第七話 呼び出し 上

「良し、っと……。そっちは準備出来たか、天羽? そろそろ行かないと授業に遅刻する」


 俺は鏡で自分の身だしなみを確認し、愚図っている少女へ話しかけた。

 ソファーから強い不満の声。


「……出来ていません。私は怒っています。怒っているんです。今日の授業はお休みします。【幻影】討伐の疲労が残っているので……」

「却下だ。昨日、あれだけ訓練しておいて何を言っていやがる。ただでさえ、出席日数がまるで足りていないんだ。今日休んだら……夏季休暇中も補修だぞ?」

「ぐぅぅぅ~…………」


 クレアは振り返り、頬を大きく膨らました。

 制服には着替えさせたものの、猫型のクッションを抱きかかえブレザーに皺が出来てしまっている。

 小柄な少女はその場に立ち上がり、俺へ指を突き付けてきた。


「そもそもですっ! 樹さんが、私を起こしてくれなかったのが悪いと」

「全く思わん。俺は電話をかけたし、メッセージも送った。二度寝どころから、三度寝をしたのは――天羽クレアだ」

「ぐぅっ! そ、それでも、起こしに来てほしいんです。なのに……違う女の子の訓練を覗きに行きましたね? しかも、私が寝てしまったのをいいことに、朝ごはんまで一緒に…………いったいどういうことなんですかっ! 説明を要求しますっ!!」

「教官の仕事だ。あと、一度顔を出した時にお前の分の朝食は作っておいただろうが? 卵サンド、美味かったか?」

「あ、はい。とても美味しかったです。サラダも全部食べました」

「よろしい。偉いな」


 素直に褒めておく。

 野菜嫌いも少しずつ、直ってきているのは喜ばしい。

 旧東京で保護された後、食べられる物がとにかく少なくて、天羽家は大変だったと聞いているし。

 俺に褒められたクレアは両頬に手を置き、表情を明るくした。


「えへへ~♪ 褒めても、何も――……はっ! ご、誤魔化されませんよっ!」

「……ちっ。気づかれたか」


 再会した当初はこの手段で誤魔化せたんだが……成長した、と言っていいのか、悪いのか。困るところだ。

 俺は手をひらひら。


「お前も十五。もう少しで十六になるんだ。いい加減、恥じらいを持ってくれ」

「持ってます。でも、樹さんにそれを見せるのは、まだ先だと決めているだけです」

「はぁ……」


 溜め息を吐き、少女へ近づく。

 手を伸ばし、乱れてしまった長く淡い紫髪に触れると、ピクリ、と身体が震えた。

 顔を近づけていく。

 

「え? い、いつき……? あ、あの…………そ、その…………え、えっと……」

「動くな」

「! は、はい……」


 クレアの顔が林檎のように紅くなり目を瞑った。、抱きしめているクッションに力が入る。

 俺は手を動かし、


「取れたぞ」


 前髪に付いていたゴミを摘まみ上げた。

 この後の行動が読めるので、少し距離を取っておく。

 クレアは大きな瞳を瞬かせ――微笑。


「死んでください」

「おっと」


 全力で投げ込まれた猫クッションを受け取め、近くのテーブルへ置く。

 円らな黒い瞳が俺を責め立てる。……すまん。今度、綿を足しておこう。


 ――肌が痺れる程の魔力。


 クレアの背に淡い紫の翼が形成されていく。

 小柄な少女の身体がふわり、浮かぶ。無駄に高い天井も考えもんだな。

 睥睨しながら、聞いてくる。


「……樹、何か言い遺すことはありますか? 私の慈悲深さに感謝してください」

「ふむ」


 俺は教官になった際、コレットから贈られた腕時計を確認。

 八時十五分。遅刻しちまいそうだな。

 クレアの右手に、薄っすらと体格に似つかぬ大剣が顕現し始めた。……まったく。

 肩を竦め、踵を返す。

 背中に極寒の警告。


「何処に行くつもりですか? 話はまだ終わっていませんよ? 私が貴方を斬らないとでも??」

「斬らないさ。クレアは優しい子だからな」

「! そ、そんなこと……だ、騙されません。騙されませんよっ! そ、そうやって、私を篭絡するつもり。あーあーあー! ま、待ってっ! 待ってくださいっ!!」


 玄関傍に掛かっている制帽を手にする。

 俺の脇をクレアが通り抜け、玄関前で両手を広げた。

 不満気にしつつ、俺の顔をちらちら。


「わ、私も……」

「ん? 聞こえないな。はっきりと言ってくれ。俺って鈍いらしくてな」

「うーうーうーっ! ……ほんと、樹さんは意地悪です。昔はカッコいい天使様だったのに。……いえ、今でもカッコいいですけど……」

「? 後半部分、聞こえなかったんだが」

「……気にしないでください。ダメダメ教官さん、って言ったんです。はぁ……本当に、どうしようもないものですね……。柊も言っていました。『御嬢様にも何れ分かります。それは避け難いもの。どうしようもないものなのです』って」


 クレアは深い溜め息を吐き、意味不明な言葉を呟いた。

 旧東京で俺と刀護が助けられなかった女性――天羽家のメイドだった柊オラディスは、この少女の性格形成に大きな影響を与え続けている。

 俺は少女に質問。


「で? どうするんだ?? そろそろ、出ないと本気で遅刻だが?」

「……行きますよ。夏季休暇を取り上げられのも不愉快――……待ってください。もしかして、補修になったらその間、樹さんを島内で独占出来るのでは? 天羽の御家に帰る必要もないのではっ!?」


 クレアが悪い考えに辿り着く。

 ……間違いなく、刀護や天羽の爺さんの思考法だ。

 やはり、説教が必要かもしれん。

 少女に制帽を被せ、事実を伝えておく。


「盛り上がっているところ悪いが、補修担当は俺じゃない。そして、俺はきっちりと夏季休暇を取得する」

「なら、私もそうします。行きましょう。遅刻しますよ?」


 あっさりと前言を撤回し、クレアは扉を開けた。

 ……現金なやつめ。

 俺は、少女の鞄を手にして注意。


「人前では」

「『風倉教官』と呼びます。任せてください。こう見えて、物覚えは良い方です」

「……そうかよ」


 信用ならない言葉だ。

 若干の頭痛を覚えながら、玄関を出ようとすると――携帯が震えた。


「ちょっと、待て」

「? 電話ですか?? ぼっちな風倉教官に??」

「ぬかせ」


 確認すると『九条刀護』。

 ……どうやら、厄介事が起きたようだ。

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