第十四話 外出 下
「ふふふ~♪ 樹さん、気持ち良い風ですね! 飛ぶのも楽しいですけど、こうやって船に乗るのも悪くないです」
高速フェリーの船首に立ったクレアは、布帽子を片手で押さえながら振り返り、笑みを浮かべた。
甲板に居合わせた、外出許可を取った二年の女子生徒達が息を呑んだ。
……気持ちは理解出来る。
初夏の陽光の下、風に靡く長髪。つばの広い布帽子にワンピース。
そして――幼いながらも、はっきりを分かる程の美貌。
天羽クレアは本物の御嬢様なのだ。口にはしないが。
近づき、何時もの注意。
「風倉教官、だ。あくまでも、『A.G戦技習得学校』の生徒であることをだな」
「はーい。分かってまーす。風倉教官」
クレアはわざとらしく敬礼し、目を細めた。
やや離れた海面を、護衛の巡洋艦が航行している。
通常兵器は【幻霊】に殆ど効果はないものの、火力を集中すれば足を止めることは出来るし、ある程度の探知も可能だ。
海を
上空では、フェリーを囲むように四人の【戦乙女】が飛翔。
刀護の話だと、増強小隊という話だったから、残り二名は前方に進出し、もう一隻の巡洋艦が後衛を担当しているのだろう。
俺は欄干に背を預け顔見知りの二年生達に片目を瞑り、声をかけた。
「俺と天羽がこの船に乗っているのはオフレコで頼む。まぁ、お前達の情報網だと、あっさりバレていそうだが」
幾ら白鯨島がそれなりに広く、各生徒のモラルが高いとは言っても……そこは年頃の少女達。
少数派である俺みたいな男性教官の行動は、どうしたって噂になり易いのだ。
時折、俺が島と本土を行き来しているのは周知の事実だし、クレアがあの『天羽』の御嬢様なことも知られているから、そこまで騒がしくはならないだろうが……念の為だ。
制服姿の二年生達は背筋を伸ばし、一糸乱れぬ敬礼。
『は、はいっ、風倉教官っ! し、失礼しますっ!!』
そう言って、女子生徒達は楽しそうに笑いながら、船内へ引き揚げていった。
……月曜日が少し怖くもある。
クレアがフェリーの横を飛ぶ海鳥達へ追い風を送り込みつつ、唇を尖らす。
「むー。樹さ――……風倉教官は、私と一緒にお出かけするのが恥ずかしいんですか?」
「いいや、特段は」
「なら――堂々していてくださいっ! むしろ、大人しい振りをして、泥棒猫の本性を巧みに偽装している委員長さんや、口が悪いけど虎視眈々な泥棒猫さんその二の副委員長さんへ、全力で告知をっ!! あと、神無っていう女性教官さんにもっ!!」
「……お前の中で、三枝と七夕はどういう風に見えているんだ。あいつ等は、今年の新入生達の中でも有望株なんだぞ? 【A.G】は勿論、リーダーシップやコミュニケーション能力も含めてな」
「つーん! そんな言い訳聞きたくありませんっ! どう見たって、普段の訓練や授業では、私よりも甘いですっ!! だからこそ――告知が有効なんです、よっ!」
少女は飛び跳ねながら、俺の腰に抱き着こうとしてきた。
躱して転びでもしたら事なので、左手で受ける。
すると、クレアは俺の左手を全力で抱え込み、悪い笑みになった。
「フフフ……作戦通りです。後は写真を撮って、学内の共有連絡スペースに貼り付ければ」
「阿呆」
「あーあーあー!」
携帯を取り上げ、高く掲げる。
クレアは、ぴょんぴょん、飛び上がるも届かない。チビの悲しさよのぉ。
「い・つ・き・さんっ! 返して、返してくださいっ!! 私は泥棒猫さん達をやっつけなければならない、という使命があるんですっ!!!」
「んなもんはない。第一、写真ならあの二人とも撮ったぞ?」
「………………はっ?」
少女の身体が固まった。
瞳孔が広がり、まじまじと俺を見つめて来る。……ちょっと怖い。
風と波の音が耳朶を打つ。
「――何時」
「うん?」
「――……何時、撮ったんですか? 私、その話、聞いていませんけど」
「あー、その、だな……」
