第?話 ここはどこ?
――暗い。
――何も見えず、何も言えず。
――身体も動かせない。
アルムの意識は暗い闇の中をふわふわと漂っている。体の感覚もほとんど無くされており、残っているのは聴覚のみ。
エーミール、コンラートと対面後の記憶は……ほとんど朧げで、自身が眠らされたことさえも覚えていない。
そんな状況下でも、音だけは入ってくるものだからそれをしっかりと聞いていた。
声の主は……エーミールと知らない男の声。
「――の調子はどうだ?」
「まだ万全です。ですが、――が無いため――の解除は……」
「そうか。引き続き――の――を続けろ」
「……はい、わかりました」
ところどころ聞き取りづらい部分があったが、何かしらの会話が行われていたことがわかる。エーミールは会話を終えると、何かを叩くような音を出してその後は無言になってしまった。
アルムはどうにか彼と会話を試みようと思ったが、残念ながら聴覚以外の感覚を全て断ち切られているせいで声を出すことが出来ない。身じろぎで反抗の意思を見せようにも、体を動かすことが出来ないのだ。
どうしたら良いのだろう。そう考えた矢先、次に聞こえてくるのはエーミールがアルムへささやきかける声。彼はアルムの状況を理解しているのか、ただ一言だけ、冷たい声で言い放った。
「どうか、我々の邪魔だけはなさらぬように」
その一言を言ったときの彼は、『エーミール・アーベントロート』だとは言い難かった。彼とは違う、別の誰かがエーミール・アーベントロートの声を使っているような。そんな感覚が拭えない。
アルムは思わず彼の名を呼び続けるが、彼女の声に反応する言葉はなく。
しばらくの無音が耳に突き刺さる。どうにか脱出したいと考えるアルムだが、体を動かせないという状況には慣れていなかったためにいい案が思い浮かばないようだ。
情報を集めようにも音は拾えず、ただ無音の時間だけが流れた。どのぐらいの時間が経っているのかは、彼女には計り知れない。
それから、どのぐらい経っただろう。彼女の耳に、にゃぁん、と猫の声が聞こえてきた。
(……ねこ?)
どうしてここに猫がいるのだろう。結構な大音量で聞こえてきたから、きっと今は自分の上に乗っているかもしれない。そう思うと、何処か安心感を覚えた。ちょっとでも自分を気にかけてくれる人――というより動物だが――がいるんだ、と。
もさもさと、音が耳に入り込んでくる。猫が自分の顔に乗って、しっぽを耳に当てて楽しんでいる様子。それだけが彼女に理解できる外の様子だった。
だが、次の瞬間。先の2人とは別の、また知らない男の声がアルムを驚かせた。
《お……起きてるん? もしかして》
(ひぇっ!!??)
そこにいるのが猫だけだと思っていたものだから、人から話しかけられるとは思ってもいなかった。それが、アルムの率直な感想。
だがその声にエーミールのような敵意はない。彼女はすぐに、彼の声に同調して会話を続けた。
(あの、えっと……どちらさま?)
《どちらさまと来たか。いや、まあそうなるか。……名乗っても多分わからんと思うけど、まあええわ》
そうして語りかけてきた人物は己を『ヴィオット・シュトルツァー』と名乗った。声だけでは彼の容姿はわからないが、優しそうな人物だというのはなんとなく理解していた。
ヴィオットはどうやら猫を介して彼女と会話をしているようで、合間合間に猫の鳴き声が聞こえてくる。その鳴き声のおかげか、アルムも少々安心感を得ているとヴィオットも感づいているようだ。
(あの、ヴィオットさん。ここは何処なんですか? あたしはどうなっちゃったんですか? というか、イズミ兄ちゃんは今いったい何処に?)
《質問が多いわ。1つに絞って》
(え、じゃあ……ここは何処なんですか?)
《ここか。……まあ場所ぐらいは王女さんに言うても大丈夫やろ》
ふう、と軽いため息の声。後に彼はアルムから離れ、飲み物を準備してきたようだ。飲み物を軽く喉に流し込む音が聞こえた後に、ヴィオットはこの場所のことを事細かに彼女に伝えた。
ここは、ガルムレイとは違う異世界。その名も『エルグランデ』という。魔術とはまた違う、異能力を用いる人間たちが住まう世界であり……アルムは現在、その世界にある特殊機関《セクレト機関》に身柄を拘束されているとのこと。
ただし、この拘束は機関の最高司令の命令ではない。ある一介の研究者がどうしてもアルムが必要だということで、エーミールとコンラートによって連れてこられたのだそうだ。
そこで、アルムはヴィオットに問いかける。普段のエーミールと今のエーミールの様子が全く違うと。
(あの人、どうしちゃったんですか! あんなに冷たい声を出す人じゃ……なかったのに……)
《それには事情がある。……けど、それをアンタに話してもいいのかどうか……》
そこまで会話を広げたところで、ヴィオットとの対話が途切れる。外で誰かが室内に入ってくる音が聞こえてきたのだ。
また知らぬ男の声が聞こえてきたが、今度は少し陽気な声。どうやらヴィオットの知り合いのようで、彼はこの男と対話をしていた。
「おう、ヴィオ。なーんでこんなところに」
「しゃーないやん、フェルゼンさんの命令なんやから。っつか、おっさんこそ何しに来た」
「ん? いや、俺はお前に用があってー……」
そこで、入ってきた男の声が途切れた。否、途切れたと言うよりも……驚きで言葉が詰まったという方が正しいか。ともあれ、アルムは男が自分を見て驚いているということに気づいていた。
そこからは男の声が届く。アルムが反応を示せないことを知ると、彼もまた猫を介しての会話に参加してきた。
《あー、あー。
(はい、聞こえてます)
《ん、よし。悪いな、急にこんなところにつれてきて》
(ええと……あなたは?)
