第12話 彼の名は……


 情報収集をしてから、数時間が経過したエルグランデの外にて。

 現在、イズミとフォンテと燦斗の3人は名もなきレイ・ウォールの精神体を連れ、ある場所に向かっていた。


 その場所はフォンテ・アル・フェブルがまだエルグランデの住人として存在していた時代に使用され、『生きた願望器』と呼ばれていた幼子が閉じ込められていた場所。エルグランデという世界の中心部とも呼べる、中央諸島の神殿を彼らは目指していた。



「……本当に、行けばわかるんだろうな?」


「ええ。フォンテさんは記憶が無いので調査は少々難しいでしょうが、まあ、彼が一緒がいいと言うのでね。……もう1人ぐらいは連れてきても良かったのですが……」


「さす、流石に、ノエルを残しておかないと……あっちは、戦闘力が少なく、なる」


「そうですね。メル、リアも戦えるとは言え多人数で強襲された場合が危険です。ノエルさんを残したのは正解かもしれませんね」



 船で揺られながら、4人は中央諸島まで向かっているのだが……フォンテと名もなき彼は楽しそうにしているのに対し、イズミは船縁でぐったりとしていた。船酔い体質な彼は薬さえ飲めば大丈夫と思っていたようだが、どうやらガルムレイの海とエルグランデの海はかなりの違いがあったようで、表情が芳しくない。

 何度も何度も揺れる船縁を必死に掴んで、出来るだけ自分の内容物を出さないように抑え込み、遠くを見つめて頭の中を落ち着ける。ぐるぐると回るような視界を落ち着けながらも、イズミは必死で頭の中の船酔い対処法を試していた。



「……大丈夫です? 貴方って、そんなに船酔い酷かったんですっけ?」


「闇の種族化と同時に船が苦手になってんだよ、こっちはよおぉ……」


「あらまあ。ほら、船縁に背をくっつけて、足をしっかり伸ばして。それで少しは和らぎますよ」


「うおお……」



 どうしてこんなつらい目に合わなきゃならないのか?

 理由は、数時間前に遡る。





 《奇跡ミラークルム》の魔眼を持つレイ・ウォールの名もなき精神体。その彼が、フォンテのことを知りセクレト機関のことまで知っていることから、過去この世界に彼がいたことを示していた。

 しかし既にこの世界に居た『レイ・ウォール』という存在は昇華、アニチェート・ヘル・ウォールという名前を持って精神体へ転化している。そのため本来であれば、この世界で生きていたレイ・ウォールの存在は1つだけで、新たに別の精神体が現れることはない。


 何度も何度も調査を行ったが、名もなき彼のデータが変わることはなく。エミーリアもメルヒオールもチェックを繰り返していたが、お手上げといった様相を見せていた。



「リア、彼のデータは?」


「確認してみましたが、やはり既に転化している情報しかありません。2人目が降り立った情報は何処にも……」


「そうか。……しかし、転化したにしては同じ記憶なのが不思議だな……」


「はい。フォンテさんにやってもらったことを覚えてる辺り、やっぱり過去の彼なのは間違いないのですがー……」


「あー……その記憶がアニチェートから渡されたものとかか? うーん、わからん」



 燦斗は頭をガリガリとかいて、ちらりと名もなき彼に目を向ける。

 彼は終始フォンテに向けて昔の話をしているが、フォンテの顔はあまりわかっていない様子。それもそのはず、今のフォンテ・アル・フェブルは彼が話している内容の記憶が無いのだから。


 その事は彼にはきちんと伝えているが、それを分かっていてもフォンテのそばにいたいということで隣にいる。その隣にはノエルもいるが、気にすることなくずっとフォンテと会話をしていた。



