第十六話 老人 下

 俺の問いを受け、爺さんは渋い顔になった。


「確かに……禄でもないことだ。飲め」

「へーへー」


 爺さんの酌を有難く頂戴し、冷酒を飲み干し、注がれる。

 かつて――【門】が出現し、【幻影】が人々を無差別に襲い掛かっている中でも、被害を直接受けていなかった国の人々は、長らくそれらを『嘘』だと信じていた。

 物事の楽観視は、人類が患ってている宿痾なんだろう。

 天羽の爺さんが猪口を長机に置き、厳めしい顔を更に厳めしくした。


「……お前にこのようなことを語る必要もあるまいが、最大の問題は」

「【幻影】に唯一対抗出来る【A.G】持ちの絶対的な不足。そして――」


 入り豆を口に放り込みながら、酒を呑む。

 ……現役を引退してて良かったのは、こうやって酒を呑んでも怒られないことだな。まぁ、普段はクレアの面倒やら、授業の準備やらで全く呑めないんだが。

 爺さんと視線を合わせ、片を竦める。


「それに伴う【戦乙女】達と、対【幻霊】対策を指揮している者の、必然的な社会的地位の上昇。この苛烈な現実に打ちのめされた、反【A.G】派達による策謀ってところか。大方、白鯨島付近の戦闘で、下級【幻霊】を討伐出来たことで、勢いを増している、ってところかな?」

「……死戦場を生き延びた者とは、そこまでの洞察力を得るものなのか? 恐ろしいものよ。いや――……だからこそ、可愛い孫を託すに値する」

「よしてくれ。俺なんか他の四名とには到底及ばないって」


 手をひらひらさせ、賛辞を否定する。

 ――【最古の五人】。

 世界で最も早く【A.G】を発現させ、【幻霊】の長を討伐した五人。各国の【門】を破壊し、旧東京のそれすらも後一歩まで追い詰めた。取り合えず……俺もその一人なのだ。常々辞退を訴えているが。

 今でも、俺を除き皆現役で、各々要職につき、英雄視されている。

 爺さんに目線で話の先を促す。クレアが戻って来る前に、七面倒な話は終わりにしておかねば。


「……貴様の言う通りだ。元々、政府と軍内部には【A.G】を危険視する一派が根強い。『【A.G】なぞという不安定な代物に頼り続けるわけにはいかない。戦線が安定した今こそ、我等は【幻霊】に対抗出来る武器を開発する必要がある』とな」

「一理はある。補助制御装置が完成したことで、魔力出力に難を持つ者でも、戦力化することは出来た。俺達の時代と異なって、戦場に出すまで最低限の教育を施すことで、【戦乙女】の戦死率も年々下がり続けている。だが――そもそも【A.G】の研究は端緒についたばかり。その名の通り、『神の恩寵』なんで言い出す学者先生までいる始末だ。誰が発現するかすら、全国民の魔力検査を実施してもなお、確率的には精々10%程度だしな」


 つい数年前まで、人類は間違いなく滅亡の縁に立たされていた。

 しかし、各国の【門】が破壊され、旧東京――特に丸の内周辺に築かれた長大な【魔力壁】により、【幻霊】の襲撃減少に伴い、ぞろ『政治の季節』が到来しつつあるのだ。

 中でも――躍起になっているのは、存在意義を大きく低下させた軍関係者と、軍需産業に関わる人々。当然だ。

 【幻霊】には、彼等の最新鋭兵器は何一つとして効かなかったのだから……。

 爺さんが腕を組んだ。


「……納得している場合か。分かっておろう? 先日、白鯨島付近で、下級とはいえ【幻霊】を討伐したのは」

「防衛軍の【戦乙女】ではなく、新兵器の実験部隊。ただ、それだけなら、今の日本を牛耳る天羽家の御当主様が出張って来るわけがないし、船の上で――しかも、かの【妖精部隊】をメッセンジャーにして、俺を呼び出す筈がない」

「…………」


 『天羽』『九条』『神無』『小啄木鳥こげら』『麻地あさじ』。

 今の日本を牛耳っている五名家の当主は、国家の最重要人物だ。

 ここ最近こそ、治安は回復傾向にあるとはいえ……かつては暗殺未遂も度々あった。何時の時代も、現実を受け止め切れない人は存在する。

 刀護は飄々としているが、あいつは俺達と共に激戦に次ぐ激戦を生き延びた最古参。人ではどう足掻いても殺しようがない。

 同水準の【A.G】持ちなら可能かもしれないが……そうなれば、怖い怖い世界最強の【戦乙女】、コレット・アストリーの逆鱗に触れてしまう。


『【A.G】を対人戦に用いるのは全面的に禁止とする』


 これは全世界的な取り決めであり、同時に絶対の指針なのだ。

 天羽巌と目を合わす。


「――旧東京で、俺と刀護が託された柊女史のノート、その内容を一部用いたんだな? 『補助装置』や『検査装置』開発に使用されたデータを流用して。爺さん、そいつは、約束が違うんじゃないか?」

