第十五話 老人 上
「風倉少佐殿、見えてきました」
俺達を先導してくれている防衛軍の【戦乙女】が、前方を指差した。
――伝統的な庭園を持つ、古き良き日本家屋。料亭のようだ。
まさか、関東圏の近くで生き残っているものがあっとはな。
【A.G】持ちの数もごく少なかった頃――各国首都上空の【門】から出現した無数の【幻影】は、夥しい数の人々の命を奪い、数えきれない数の建物を破壊して回った。
我が国で言えば、東京周辺の各県の被害は凄まじく、ある程度、被害を局限出来るようになった後も住民達の帰還は未だ叶わず、関東各県は軍事要塞と化している。
だからこそ――小田原市内に、こんな料亭が残ってなんて!
俺をやたらと強く抱きしめているクレアが、不満気に呟いた。
「えー。もう、着いちゃったんですか? ……別に私は名古屋まで飛んでも良かったんですけど。気紛れで場所を変更するなんて! 御祖父様にはお説教が必要かもしれません」
クレアの祖父――実質的に日本の差配している名家の一つ『天羽家』の現当主、天羽
『早く、孫に会いたくてな。会合場所を変更したい。道案内を頼んだ。待っている』
……わざわざ連絡船の上で報せてくるとはなぁ。どうにもきな臭い。
現役の末期から幾度か顔を合わせ、サシで酒も飲んだことはあるが――本質的には愛国者であり、妻と娘を愛し、筋道を通す尊敬すべき爺さんだ。
同時に――【幻影】なんていう訳の分からない怪物に襲われた挙句の首都陥落。
当時の政府首脳部及び中央官僚組織の実質的な全滅という、亡国フラグが乱立する中、各名家と連携し、どうにかこうにか『日本』という国を保ってきた傑物の一人でもある。
そんな爺さんが、孫会いたさに会合場所を変更する? あり得ないわな。
……いったい、どんな厄介事が出て来たんだ?
防衛軍の【戦乙女】が敬礼してくる。
こうして見ると若い。年齢は二十に行くか、行かないか、だろう。
「本官の任務は此処までです。伝説の英雄にお会い出来て大変、大変光栄でした。個人的にも御礼を。横浜では有難うございました」
俺は、クレアへ目配せ。
すぐさま浮遊空間が生まれた。
俺はその場に立ち、返礼。
「大尉、任務に感謝する。――横浜だって?」
「はい」
栗茶髪の大尉は、俺から視線を外さない。
瞳の奥にあるものに見覚えがある。
現役末期に頃、よく見たそれ――純粋な敬意だ。
「私は……【幻影】によって一時的に占領。少佐達の手によって奪還され、救われた横浜の生存者です。お陰様で、妹と一緒に生き延びることが出来ました」
「! ……まさか」
東京の空に【門】が浮かんだ当初――【幻霊】達は関東を字義通り蹂躙した。
ありとあらゆる通常兵器が用いられたものの、通じず。
最終的に、米軍は核の使用を決断、
偵察すら不能になっていた東京に、十数発の小型核を叩きこみ――結果、全世界に恐怖を拡散させた。
『人類の持つ武器では【幻霊】を倒し得ない』という恐怖を。
それ程までに、核の業火の中を平然と侵空する漆黒の【海月】の群れの映像は恐ろしかった。
『緒戦』と言うと、生き残りの連中誰しもが『混沌』と口するのもむべなるかな。
――故に、東京奪還作戦の足掛かりとして実行された関東奪回作戦において、相当数の生存者が収容されたのは大変な驚きを持って受け止められた。
東京以外で核は使われなかったものの、主要都市には激しい空襲が加えられていたし、全住民の避難もまた物理的に不可能だったからだ。
俺は思わぬ再会に唖然としながらも、どうにか言葉を振り絞る。
「……そうか。良かったなぁ。本当に、本当に……良かったなぁ……」
「はい! 私は残念ながら、白鯨島で教育を受けることは出来ませんてしたが……心のつかえが取れた思いです。島から外出する際はまた御用命ください。コールサインは『フェアリー01』です。ではっ!」
年相応の顔をはにかませ、大尉は急上昇。
閃光を放ちながら白鯨島方向へと飛んで行った。いい腕だ。
コールサインからして、統合本部直轄の精鋭【妖精部隊】の隊長。
