奥井君

「え、えと、あの」

 背は尾山君よりは低い。体型だって中肉中背。だけど眼鏡の奥に光る目は鋭くて細くて…

『なんか、恐い』

 ただおろおろしていたら、

「ともかくこれ、入部するつもりあんなら書いて。俺、ここの部の<総務>やってんの。だから部員名簿も作らなきゃいけないんだよね、つーわけで」

 イライラしたみたいに言いながら、私の手へ一枚の紙を押し付けて、

「俺、ちょっと<共練>行くから」

 髪の毛を短く刈った頭をふりふり、<奥井君>は部室を出て行った。

「まあま、『あき』ちゃん」

 一部始終を見ていた<しのちゃん>が、苦笑いしながら私の背中をぽんと叩いてくれる。

「奥井君は、いつも『ああ』なんだよ。ね。今はほら、公演を控えてるから、余計に頭に血が上ってんの。恐い風に見えるけど、しゃべってみたらさほどでもないよ? リラックスリラックス」

 彼女が言いながら他の二人を見ると、たかまも尾山君も苦笑しながら頷いていたけれど、

『しゃべってみたら、って』

 ただでさえ『恐い』っていう、とても失礼な第一印象を抱いてしまった。

 それはきっと向こうも同じで、私のことを、

『まともに目もあわせない、しゃべろうともしない失礼なヤツ』

 なんて思ってしまったに違いないから、奥井君ととても『普通に』しゃべることなんて出来そうにない。

「でね。はいこれ、今、練習中の脚本」

 なのにいつの間にか、私は演劇部に『入部』することになってしまっているらしい。たかまが

 当たり前みたいに台本のコピーを渡してくれるのを、私もついすんなりと受け取ってしまって、

「…ハッシャ、バイ?」

 そこには、眠れない時に言う<おやすみ>を意味する英単語が書かれていた。

「うん。<劇団四次元空間>って知ってる?」

「知らない」

「だよねえ」

 たかまに尋ねられて私が首を振ると、しのちゃんが後を引き取って、

「だよねえ。演劇にあまり興味がないと知らないかも。結構そのスジじゃ、有名なんだけど」

 ま、座りなよ、なんていいながら、私へ丸椅子を勧めてくれた。

「東京のY大演劇部が十年前に立ち上げて、そんで今じゃプロの劇団になってるんだよ」

「へえ」

 そういうことには確かに疎いけど、パラパラとめくってみるだけで、この<芝居>が面白そうだっていうのは

 なんとなく分かる。

 だけどこれはいわば<現代ドラマ>みたいなもので、

「…真夏の世の夢、とか、そういう古典劇みたいなのはやらないんだ?」

 私が尋ねると、

「そういうのは、ねえ」

「なあ?」

「要望はあるんだけどね。予算と人員の都合ってヤツ。大道具にもものすごくお金、かかるでしょ」

 三人は苦笑した。

「だから、部費だって一ヶ月千円も取ってるの。それだけやっぱ、衣裳代や舞台装置にもお金がかかるからね。だけど、ここにいる皆がうちのサークルにい続けてるのは、演劇がそれだけ好きだからだよ」

「ははあ」

 たかまの言葉に私は納得して大きく頷く。そこへ、

「おいーっす、やっと実験、終わったよ。ごめんな」

 言いながら、また別の男の人が入ってきた。

「坂さん!」

「こんばんはー」

 他の三人が一斉に嬉しそうな声を上げる。釣られて私もヘコヘコと頭を下げたら、

「お、新入部員? よろしくよろしく! 坂正弘です。一応、演劇部の部長やってます。工学部の生物応用三回生。で、君は?」

「あ、えっと、あの」

「私と同じ農学部の川上亜紀ちゃんです」

 言いよどんだ私を庇うように、たかまが答えてくれた。すると、背は奥沢君と尾山君の中間辺りで、顔立ちだってハンサムとは言えないかもしれないけど、どこか甘い雰囲気を漂わせてるその<先輩>は、

「川上さん? 音響、よろしく」

 からからと笑って片手を差し出してくる。

 …その手を思わず握り返してしまったことで、私の<演劇部入部>は確定したのだった。


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