ガラ・・・ガララ・・・。


隠家の外から聞きなれない音が聞こえる。

腰にぶら下げたナイフに自然と手がかかる。

聞きなれていようがいまいが、この街には僕とアイツ等しかいない。

ここに居ては見つかるのも時間の問題だな。



物陰から覗く。珍しく今回は集団じゃない。一体だ。だが無視は出来ない。

これだけ永い事この街にいて初めて目にするタイプ。

サイズは普通の人型だが・・・何か違う。

一つ息を吐いた。

冷たい感覚に体が満たされる。

息を殺す。

心を殺す。

自分という存在を限りなく無機物に近づける。


――初撃。

背後から頸椎を狙う。






「――やはりっ!レベルが違いますっ!ね!」


ロノはクロの初撃を寸での所で躱した。木製の短刀が首元を掠める。

気配が全く感じられない。まるで何も無い所から短刀が飛んでくるかのように錯覚してしまう。

躱すと同時に反撃するが、剣は短刀の曲線に合わせて流れる様にいなされる。

二撃、三撃と容赦のない攻撃が襲い来る。


「ちょっと――やりすぎましたか。」


ロノは頬を伝う汗を拭う暇すらなく、辛うじてクロの攻撃に剣を弾く。

こちらの剣撃は全て紙一重で躱されるか、いなされる。

最小限の体力消耗で済む様な戦い方をされている。まるで遥か格下の剣士を相手にするかのように。


「そこら辺の王族近衛くらいは訳ない腕のはずなのですが・・・。少しへこみますね。」


焦りの笑みを浮かべる。


間違いなくこれは”一の扉”の力を応用している。

この世界を構成する全ての要素に必要な≪魔粒子≫。俗称≪ソル≫は本来、目に見えない。

全ての生物に内包される事から魔力と同一視される事も多いが、実際は魔術師の魔術に利用される様な、大気に漂うソルだけでなく、全ての物質や季節、運など世界の理の構成にも関わる。

どんなセンスに恵まれた魔術師だとしても感じることが出来る程度。

――だがクロはそれを確実に目視している。

正確には”一の扉”を開くことによって、ソルを従属化、目視可能にしているんでしょう。私の一挙手一投足から滲むソルの流れから予測して疑似的に”近未来視”を行っているのか。

本来、ネクロムのみが開く事の出来る≪八戒の扉≫の内、”一の扉”は自身の周囲にあるソルの従属化。場所によって偏るソルの属性を自分の魔術に用いりやすい属性に変換する際に使われる。

それをこの様な使い方・・・しかも本人は無自覚でしょう。

モルヴァがフィラメントを剥奪しない訳です。


「さて・・・開いたパンドラの箱をどうやって閉めましょうか――。」




――おかしい。

今まで一度たりともここまで強い奴はいなかった。

頸椎、腰椎、頭部、大腿骨――砕けば行動不能となる箇所への攻撃がことごとく弾かれる。

相手の行動もおかしい。

僕を殺しに来ていない?

相討ち覚悟の攻撃じゃない。

守る所は守る。攻める所は攻める。――知性がある?

そんな馬鹿な。相手は腐りきった体をした剣士。頭蓋骨も見えてるし、所々腐り落ちてる。

一度引くべきか?

いや、引く程の要素は無いはず。

無いはずなのになんだこの感覚。

戦っちゃいけない様な、罪悪感に似た感覚は。


「・・・ロ・・・。」


喋った!?

いや、聞き間違いだ。

呻き声を上げることはあっても、アイツ等が喋る事はなかった。


「く・・・・ロ・・・・。」


――!!

確実に喋っている。

この戦いの中、確実に知性を感じる音量、イントネーションで喋っている。

何なんだこいつ。

早く砕けてしまえ。潰れてしまえ。動かなくなってしまえ。


「ク・・・ロ・・・・・・・・クロ・・・・。」


クロ?

何だよクロって。

――やめろ!!

聞きたくない。殺してやる。お前らは生き物なんかじゃない。

殺してやる。


「クロ・・・ごめ・・・・んなさい・・。」


ガランっ・・・。

腐りきった剣士が剣を手放した。


くそっ!!何なんだ!!

お前らは違うんだ!僕は間違ってない!!生きる為にお前達を殺さなきゃいけないんだ!!

なんでいくら切っても倒れない!?

どうしてどこも壊れない!?


上昇した心拍数、気づけば上がった息。溢れた涙。

腐りきった剣士に抱きしめられた自分。

声を上げて泣いた。


色褪せた世界が落ちた涙の数だけ彩づいていく。

廃墟の世界はボロボロと構成を失い――。

大事に拾い集める様に、世界は再構築された。




「ごめんなさい。クロ。君を知る為に私にはこれしか――。」


泣き喚く僕を抱きしめる先生。

体の至る所が傷だらけ。立っているのもやっとの様でふらふらと力がない。

僕の額に雫が数滴落ちる。先生の表情はわからない。


「―――絶対に・・・許しません・・・・。」


僕がそう告げると先生はいつもの様にニコッと笑った。そして仰向けに倒れた。

僕も仰向けに倒れる。二人とも喘鳴がするほどに息を切らしていた。

長い静寂。

草原には西日が差し始めていた。


「いててて・・・。これは回復魔道具を自分で試せる機会ですね・・・。多分色々イっちゃってますから・・・今日はここまでにしましょうか・・・。」


先生が半分笑いながら上体を起こす。

呼吸が整い、ある程度顛末の予測がついた僕も体を起こした。

いつの間に居たのかエルマーが駆け寄ってくる。


「エルマー!今日の晩御飯は先生が腕によりをかけて作ってくれるって。贅沢の髄を尽くしてくれるってさ。」

「え、ちょっとクロ――」

「本当か!?今日は久しぶりにたっぷり魚が食えそうだな!!」


悪い顔をする僕とエルマー。

諦めるように短い溜息を吐いた先生。


「―――分かりました!今日は贅沢に行きましょう!!っとその前に・・・・傷の・・・手当・・・。」


再び倒れる先生。

笑う僕とエルマー。


絶対に許さなかった僕はその日。

先生の手当も程々に、贅沢な夕餉を皆で楽しめたのであった。

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