第十八話 旧友 下
「――それで、その人とは結局会わず仕舞いなんですか? あ、樹さん、お醤油取ってください」
「ヨーロッパでは会わなかったな。ロンドンには俺達も参加してたし、戦場ですれ違ったかもしれんが……ほれ」
「ありがとうございます」
対面の座布団に座っているクレアへ醤油を手渡し倒れは、かつての戦友を思う。
――草野のことだ。
仮に軍を退役していたとしても、出世街道を歩んでいることだろう。そうであってほしい。
温泉に入りすっきりした頭でそう結論づけ、俺は味噌汁をすすった。美味い。
少女の隣に陣取った爺さんが自慢してくる。
「この宿は防衛軍関係者の慰労用だからな。醤油も味噌も、生き残った蔵元が作った本物を使っている」
「は~……あるとこにはある、と。昨日の酒といい、この世の闇を感じる…………」
【幻影】が出現し、各都市を襲って以来、酒、醤油、味噌等は、かなりの貴重品になってしまった。
政府は食料自給率を必死に上げようとしているし、少なくとも日常で不足を感じる程ではないにせよ……これ程上等な代物は、中々食べられないだろう。権力万歳だ。
これまた貴重な海苔で銀シャリを食べながら、クレアが話を続けた。
「でも――……その人、大変だったでしょうね」
「うん?」
俺は、カブの漬物を齧り、小首を傾げた。よく漬かっている。
玉子焼きを箸で摘まんだ少女の指摘。
「だって……『あの』風倉樹と、臨時とはいえ組まされていたんですよ? 【最古の五人】の一人。数々の激戦場、死戦場に送り込まれながらも、生きて帰り――【不死身】と讃えられたエースオブエース。かつ!」
「まずは食べろ」
「はーい。――あ、この卵焼きも絶品ですね」
「決め手は胡麻油だな」
感想に応じつつ、俺はレシピを考える。
こういう宿に泊まることなんか滅多にない。学校に戻ったら試作してみるか。
「学校で作ってくださいね?」
「そのつもりだよ」
「わ~い♪ 樹さん、大好きですっ!」
「飯を美味しそうに食べている時のお前さんは、嫌いじゃ――」
「うっほんっ! ――クレアや、先の話の続きをしてくれんかの?」
爺さんが咳払いし、刃のように鋭い視線を俺へ叩きつけ――すぐさま、好々爺の顔を孫へ見せた。……何か、勘違いしていねぇか?
少女は祖父へ頷き、お茶を一口飲んで、話を再開した。
「樹さんは、かの【白薔薇】の実質的な師として全世界に知られています。……そんな人と組むのは、どんなエースだってプレッシャーだったと思いますよ、きっと」
「……はぁ? そんなことは」「ありますっ!」
俺の言葉を打ち消し、クレアが腰を少し浮かせた。
拳を握って力説する。
「今だって、『風倉樹と組む』と知らされたら、どんな【戦乙女】だって緊張しますっ! なお、私はまっったく緊張しないので、非常にお勧めですっ!! しかも、今なら十六歳になった瞬間、籍も――むぐっ!」
「冗談が過ぎるっ! ……あと、爺さんは待ってくれ。箸を人に向けるのは無作法だろうが?」
「……よもや、この歳にして、人に対して此処までの殺意を持てようとは。小僧、礼を言おう。だがっ!」
クレアの口元を押さえている俺の肩に、爺さんのごつごつした手が置かれた。
骨が軋み、激痛が走る。
抗議しようにも――爺さんの瞳には憤怒。
「クレアを嫁に、と言うならば、まずは儂を倒してからにしてもらおうっ! 老いたりとはいえ、天羽巌。貴様のような軟弱者に、可愛い可愛い孫娘はやらんっ!!」
「……いや、端から貰うつもりは」
「ない、とは言うまいな? 我が孫が貴様に不足とっ! ……良い度胸をしておる」
「いや、どう答えるのが正解なんだよっ!?」
「ぷはっ。そんなの一つしかありまえん。『どうか、天羽クレアさんを僕に』」
「ええぃっ! 場を搔き乱すなっ!!」
やいのやいの、三人で言い争う。
自然と笑みが零れ、沈殿した重い気持ちが霧散していく。
――まぁ、偶にはこういうのも悪くはないわな。
※※※
朝食を食べ終え、自室に戻って身嗜みを整える。
爺さんは、この後すぐに名古屋へ戻るそうなので、護衛として俺とクレアも同伴。
帰りは、名古屋港から高速船を出してもらうとしよう。
夏季休暇になったら、爺さんに頼んで温泉でも――
「ん?」
俺は、部屋の窓を開け外を眺めた。