「ね、ね、フォンテってまだ御飯作るの苦手?」


「あ? ……あー、いや、今は作れるけど……ってか、なんで?」


「だって、前は『メシ作るのこれがあるからいいや』って言って、《創造主クリエイター》でいろんな食べ物作ってたから。今は違うの?」


「あはは、確かに今もたまにそう言って作ってるよね。でも、ジャン君やレオ君に怒られて、それやめてるんだよねぇ」


「ギルドの仕事で戻れねぇ野宿の時だけは許可が出てるっつーの。……まあ、確かにギルドや宿にいるときはやめろって言われたけどよ」


「はえ……フォンテ、本当に変わっちゃったんだね……」



 少しだけしょんぼりとしてしまった彼。頭をなでてやろうとフォンテが手を伸ばしたが、それを行うのは今は早い、という感情がフォンテを支配してしまったのか止めた。

 彼に手を伸ばして良いのは、フォンテ・アル・フェブルという過去の人間だけ。今この場にいる自分はその彼とは違うのだから、まだ歩み寄るのは早いだろうと。


 そしていつまでも名前を呼ばないのは、なんだか違う気がする。そう考えたフォンテは、彼に対して名前を聞いた。



「え? 名前……」


「いつまでもお前って呼ぶわけにはいかないからな。……あるだろ?」


「う、えっと……」


「……まさか、無いのか?」


「…………」



 名もなき彼が小さく首を縦に振る。今現在、レティシエルが捕らわれている状態故に名付けが行われておらず、彼は名前がないまま数日を過ごしていたそうだ。そのため名前をと言われても、自分の名前は無いとしか言えないと。

 そんな反応をされるとは思わなかったフォンテ。しかし名前がないと呼びづらいということで、名前をつけてあげることに。


 フォンテのことを知っている者――セノフォンテ、という名前を。



「セノフォンテ……」


「確かアニチェートってやつはアニって呼ばれてたから、お前はセノだな」


「セノ? 俺、セノ?」


「ん。……嫌か?」


「えっと、うっと……」



 もじもじと人差し指の先と先をつんつんとしている名もなき彼――もとい、セノフォンテ。

 名前を与えられたことに対しての恥ずかしさもそうだが、以前彼がこの世界にいた時も同じように名前をつけてもらったことがあって、それを思い出して恥ずかしくもなったのだという。

 もちろん、今のフォンテにその記憶はない。けれど前の自分もそうしていたのかと思うと、少々気恥ずかしさが出てきてしまって目を逸らしてしまう。


 そんな2人の様子に小さく笑ったノエル。世界が違い、時は流れても根本的な部分は変わることはないのだとわかると、ノエルは1つセノフォンテに質問をしてみる。



「ね、以前のキミはどこでどんなふうに生活していたんだい?」


「えーっとねえ……灰色の壁で、冷たかったかなあ。そういえば、さっきそこに行けーって誰かが言ってたような気がする」


「え? ……ええと、誰かって、誰?」


「わかんない。こっちの目をこうやって隠した人がね、教えてくれた」



 髪の毛で左目を隠し、誰かの容姿を真似するセノフォンテ。その人物はどうやら左目をしっかりと隠さなければならなかったようで、目の色やらは右目からしか見えなかったという。

 そんなセノフォンテの様子を伺っていたイズミは容姿に心あたりがあるのか、もう1つ彼に問いかける。



「なあ、そいつって髪を結んでなかったか? 結んでいたら、毛先は金髪だったと思うんだけど」


「うん、俺のこの髪とおんなじ色だったよ! 目も綺麗で、えーと、自分のことイケメンって言ってた!」


「なーるほどねぇ……。なんでそこに行けと言われたのかわかるか?」


「んー……なんかねー、待ってる人がいるよーって。でも、探すには時間かかるだろうから早めにって言われた」


「ふーむ……。おい、侵略者インベーダー


「はい?」



 イズミはセノフォンテの情報から、レイ・ウォールという人物がこの世界にいた時に何処にいたのか、そしてその場所は誰か既に調べているかどうかを確認する。もし調べていないのならば、自分達が出向く必要があるかもしれないから、と。

 というのも、イズミはセノフォンテが真似した人物を知っている。左目は晒せず、そして己をイケメンと言い張る男はたった1人しかいないのだそうで。



「コイツが言ったのが間違いなけりゃ、ディーからの言伝だろうよ。そんで、セノが誕生する事を知っていて伝えたってことはこいつは多分緊急で生み出された存在。その場所に行けば、レイがいるかもな」