《俺? ああ、自己紹介がまだだったか。俺の名前はヴォルフ・エーリッヒ・シュトルツァー。さっきのヴィオットの叔父だ》
(ヴォルフさん……よろしく、お願いします)
先程のヴィオットと違い、ヴォルフはぐいぐいとアルムに近づいては会話を続けようとする。その様相があまりにも、自分の父親に似ているものだからちょっぴり怖いというのが本音。
しかし、ヴォルフは実直にも謝罪を続けてくれた。本来ならば楽しい時間を過ごせていたはずなのに、突然こんな事になってしまって申し訳ないと。彼氏――イズミとの楽しい時間を壊してしまったのは、我々セクレト機関の人間が悪いのだと。
(あの、あたしって何故連れてこられたのでしょうか。……このまま身体機能が戻ったら、全部ぶち壊すつもりでいるんですけど)
《おぉう、噂に聞いた通りの王女様だな。だが、理由を話すのは少し待ってほしい。キミに真実を伝えるのは、今は酷だと思うのでね》
(それはどういうことですか?)
《悪い、本当に今は言えない。ただ俺に言えるのは……キミは理由があって、ここに連れてこられたってだけだ》
(…………)
ヴォルフの言葉に、僅かな猜疑心が芽生えてしまった。本当なら受け入れる必要があるのだろうが、ここは敵地のど真ん中。彼が信用を得るために言った言葉だとしたら、信じることは難しい。
だからこそアルムは、心に壁を築いた。これ以上自分のことを踏み込まれては危険だと、何かが教えてくれたからだろうか。ヴォルフに対しても、ヴィオットに対しても、これ以上の会話は無意味だと口をつぐんだ。
アルムとの対話を終えた直後、ヴィオットはヴォルフの頭を軽く叩いた。何故そんな事を言ったんだと。
「おっさん、アンタやっぱバカやろ。そんなん言うたら固くなるに決まってるやん」
「あっれー? サライやアンナはめちゃくちゃ納得してくれるんだけど」
「叔母さんはおっさんにぞっこんやからしゃーないけど、サライは呆れてるだけやぞ、アレ」
「えー。サライだってたまには納得してくれるのに」
(……サライ??)
アルムは耳に届いたサライという名には聞き覚えがあった。
ある異世界に住まう修理業の男。イズミにそっくりな顔で、体格や服装もほぼ彼と同じで……白と黒の三つ編みが印象的だったのを覚えている。
そんな彼の名前が何故別の異世界の人間である彼らから聞こえてきたのか。アルムは不思議でしょうがなかった。思わず、早く築いた心の壁を乗り越えてしまうほどに声を張り上げてしまった。
《ん? サライのこと知ってるの?》
(は、はい。あの、別の世界でお世話になってたので)
《マジか。……えーと、一応俺の従兄弟ってことになるんかな、アイツ》
(従兄弟!?)
サライとヴィオットが従兄弟だと聞いて、ますます混乱が広がった。ヴィオットがエルグランデの人間ならば、じゃあサライも同じくエルグランデの人間なのかと。
だがヴィオット曰く、サライはエルグランデ出身ではないのだそうだ。ある日突然、ヴォルフが連れて来た施設の子供で何処から来たのかはわかっていない。ただ、世間体があるので従兄弟と触れ回っているとのこと。
《だから、俺とは血の繋がりはなんもない。……でもまあ、一応世間的には従兄弟ってことになる》
(……サライさんも、あたしのことは知ってたんですか)
《いや、知らん。あの子にはそういう異世界の話を持ち込まんようにって、おっさんから言われとったしな》
(ああ、だから……)
異世界のことを知らないと聞いて、妙に納得がいったアルム。というのも、サライはアルムのことを聞いてもすぐに理解は出来なかったため、異世界の話を聞いていないのは本当のことなのだろう。
どこか納得がいったアルムは、それなら、と話を続けた。まだ心に築いた壁は取り除けないが、これを行ってもらえるならヴィオットを信用してもいいだろうと。
(それなら、サライさんに……あたしの現状を伝えてほしいです。それが無理なら、サライさんから和泉さん、和泉さんからイズミ兄ちゃんへ)
《
(む……じゃあ、ヴォルフさん)
《俺? まあ今は仕事もないし構わんが……そうだな、キミからの信用を得るためなら、俺が動くか。エーリッヒにも声かけとかなきゃならないしな》
《まあ、しゃーないよな。……今、チームの皆は操り人形状態やし》
(……操り人形状態、って……)
ヴィオットの一言を聞いて、寒くなるはずのない身体が冷えた感覚が脳に伝わってきた。先程、彼はエーミールの状態を告げようとして口をつぐんでいたのはこういうことだったのか、と。
誰に操られているのかまでは、ヴィオットは口には出来ない。そういう制約がかかっているためか、ヴォルフでさえも言葉に出すことは出来なかった。
《……あの人が理由なく、人に冷たくなるわけない。それは、俺もよく知っとるからな》
ヴィオットの小さいため息が、外から聞こえて……それから、またアルムの耳には無音が続くのだった。
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