この宿は高台にあり、市内を一望出来るのだが、気になったのはそこではない。
もっと先の海で、光が走っている。
――魔力のそれだ。
「樹さんっ!」「クレア、こっちへ来てくれ。屋根へ登る」
窓の欄干に足をかけて、少女を呼ぶ、
半瞬だけ【A.G】を展開し、瓦屋根の上へ。
すぐさま、クレアも飛び出し、翼をはためかせ上昇。
「――……間違いありません。沖合で【幻霊】を何者かが迎撃しています。おそらくは、【鴉】だと思いますが……流石に種類までは。警戒線に入っていないので、警報が鳴っていないみたいですね。どうしますか?」
「う~ん……」
俺は、頭を掻いて唸った。
昔の俺ならば、すぐにでも現場に駆け付けるのと同時に、関係各所に指示を飛ばしていただろう。
死亡理由が『警報が鳴らなかった』からじゃ、余りにも馬鹿馬鹿しい。故に行動あるのみ。
だが、今の俺に無茶する力はないし、何より――少女を呼ぶ。
「一先ず、状況を爺さんへ。情報を収集した上で決定しよう」
「はいっ!」
元気よく返事をし、クレアは宿の中に飛び込んで行った。
……油断はしない。
同時に、現役自体のような無茶もしない。
俺が守るべきは第一に『天羽クレア』。第二に『天羽巌』。
順番を忘れないようにしないと。
沖合の閃光が激しさを増していく。
ただ……奇妙なことに、味方の魔力を感じない。
視界に捉えられなくとも、魔力感知は可能だし、俺が得意だと自負する分野でもあるのだが。
「……迎撃しているのは【戦乙女】じゃない? けど、【幻霊】の数は減っている……まさか」
直後、携帯が震えた。
……知らない番号だ。
普段なら出ないのだろうが、確信があった。
眼前で起きている奇妙な現象、今かけてきている人物が秘密を教えてくれる、と。
「――もしもし」
『やぁ、風倉君。元気そうで何よりだね』
「! その声……」
今朝見た夢で聞いた、懐かしき旧き友の声。
ヘリの中のようで、エンジンの爆音と機械的な魔力音が聞こえる。
ただし……声自体も以前と異なり、やや濁り、甲高い印象だ。
それだけ、俺達も歳を喰った、ということか。
苦笑しつつ、名前を呼ぶ。
「久しぶりだな、草野。お前も元気そうで何よりだ」
『――……お陰様でね。本題に入ろうか。そちらからも見えているだろう? 現在、我が部隊は【鴉】十八体を一方的に殲滅しつつある』
「…………部隊、だと?」
急速に、懸念が膨れ上がっていく。
――現役時代の草野誠一郎はエースだった。
同時に、【A.G】持ちばかりが戦わなければならない現状を強く憂いてもいた。
かつての旧友が声を張り上げる。
『そうさっ! 現役を引退しても、君の耳には絶対に届いている筈だっ! 【人造A.G】の話を。この子達を創り上げたのは僕でね――今朝も『小田原を狙う』という情報を手に入れたものだから、こうして出張った、というわけなんだ』
「…………草野、お前」
『ああ、それと――今の僕の姓は『高坂』という。以後、覚えておいてくれたまえ。では、近い内に会うこともあるだろう。その時を楽しみにしているよ、【死神殺し】殿』
「草野っ!」
咄嗟に叫ぶも着信は切れ――【幻霊】の魔力も全て消えた。
……倒した、か。
いや、さもありなん。あの草野誠一郎が創ったというのだ。相応の戦闘力を有しているのだろう。
ただ……俺は独白する。
「どうして、軍よりも早く【幻霊】の動きを掴めたんだ?」
「――樹さんっ!」
クレアが、屋根の上へと戻り、俺の胸に飛び込んで来た。
ぴょんぴょん跳ねながら、教えてくれる。
「報告ですっ! 沖合で迎撃行っているのは、統合本部兵器局肝入りの実験部隊だそうです。部隊名は――」
【
……対【幻霊】部隊が、亡霊かよ。笑えねぇ。
俺は少女の頭に手を置く。
小さな身体が硬直し、上目遣いで名前を読んできた。
「! い、いつき、さん……?」
「――……クレア、早めに学校へ戻るぞ」
「は、はい、そ、それはいいですけど……その、大丈夫、ですか?」
恐る恐る、といった様子でクレアが質問してくる。
……余程酷い顔をしているのだろう。
俺は少女の質問に答えず、頭を撫で回した。
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