「ですが、そうなると他の精神体……アニチェートさんやシルヴェリオさんが消えているのは何故ですか? 彼らが消えたのなら、彼も消えることになりますが」


「これは完全に俺の予測だが、レイを助けるために別の精神体が呼び出したとかありえそうなんだよな。そっちでもおかしいって判断が出てるんだろ?」


「そう……ですね。あらゆる要素が彼の存在を否定するのに、何故か彼はこの場にいるので」


「だから、その謎を解くのにコイツの元いた場所……っつーか、レイ・ウォールって存在がこの世界にあった時にいた場所に向かうべきだと俺は思う」


「ふーむ……」



 燦斗は考える。レイという人物が幽閉されていた場所へと向かうべきだとは考えたが、その場所に関する情報は厳重に秘匿されており、最高司令官の許可以外にも司令官補佐である燦斗、ヴォルフ、エミーリアの許可が必要になってくるため、現状出向いてみる必要があるかどうかの審議を行わなければならない。

 その審議を行うかどうか、ヴォルフに連絡を取ろうとしたところで彼の方から先に連絡が飛んできた。



『エーリッヒ、悪い。ちょいとミスったんで、ヴィオをそっちに送る。悪いが俺の権限は一旦凍結だ』


「……何があったんですか?」


『トチったとしか言いようがねェ。あとはヴィオから話を聞いてくれ』


「わかりました。……あまり無理はなさらないように」


『ああ。ドレットには適当に言っといてくれや』



 その言葉を最後に、ヴォルフとの通信が途絶える。それと同時に司令官室に入ってきた人物を見て、イズミと瑞毅が僅かに構えた。


 気だるそうな表情で見つめてくる男性。琥珀色の髪がゆらりと揺らめいたかと思うと、にゃぁん、と彼の頭上を支配する猫の姿が見えた。彼はその猫を頭から離して自分の腕の中に埋めると、小さくぺこりとお辞儀をして、エーリッヒ――燦斗に声をかける。



「どうも。……叔父さんから連絡行ってると思いますけど」


「ええ。……あ、その前に。ジャック」



 燦斗がイズミに確認をしようとしているのは、彼の右腕の反応。やってきた彼の中に闇の種族の力が残されているかどうかを確認して欲しかったらしいが、それを指示される前にイズミは入った瞬間から気配を探っていた。


 結果として、彼には闇の種族の気配は一切見当たらない。先程、メルヒオールと瑞毅と共に出会ったときから奇妙な感覚だったとは言うが、近づいて今はっきりとわかったことがあるという。



「コイツはメルのように、最初から闇の種族の気配を持ち合わせちゃいないな。……ってことはアルムと会話していたヴィオっていうのは」


「ああ、俺のことですわ。……俺はヴィオット・ウィンストン・シュトルツァー。司令官補佐ヴォルフ・エーリッヒ・シュトルツァーの補佐として、オルドヌングに所属してます」


「お、おお。えーと……俺らのことは?」


「一応聞いてます。ジャック……さんと、他の皆さんのことも」


「……他人行儀が面倒なら、別に他人行儀じゃなくてもいいぞ??」


「あ、そう? いやぁ、王族とかその辺気にしたほうがええかなと思ってんけど」


「一気に緩い!!」



 思わずツッコミを入れてしまうほど、ヴィオットの口調が一気に緩くなる。一応上司に値する燦斗とエミーリアには敬語を使っていたが、イズミたちに対してはあまり敬語を使わなくなっていた。


 そんなヴィオットだが、ヴォルフの状況を事細かに説明。ヴォルフは現在フェルゼン・ガグ・ヴェレットの罠にかかってしまい、本来であればコントラ・ソール《精霊猫ガイストカッツェ》の力によって阻まれるはずの精神汚染を受けている状態なのだそうだ。

 そのため緊急対応としてヴィオットやメルヒオール、燦斗、エミーリアといった精霊猫が繋がる相手と完全に切断。精霊猫達は全てヴィオットに預けられ、彼も知らぬ未明の地で精神汚染の除去を行っているのだそうだ。