我が国でも数少ないS級称号を持つエースだ。人の縁か……。
クレアが俺の左腕に抱き着いてくる。
「少しは、御自身の為さってきたことの重みを認識出来ましたか?」
「……さぁな。当の本人には分からないことなのさ。降りよう」
「不器用な天使さまです。はーい」
※※※
看板のない料亭に入ると、俺達はすぐさま和服を着た上品な老中居さんに案内された。何でも、こんな時代になる前から小田原に住んでいるとのこと。
「……今、市内に住んでいる人は殆ど軍隊の方々ばかりです。けど、私は此処しか澄んだことがないので。どうぞ」
「ありがとうございます」「ありがとうございます」
二人して御礼を言い、通された和室の中へ。
――そこには、座布団に座り手酌で酒を呑んでいる厳しい顔の偉丈夫。
総白髪でありながら、和服を纏ったその身体は筋骨隆々。
年齢は七十を超えている筈なんだが、とてもそうは見えやしない。
俺達――否、クレアを見るやいなや――
「おおっ! 待っておった。――クレアや、祖父ちゃんだぞぉ」
たちまち相好を崩した。台無しだ。
――この老人の名は天羽巌。
天羽クレアの実の祖父であり、孫を溺愛する、現日本最高権力者の一人である。
相変わらずだな……俺は苦笑し、少女の小さな肩を軽く叩いた。
クレアは小さく頷くと布帽子を外し、スカートの裾を摘まんで挨拶。
「御祖父様、お久しぶりです」
「止めてくれ。堅苦しいっ! お祖父ちゃんで良い。風倉君も元気そうで何よりだ」
「お陰様で。ただ、そろそろ隠居したいですね。その際は静かな土地を教えてくださると助かります」
「君が隠居だと? つまり、儂の仕事を手伝ってくれるということかね?」
「……違います。天羽家の仕事なんて無理ですよ。もっと言えば、御免です」
「はっはっはっ! 儂に対して、その物言いっ!! 流石は、歴戦の勇士だな。座って――おっと、いかん。酒とつまみを切らしていたな。クレアや」
爺さんは呵々大笑。
俺達へ座るよう促し――三合瓶が空なことに気付いて、孫娘を呼んだ。
すると、少女はない胸を張る。
「任せてください、お祖父ちゃんっ! 私、お酒とおつまみを貰ってきますねっ!!」
「うむっ! クレアは気が利くのぉ。儂の自慢の孫じゃ。――そうおもうじゃろう?
風倉君」
「学年では最優。島内でも五指には入りますね」
「!? い、樹さん……えへへ♪ 恥ずかしいですよぉ。行ってきまーす」
俺が事実を答えると、クレアは一瞬驚き――すぐさま、花が咲いたような笑顔になって、跳ねるように部屋を出て行った。
規則正しいスキップの音が遠ざかっていく。
俺は爺さんの前へ座り、胡坐を作って猪口を手にした。
――天羽巌が酒を注いでくる。
目を細め、単刀直入に問う。
「で? あんた程の御人が、わざわざ俺を呼び出した理由は何だい? 差し当たり――……軍や政府内部に広がりつつ楽観論派の台頭の件と見たが」
「…………耳が早いな、小僧」
爺さんは、ガラリと口調を変え、自分の猪口にも冷酒を注いだ。
袖口から炒った豆を落として来たので手に取る。
ボリボリ齧りつつ、猪口をあおる。
「辛くていい酒だな」
「儂の故郷の酒だ。蔵元が未だ生きていてな、支援するつもりで毎年買っている」
「善行だ――先日の、白鯨島への襲撃の際、『囮』役たった【幻霊】を、防衛軍の部隊が倒したらしい。【A.G】を用いずに、だ。大方、その結果を見ての悪巧み、ってとこかな?」
「……この世界で誰よりも苛烈な戦場を駆け、生き残って来た者の目とは恐ろしいものよ。各国が『支援の引き換えはイツキ・カゼクラを!』と要求するにも分かる」
豆を口に放り投げつつ、頭を振る。
素朴な味わい。……母さんを思い出す。
「買い被りだ。今の俺は、引退間近の【A.G】使いに過ぎない――で? 楽観派の阿呆共は、何を言い出したんだい? ……俺の予想通りなら、碌でもない事なんだが」
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