第3話 浮浪者の女

 宴もたけなわになったころ、カイバラが門真プロデューサーにサッと目配せをしました。


(もう終了でいいんじゃない?)


 カイバラの目はそう言いたげでした。

 門真が腕時計に視線を落としこくりと頷くと、


「ここらへんが潮時かな」


 と彼は舞台へ上がる為の木製階段に片足を掛けました。その時です。会場の奥の方からすっと手を挙げた者がいたのです。

 舞台上のカイバラが不意に顔を向けたのを見て、私も会場奥へと視線を動かしました。


「門真プロデューサーちょっと待ちたまえ。まだ対戦希望者がいるようだ」


 私は彼のスタッフジャンパーを引っ張り、舞台に上がる彼の動作を制したのです。

 群衆にまみれてよく見えませんでしたが、ひとりの女性が弱弱しく手を挙げていました。


 門真は渋面を作り、舞台上のカイバラをチラリと見ます。


「もう一戦くらい俺は全然構わないっすよ」


 王者の風格を漂わせ「おいでよ」と彼はその女性を手招きしたのです。


 群衆を掻き分けて舞台に上がった人間を見て私は驚きました。いやそこにいた誰もが驚いたと思います。


 肩よりも長く伸びた黒髪はボサボサな上、黒の衛生マスクを装着。身に着けているロングのワンピースはボロボロで、元が黒なのか白なのか分からないくらい色がくすんでいました。


 パンプスもかかとを潰してサンダルのように履いており、パタパタと私の前を通る時にはえたような臭いさえしました。ホラー映画に出てくる「貞子さだこ」みたいだと言えば、藤森さんにもイメージが伝わるでしょうか?


 門真が舌打ちをし、慌てて舞台上に駆け上がろうとします。


「おい、門真プロデューサー、どこに行く?」


「どこに行くってクズさん、あの女を舞台から引きずり下ろすんですよ。まさかホームレスが紛れ込んでいたとは思いもよらなかった。さすがはミナミの繁華街だけのことはある」


 自嘲気味にそう言うと、彼は私が掴んだ手を振りほどこうとしました。


「待て」私は彼の前に立ちふさがりました。


「なんや、今度の挑戦者はホームレスかいな!」

 飛び交った野次に会場にいた誰もが爆笑しました。年齢不詳の彼女は一見すると老女のホームレスのように思えました。


「だから待てって」


「どうしてです?」


 明らかに門真は苛立っていました。

 カイバラがファン交流によって挑戦者を軽く一蹴させてしまったことも、気を揉む要因だったのでしょう。加えてこのアクシデントです。


 しかし、私はいつになく慎重になって、


「ここで彼女を引きずり降ろせば、貧乏人にはゲームを試遊する権利すら無いのかと、叩かれる可能性がある。SNSなどで人権侵害だと拡散されたら一巻の終わりだ。それに見てみろ」


 私は近くにいたカメラマンたちに視線を動かします。


「このイベントにはメディアも数多く駆けつけている。事を穏便に済ませた方が賢明だと思うがどうだ?」


 小声ではあるが力強い口調に気圧けおされたのか、門真は「わかりました」とだけ言いました。


 私は掴んでいた彼の両肩を離すと、何食わぬ顔をして肩に付着していた糸くずをつまみ上げます。

 門真は私の肩越しに舞台上のカイバラへ指三本を立てたあと、人差し指と親指とで輪を作り彼に提示したのです。


「三〇秒で終わらせろ」


 おそらくそういう意味だったと思います。

 カイバラは微笑むと、ホームレス女の方に近づき握手を求めました。

 女はカイバラと握手を交わしたあと、彼から直接コントローラーを手渡されたのですが、彼女のそれの握り方を見て会場は再び爆笑をしたのです。


「とんだ挑戦者だけど興味を持ってくれたことはいちゲーマーとしてはとても嬉しいよ。ちなみに持ち方はね……こうだね」


 カイバラは逆手になっていたコントローラーを順手に持ち直させて、配置されているボタンの説明をひとつひとつ丁寧に行いました。


「カイバラさんに勝てば豪華な商品が貰えるんやでッ! それを売ったら今夜の飯の心配せんでもええなッ!」


 という野次に会場は大いに盛り上がりました。

 私の隣で大きなため息を吐いて頭を垂れるプロデューサーの顔が今でも忘れられません。

 とは言え中断させるわけにもいかず、無事平穏にイベントが終わることを願うより他はありません。


 舞台上の二人は肩を並べ大画面を見ながら、キャラクター選択へと移りました。


 カイバラはここでも【ヤマト】を選択。空手胴着を着た、筋肉ムキムキの男キャラクターです。


 一方、女はというと、説明を受けたにも関わらず(当然と言えば当然ですが)コントローラーの使い方が分からないようで悪戦苦闘していました。周囲がヒヤヒヤする中、ボタンの感触を確かめるようにカーソルを右往左往させながら、ようやく数ある中で一人のキャラを選択。


 中国暗殺武術の使い手【ファ・メイ】という女キャラクター。金のチャイナドレスに黒のガーターベルトを履いた、男性受けするセクシーなキャラです。 


 会場から「オーッ」という声が挙がりました。


「そうね。それが使い易いかもね」


 カイバラは優しく彼女に語り掛けました。


「ファ・メイ自体、さほど難しいコマンド入力は無いし、ボタンを連打すればコンボが自動的に派生するキャラクターだから、素人でもそこそこは使えると思うよ」


 アドバイスを聞いていたのかどうかは、黒髪とマスクのせいで彼女の表情が判別できませんでした。ただ、画面を見るために掻き上げた髪の隙間からほんの一瞬だけ、彼女の眼元が笑ったような気がしたのです。


【ファイティングスターズ】は二ラウンド先取した方が勝ちになります。


 ゲームステージは南国のビーチ。背景には広大な海と砂浜にヤシの木、画面奥にはビーチバレーを楽しんでいる若い男女が描画されていました。

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