「とは言っても、場所は大体特定出来てます。おっさん、俺が精霊猫が最後に呼び出された場所を探知するところまで計算に入れてるみたいだったんで」


「その場所は?」


「中央諸島の……例の神殿。どうやっておっさんがそこまで行ったかはわかりませんけど、多分、そこなら誰も来ないと踏んだんじゃないんでしょうか」


「なるほど。……それなら、丁度いいタイミングでしたね。今から向かおうとしていたところなんですよ」


「へえ。なら、船は俺が出します。おっさんもわかってて俺をこっちに派遣したみたいだし」


「となれば、許可に関してはヴォルフの権限が凍結された以上は私とエミーリアだけで良し。乗船者は私と……セノフォンテさんは確定でしょうね」



 ちらりと燦斗の視線がセノフォンテに向けられ、イズミも同じようにそちらへ視線を移す。彼は今もなおフォンテの隣に座り、じっと何をするのかとイズミ達に目を向けている。

 そんなセノフォンテにこれから向かう場所に関して伝えてみると、ぎゅ、とフォンテの腕を掴んでしまったため、フォンテの同行も余儀なくされてしまった。



「あらら。そうなると、アンダスト王子にも同行願いたいところなのですが」


「は? なんで」


「お目付け役といいますか、なんと言いますか。フォンテさんとセノフォンテさんだと私、1人になっちゃうんですよね」


「だったらメルとか連れてきゃいいだろ。ヴィオだっているじゃん」


「そこの2人は上陸許可を与えられないので、特別な存在である貴方が1番効率がいいんですよ」


「特別な存在ね……ここに来る時も、そう言ってたっけな。仕方ねぇ、アルム救出までは協力するってなってるしな……」


「ありがとうございます」



 柔らかに微笑んだ燦斗。イズミの反発がありそうな気もしたが、それは杞憂だったと安心していた様子だ。

 すぐさま支度に向かい、イズミ、フォンテ、セノフォンテの3人を連れて中央諸島へと船で向かう。




 そうして、現在へと至る。

 船の揺れが凄まじい……という訳ではなく、エルグランデの海自体がイズミにとっては悪条件となっているようで、船縁に背を預けても彼の船酔いが収まる気配はなかった。



「マジで、気持ち、悪い」


「うーん、帰りも乗るんですが」


「その時は、俺を、気絶させ、おぇっ」


「そういう発想、嫌いじゃないですよ。……と、見えてきました」



 船に揺られて何時間か。もうそろそろ夜の帳が落ちそうな夕暮れを背に、船首の先に島が見える。薄暗さのせいで全貌ははっきりとは見えないが、それでも島としてそこに存在する、というのだけはわかる。

 島全体に人の気配が殆ど無いからか、燦斗は船を操縦している男――ヴィオットに向けて、1つ提案を促した。



「ヴィオットさん、私達を下ろしたら一度ここを離れてください。ここから一番近い港……そうですね、西方諸島の港に向かっていただければ」


「了解です。連絡手段としてジャックに《精霊猫ガイストカッツェ》・テュルキスをつけさせとくんで、船で帰るときには連絡ください」


「わかりました。……ただ、この中央諸島には……」


「緊急用の黒の門がある、ってのは一応おっさんから聞いてます。もしそれを使うようであれば、やっぱりテュルキスを通じて俺に連絡ください。メルさんにはスマラクトを置いてきてるんで、それを通じてリアさんに連絡入れます」


「話が早くて助かります」



 そうして船は中央諸島の港へと到着する。港は無人で誰もおらず、明かりが無いためフォンテの《創造主クリエイター》でランタンを数個作り出してそれを持つことに。


 もともとは人工的に作られた道だったようだが、長い間人の手が入らなかったことで草木が無尽蔵に生い茂る石畳の道が続いている。あまりにも不気味なその道は、オカルト系列が大嫌いなイズミとフォンテの心臓の鼓動を早めるほど。

 そんな彼らの様子に燦斗は小さく笑った。ただし、彼らを笑うのではなく、彼らではない別の誰かを笑うように。



「本当に、そういうところまでそっくりなんですね」


「……?」



 燦斗の言っている言葉の意味を理解できなかったイズミ。とにかく今は先へ進もう、ということで彼らは暗闇の道を突き進む。


 後にイズミは、燦斗が言った言葉の意味が重要だったのだと気付かされることになるとは、この時は知る由もなかった。

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