「………………すまぬ」


 瞑目し、爺さんは深々と頭を下げてきた。

 俺は冷酒を注ぎ、一気に飲み干す。


 ――あのノートに書かれていた内容は正しく『至宝』だった。


 その多くは個人的なメモであり、解析もままならないものだったが……幼いクレアを守り怪物が跋扈する旧東京を生き延びた、柊女史の【A.G】と【幻霊】に対する知見は、人類の誰よりも先へ進んでいた。

 メモによれば、彼女が仕えていたクレアの母親は、世界中で誰よりも先に、【幻霊】の脅威に気付き、密かに研究を進めていたようだ。

 実の父親である爺さんとは仲違いをしてしまい、何処で何をしていたのか一切分からないが……【門】が出現したあの日、東京にいたことは間違いない。


『十月十日。奴等がやって来てしまった。奥様より御嬢様を託される。……死ねない。絶対に死ねない。生き抜かねば』


 強い感情が込められた走り書きを思い出すと、今でも胸を締め付けられる。

 悪化していく体調。幼女への深い愛情。必死に書き残された数多くの知見や、今後発生するだろう問題。

 ――彼女は紛れもなく、あの東京で戦い続け、勝利した英雄だった。

 猪口を机に置く。


「俺には学がないからな。あんた達みたいに賢い人達の苦労は分からない。だがな、爺さん? あれは、あのノートはだ――あんたの孫を守り抜いた本物の『英雄』が、人類に託してくれた、良心の結晶みたいなもんだろうがっ! そいつを使って、新兵器の開発しました? はっ! 冗談にもなりゃしないっ。……あんたら、正気か? 上に立つ人間は、人間としての最低限の良識すらも喪ってんのか? どう考えても、――……対人戦まで想定しているだろうがっ!!!!! ……五名家の下が関与してるな?」

「……………その通り、だ」


 爺さんが顔を上げ、顔を歪ませた。

 ――それを見て理解する。

 嗚呼……もう次のフェーズに進んでいやがるのか。


「開発された新兵器は――『人造A.G』だ。『高坂こうさか』を中心として、政府と軍中枢へ積極的な働きかけが行われ、限定的ながら作戦案は了承された。近日中に、最低でも一個中隊を用いての【幻霊】討伐が行われる」

「…………そうかよ」


 俺は立ち上がり、踵を返した。

 すぐさま、呼び止められる。


「待てっ! 小僧、何処へ行くっ!」

「帰るんですよ、天羽巌様。ああ、お孫さんは置いていくから、安心してください。――……貴方達にはほとほと愛想が尽きた。後は勝手に滅ぼされればいい。先の襲撃、人為的な臭いがした。防衛軍内に裏切り者がいる。狙いの一つは――おそらくクレアだ。けれど、【幻霊】はあんたちの楽しい楽しい権力ごっこに忖度なんかしない。……油断し過ぎなんだよ。棺桶の準備をしておいた方がいいぜ」

「っ!」


 爺さんの絶句する気配を感じつつ、俺は襖を開け放った。

 ……死んだ親友の好きだった、綺麗な満月だ。

 お盆を持ち、廊下を戻って来るクレアが見えた。

 俺を見つけると、表情をたちまち明るくさせ片手を大きく振ってくる。


「樹さんっ! 貴方のクレアは此処っ! 此処ですよ~♪」

「お前のモノになった覚えはない」


 肩越しに、渋い顔の爺さんを見やる。

 ……おそらく、天羽家も直前に報されたのだろう。表面上は『高坂』が動いているものの、裏いるのは他の名家、か。度し難ない。

 俺は溜め息を吐き、部屋へと戻り胡坐をかいた。


「……今晩だけは泊まる。けど、後は知らねぇぞ?」

「……ああ、分かっている。すまん」


 『人造A.G』……か。

 俺は、暗澹たる想いを抱きながら、廊下を少女の軽やかなスキップの音と共に、炒り豆を口へ放り込んだ。


 

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