第十七話 旧友 上

 ――古い夢を見ている。


 まだ、俺が【Common curseありふれた呪い】を発症せず、現役として前線で戦い続けていた時代のだ。

 インカムに向かって若い……いや、まだ幼い俺が、かつての高層ビルの廃墟に隠れながら怒鳴る。


『此方、【魔弾】! コレットっ! 銀っ!! 聞こえないのかっ!? くそっ』


 長銃を抱えながら、周囲を慎重に警戒する。

 廃墟の陰から、多数の【鴉】を従えた巨大な漆黒の【海月】が現れる。俺を探しているのだ。

 魔力は残り少なく、身体の各所にも傷。

 味方とは分断されて、正しく絶体絶命、といったところ。

 どうしたものか……肩に手を置かれた。


『風倉君、落ち着こう。僕達はこんな所で死ぬわけにはいかない。そうだろう?』

『……草野くさの。ああ、そうだな』


 俺は、この場における唯一の味方――当時は、それなりに数がいた男性の【A.G】使い、草野誠一郎せいいちろうに頷いた。

 【幻霊】出現後、防衛軍の募集に応じ戦い続けて来た志願兵の一人で、整った容姿から人気も高い。

 性格は真面目で、仲間想い。年下とは思えない程に冷静沈着。

 それでいて――戦場では顕現させた大槍一本を持って、突撃を繰り返す。

 既に幾度か、共に戦いお互いの実力も知っている仲だ。

 最近では【最古の五人】なぞと、持て囃されているが……正直言って、俺なんかよりも、草野みたいな奴が上に行ってくれた方が、生き残る人間は多くなる筈だ。


 ――こいつを、こんな戦場で死なせるわけにはいかない。


 長銃を強く握り締め、提案する。


『通信は阻害されている。コレット達も交戦中だとしたら、救援は当面望めない』

『選択は二つですね。討ってでるか、隠れているか』

『ああ。そして、俺とお前の【A.G】は隠れるのに向いていない。典型的な前衛と後衛だしな。何れ必ず見つかる』


 【幻霊】は魔力感知に長けている。

 多少、時間稼ぎになっても……発見されたら逃げる間もなく、数で押し潰されてしまうだろう。

 草野も大槍の柄を握り締める。秀麗な顔は引き攣り、蒼褪めている。

 考えてみれば俺は十七。少しだけ誕生日の遅いこいつは十六。

 ――死の恐怖を乗り越えるのには、余りにも若すぎる。

 それでも、草野は笑みを浮かべ口を開いた。


『……討って出るしかなさそうですね』

『だな。……出来れば勘弁してほしいが、仕方ない』


 俺は軽く応じ、ちらりと【幻霊】達を見やった。

 【海月】が小型の眷属を身体から生み出し始めている。発見されれば、まず間違いなく苛烈な自爆攻撃を仕掛けて来るだろう。

 名目上の上官として、草野へ命令。


『俺が囮になる。その間にお前は脱出して、コレット達と合流してくれ』

『風倉君、それは――……いえ。瞬間的な速さに勝っていても、持久力に劣る僕では、時間を稼げませんね』

『そういうことだ。話が早くて助かるぜ』


 壁に隠れながら、俺は立ち上がる。

 【死神殺し】――未だに、呼び名に慣れない【A.G】を構え、中央で悠然と漂っている【海月】を照準。


『撃つと同時に別方向へ、だからな?』

『――ええ、分かっています。何か、アストリーさん達へ伝えることは?』

『ない。あいつ等なら分かってくれる。何より、だ』


 俺は背にを形成しながら、蒼褪めている戦友を見やった。

 片目を瞑り、わざとらしい演技口調。


『これでも、結構な修羅場は潜ってきてる。此処は俺の死に場所じゃない。勝手に死ぬと、コレットに殺されちまうしな』

『っ! ――……風倉君は』


 草野の顔が引き攣り、何かを口にしようとした――その時だった。

 十数体の【鴉】が廃墟に向かって急降下っ! 気取られたっ!!

 俺は即座に引き金を絞る。

 純白の弾丸が先頭の異形の頭を打ち砕き――直後、範囲内に無数の『線』が駆け抜けた。黒い塵が舞い、消えていく。

 外へと飛び出し、顔を見ぬまま怒鳴る。


『今だ、行けっ! 草野っ!!』

『――……了解』


 将来の幹部候補である、戦友の魔力が遠くなっていく。

 ……さて、と。

 俺は長銃の先に【剣】を形成しながら、空を圧する巨大な【海月】を見上げた。

 不用意に突っ込んで来た【鴉】数体を切り裂き、黒い塵が舞う空を駆け――上空へ遷移する。

 逃げても体力を消耗しちまう。


 だったら、一体でも数を減らす。


 後はコレット達が何とかしてくれるだろう。悪くない死に方だ。

 ……あの世にコレットが来たら、とんでもなく怒られそうではあるが。

 視界の外れに、全力で飛び去って行く草野の姿が掠めた。


 ――そう言えば、あいつは最後になんて言おうとしていたんだろう?