クレアがそれはそれは美しい微笑を浮かべ、問うてきた。
頬を掻き、視線を逸らそうとすると、さっき船内に戻った筈の二年生達が瞳をキラキラさせつつ、此方の様子を窺っていた。……これだから、女はっ。
「樹さん? 聞こえていますか?」
「……聞こえてる、聞こえてる。入学して、一ヶ月後だったかな? 基礎訓練の全過程を終了した打ち上げ時にな。『御両親に送りたい』とのことだったから、俺の携帯で撮ったデータを」
「送ったんですかっ!?」
「うぉっ!」
わざわざ【A.G】を展開し、自分を浮かべたクレアに胸倉を掴まれた。
白鯨島内では、実戦任務についている【戦乙女】以外、個人の携帯は没収されていて、戻されるのは長期休暇時のみ。
だから、三枝も七夕も普段、寮で見ているとかではないのだが……目の前の、お姫様からすると、我慢ならない事柄だったらしい。
珍しく本気で拗ねた表情になり、噴出する魔力も増えていく。
少女は腕組みをし、背中を向けた。
「酷いです。これは明確な裏切り行為ですっ! わ、私だって、何だかんだ撮り損ねていたのにっ! それを……それを、私がいない時を見計らってぇぇぇっ!!」
「……見計らったわけじゃ」
「しゃらっぷっ!! …………他は?」
「ん?」
肩越しにクレアがジト目を向けて来た。
上空の【戦乙女】の内、二人が加速し、前方へと飛翔。
戦闘態勢に入ってはいないようだし、【幻霊】じゃないだろう。
美少女の顔が、間近に広がる。二年生達が『キャー♪』と喧しい悲鳴をあげた。まずい。誤解されている!?
俺の焦りを無視し、クレアは鋭い視線で射抜いてきた。
「他――私に話していないことはありませんか? 神無教官と写真は」
「撮ってないな。あいつは卒業生だが、在校中は会話を交わした記憶もない」
「……ふぅ~ん……」
猜疑心を表に出しつつ、少女が目を細める。
俺は、クレアの腰を掴み甲板に降ろした。二年生へ目線を向けると『!』びっくりしながら、逃げて行った。後で、誤解を解いておかねば。
『風倉教官、一年生の天羽クレアをいかがわしい関係を!』
……まったくもって、笑えん。
山縣さんや刀護の耳に入ったら、向こう数年は酒席でからかわれるだろう。それは避けねば。
米国にいる【白薔薇】に届いたりでもしたら……説得には、命を懸ける必要があるだろう。コレット・アストリーは、昔からこの手の事柄に関して潔癖なのだ。
俺は不機嫌な様子の少女を諭す。
「別に写真の一枚や二枚、問題ないだろう? 心を広く持て」
「…………次はないですからね? あと」
クレアが俺に持たれかかってきた。
上目遣いで要求してくる。
「さ、撮ってください。一番良いのを御屋敷で厳選しますっ!」
「……仕方ない、お姫様だ」
俺は両手を掲げ、携帯を翳そうとし――突風が吹き荒れた。
咄嗟にクレアの布帽子を押さえ、上空を見やると、一人の【戦乙女】が降下して来るのが見えた。
首元の階級章からして、大尉。
増強小隊の隊長が、護衛任務を部下に任せ、わざわざ降下してくる、か。
フェリーの行き先は、【幻影】との死闘により市街地の過半を喪い、地形すらも大きく抉り取られ、今では軍港となっている熱海だったのだが……そうも行かなくなったようだ。
クレアが抜け出し、愚図る。
「う~……み、見えないですよっ! 樹さん」
「クレア」
「はい?」
少女が、きょとんと俺を見た。
肩を竦め、苦笑する。
「……どうやら、此処から飛ぶ羽目になりそうだ。今の俺じゃ、名古屋までは飛べないから」
「任せてください」
胸を叩き、クレアは背筋を伸ばした。
翼の数が増えていき、大きな瞳には喜悦。
「樹さんと一緒なら、世界の果てまで飛んでみせますっ!」
「…………お手柔らかにな」
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