※※※ 


 ゆっくりと――意識が覚醒していく。


 見慣れぬ板張りの天井と広過ぎる部屋。

 そうだ。

 昨日は結局、天羽の爺さんが用意してくれた宿に泊まったんだった。

 にしても……懐かしい夢を。

 あれは、確か神戸の攻防戦だったか……。

 結局あの後、孤軍奮闘していたところ、全てを薙ぎ払ってきたコレットが突っ込ん出来て、【海月】を撃破。

 辛うじて生き残り、またしても【不死身】だ、【死神殺し】だ、と、散々言われたのを覚えている。

 ――コレットの説教? 

 な、なんだ? か、身体に震えが? き、記憶が思い出すことを拒絶してっ!? まさかっ!


「はぁ……」


 朝っぱらから、溜め息を吐き俺は枕元に手を伸ばした。

 腕時計で時刻を確認――朝七時。

 普段よりも起きるのが遅いのは、間違いなく酒のせいだ。余りにも美味過ぎた。

 爺さんに言いたいことは山程あるが、酒に罪はない。後輩の分も土産に貰っていくとしよう。

 ――草野の奴とは、神戸以降も幾度か戦場を共にした。

 都度、エースらしくなっていくのには、憧憬すら覚えたものだ。

 聞くところによると、欧州派遣部隊にも加わっていて、死闘で名高いロンドン奪還作戦に参加。

 そこで負傷、引退したと聞いたが……今はどうしているんだろうか?

 防衛軍に残っているのなら、名前を聞いてもおかしくはないと思うんだが。今度、刀護にそれとなく聞いてみるとしよう。

 昔は、よく喧嘩していたが……今となっては懐かしいだろうし。

 そこまで考えて、布団から出ようとすると、玄関の方からほんの微かに音。

 次いで、襖が開き――ぴょこんと、浴衣姿の少女が顔を覗かせた。

 次いで視線が交錯する。

 クレアは瞳を瞬かせ、残念そうに舌打ち。


「……ちっ」

「そこで舌打ちするな。おはよう」

「……おはようっ、ございますっ。とぉっ!」

「あ、こら」


 重力を感じない軽やかな跳躍。

 無駄に視力の良い俺の目は、胸元から覗く純白の下着を捉えたが……言えぬ。

 クレアはそんなことにも気づかず、布団の上へと着地。

 ペタリ、と座り込み唇を尖らせた。


「うー……今日こそは樹さんの寝顔を写真に収める筈だったのに。どうして、起きているんですかっ! 断固、抗議しますっ! 昨日も、部屋を一緒にしてくれませんでしたしっ!!」

「お前は朝っぱらから……ほら、どけ。俺は朝飯前に風呂へ行きたい」

「あ、はーい」


 素直にその場から立ち退き、クレアはカーテンと窓を開けた。

 ――眩い陽光が飛び込み、少女を包み込む。

 爽やかな風に紫髪が靡いた。ふむ。


「わ~。樹さん、見てください。海ですよ、海!」


 満面の笑みを浮かべ、振り向いた瞬間をパシャリ。良し、っと。

 クレアはきょとんとし――


「あ~~~~~~っ! な、何、撮ってるんですかっ!? ち、ちょっと、や、止めてくださいよっ! い、一緒に温泉へ行こうと思っていて、寝癖も直してないのにっ!!!!! 消してくださいっ!」

「嫌だ。これをネタに、お前の爺さんを脅――……こほん。土産の日本酒をせびらねばならないからな」

「う~!」

 

 少女をあしらって、洗面所へ向かう。

 冷水で顔を洗うと思考が定まってきた。

 ――『人造A.G』の判断は実物を見てからだな。

 古くから戦い続けている者程、反撥は激しいだろうし、主導したっていう『高坂』家ってのも、俺は知らない。

 爺さんが言うには、西日本では有数の家らしいが……。

 横からタオルが差し出される。


「お、サンキュー」

「……どういたしまして」


 ちらちら、と俺の横顔を見つめている小柄なお姫様に礼を言い、結論を出す。


 ――分からんっ! 


 取りあえず温泉に入って、美味い朝飯を食ってから考えるとしよう。

 「……まったく、樹さんは……でも、こういう姿は何度見ても、良いものだし……」なぞと呟いている、お姫様もその頃には落ち着くだろうしな。

 

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